2025年07月03日

「六名殺シ夢二ウナサレテナラヌ」

 「六名殺シ夢二ウナサレテナラヌ」「戦争トラウマ旧日本兵にも」国、調査着手 「遺族らが団体 語り継ぐ」という見出しで、6月30日の読売(浜田喜将記者)が戦後80年、昭和百年の連載で伝えている。

先の大戦での過酷な体験が旧日本兵にもたらした「戦争トラウマ」を見つめ直す動きが広がっている。心をむしばまれて日常生活に支障を来たすケースもありながら、長らく個人の問題とみられていた。
 近年、社会の理解が深まり、遺族が苦悩を語り合う取り組みが進むほか、国は7月から初めての企画展を開く。

 戦時中、千葉県市川市の国府台陸軍病院に精神疾患で入院していた兵士の「病床日誌」(カルテ)8002人分が千葉県東金市の浅井病院に残っている。
 軍は同病院にカルテの焼却を命じたが、軍医を務めていた浅井利勇さん(2000年死去)が院長と共に「後世に残さなければと考え、カルテをドラム缶に入れて埋め、数年後に掘り出し、5年以上かけて全てコピー。以来、浅井さんが開業した浅井病院で保管してきた。

 戦争トラウマが広く認知されるきっかけは、1975年に終わったベトナム戦争だ。米国で帰還兵に同様の症状が相次いで本格的な研究が行われ、80年、米国精神医学会がPTSDを疾患として正式に認定。2000年代に入ると、イラクやアフガニスタンへの軍事介入でも帰還兵のPTSDが問題化した。

 東京武蔵村山市の黒井秋夫さん(76)は、旧日本兵の遺族らが戦争トラウマについて話し合う団体を発足させた。
 厚生労働省も7月中には国立の戦傷病者史料館「しょうけい館」で戦争トラウマのパネル展を始める。


 NHK映像の世紀バタフライエフェクト「戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢」で、この問題を取り上げていたことがある。
 戦争では兵士に限らず、悲惨な体験をした人を戦後も苦しめることになる。
 1975年の『愛の嵐』ではナチスの強制収容所で性暴力の加害者と被害者だった男女が戦後、心ならずも再会してしまい、倒錯の関係をに堕ちてしまうというような怖い映画だった。

 7月12日から上映される『黒川の女たち』は、満蒙開拓団の娘たち15人がソ連兵からの略奪や性暴力から守ってもらうため、ソ連兵将校に性奴隷として献上されたことを帰国後、体験者が長い沈黙を破り、告発するのだ。
 ソ連兵将校がベルトを外す音が耳から離れないということで、こちらもPTSDということになろうか。
 
 先般、書いた三田空襲で下校中の小学生が米軍機のパイロットから機銃掃射を受け、小学生4人と農婦が犠牲となった。
 体験者が低空に降下してきたパイロットが笑いながら機銃掃射をしてきたことで、米国に対する恨みが消えない。と語っていた。

 戦争が終わって、普通の暮らし、日常を取り戻したら、そのパイロットだって、まともな精神になれば、子ども殺したのだから、苦しまないはずがない。

 軍隊は武器を所持しているから、いざとなれば、当然、相手を撃ち殺すだろう。
 戦争では撃たなければ、自分が殺されるが、占領地では武器を所持していない民間人だっているから、敵だとみれば、殺してしまうことだってあったはずだ。

 しかし、戦後、普通の暮らしに戻れば、戦争中のことだからと言っても、人殺しは人殺しだから、加害者となれば後悔もするだろうし苦悩もするはずだ。

 戦争だからということでは、人間として許されないことは許されない。