「沖縄は『今も戦の島』…歴代知事の『平和宣言』全49回分が映す現実 沖縄タイムス元編集局長が読み解くと」というタイトルで、沖縄県糸満市摩文仁で毎年6月23日に営まれる「沖縄全戦没者追悼式」。そこで県知事が読む「平和宣言」は、歴代知事の姿勢、米軍基地問題を中心とする沖縄の課題を映し出してきた。7人の知事による全49回の宣言を分析する地元紙「沖縄タイムス」元編集局長でジャーナリスト、諸見里道浩さん(73)=那覇市=に変遷を問うた。と7月6日の東京新聞WEB(太田理英子記者)が伝えている。
5月に「ひめゆりの塔」の展示説明を巡り、自民党の西田昌司参院議員が「歴史の書き換え」と発言した問題など歴史認識の歪曲が繰り返される中、平和宣言の読み解きは、沖縄がたどってきた道を知る重要な手だてになる。諸見里さんはこう力を込めた。「無差別攻撃の犠牲や『軍隊は住民を守らない』という教訓が生まれた原因は何か。私たちは考え続けなければならない」
歴代知事の平和宣言であるが、「沖縄全戦没者追悼式」で沖縄県知事が読むことはメディアで紹介されていたので知っていたが、他人事でなくなったのは、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で沖縄戦の実相を学習してきたからだ。
1990年に就任した大田昌秀氏は学徒隊「鉄血勤皇隊」に動員され、戦場や学友の死を目の当たりにした。1991年の宣言では「戦争になってから平和を叫んでも遅すぎるのだ」と主張。1993年には、近隣諸国への日本軍の「加害」にも言及した。
沖縄県営平和祈念公園にある沖縄県平和祈念資料館内にある沖縄戦を模したジオラマで、日本兵が沖縄県民に銃口を向けていたのが、県知事が交代したら、銃口の向きが変わったという有名な話がある。
無論、気づいた人がいて、論議を呼び、元通りになったのかもしれないが、結果の確認はできていない。
ひめゆり平和祈念資料館の展示で歴史の歪曲を企図したのか事実とは異なる発言をした西田昌司参議院議員とその発言に同調した参政党の神谷代表のような右寄り政治家がいて、事実を曲げようとしているとしか思えない。参政党は憲法を国民主権から天皇主権に改めようとしていると耳にしたことがあるくらい、ライトウイングだから騙されているととんでもないことになってしまう。
こういう時、鉄血勤皇隊の隊員にさせられた師範学校男子部の生徒だった大田昌秀さんが健在であれば、西田発言のようなことは起きなかったかもしれない。
沖縄戦を戦い、生き延びた大田昌秀さんに戦争体験がない男が偉そうにものがいえるわけがない。
戦時中、日本軍などがやった加害責任について、発言できるのも鉄血勤皇隊の生き残りである大田昌秀さんなればこそである。
沖縄戦で住民を守るために存在する日本軍が住民を虐殺したことは、取り返しがつかない犯罪である。
国家のために否応なく沖縄戦に巻き込まれてしまった沖縄県民にとって、まさか、日本軍から虐殺されるとは思いもよらないことであっただろう。
こんなでたらめな軍隊が存在したことが怖ろしい。
満州では関東軍に見捨てられた満蒙開拓団の人々が集団自決に追い込まれた。
その満州の関東軍から沖縄の守備隊に加わった兵士たちは、沖縄県民を中国人と同じように蔑視していたことも語り継いでいかなければならない。
とにかく、日本が米国の戦争に巻き込まれそうになっているのは、米軍基地があるからで、関税で要求が高いなら、日米同盟解消に向けて、議論を深め、米軍基地の返還を求めたい。