2025年06月23日

戦後80年の沖縄慰霊の日、沖縄慰霊碑の継承を考える

 6月23日、沖縄の守備隊32軍の牛島司令官が自決して、沖縄における日本軍の組織的な戦いが終わった。
 この日を沖縄県では沖縄の慰霊の日として、沖縄戦の犠牲者を慰霊している。

 「沖縄慰霊碑 子や孫に」「民間管理 継承に不安」という見出しで、6月19日の読売(水野祥記者)が夕刊で慰霊碑の設置者が亡くなり、次世代にどう継承するか課題となっている。と問題提起している。

 紙面では、かつて日本軍が司令部を置いた首里城の北方に位置し、1945年4月上旬から約2週間米軍との激しい攻防戦を繰り広げた宜野湾市の嘉数高地にある「捧英魂碑」が取り上げられている。

 激戦を生き残った日本兵ら28人の名前が碑の裏に発起人として刻まれ、66年に建立された。
 陸軍独立歩兵第23大隊の分隊長だった日比野勝広さん(2009年、85歳で死去)の娘裕子さん(76)が沖縄の慰霊の日に妹たちとお参りに訪れているが、いつまで碑を守れるか不安だという。

 沖縄県の2018年度の調査では戦没者をまつる慰霊碑は県内に442基あった。自治会など民間が管理するのが237基で都道府県や市町村などは143基、管理者不明が62基だった。
 塔が建てられた年代は多い順に昭和20年代が115基、同30年代が102基、同40年代が82基で、設置してから50年以上が過ぎた塔が半数以上を占めた。

 民間が管理するか管理者が不明だった299基のうち、「状態不良」とされたのは75基。民間管理の237基のうち、「将来を含めた問題や懸念」があったのは104基。

 厚生労働省は2016年度から、全国の自治体を対象に民間の慰霊碑を移設・撤去する際に費用の半額を補助する事業を始めた。23年度からは修繕費用も対象に加えたが、活用例は35件。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、2008年から全国の慰霊碑を周っている最中、コロナ渦で2020年から2023年までどこにも行かれなかった。

 慰霊碑と一括りにできないと感じたのは、米軍との地上戦が行われた沖縄で、糸満市米須にある「魂魄の塔」を訪れたときのことだった。
 ガイドとドライバーをお願いした外間さんに連れて行ってもらったのだが、米須地区一帯が激戦地で遺体を集めて収容した場所が魂魄の塔だということで、本土の慰霊碑などとは雰囲気がまるでちがい、慰霊碑というよりも、戦没者が無念の思いを抱え、合祀されて眠る墓そのものというように受け止めた。

 糸満市真栄里にある白梅の塔。沖縄県立第二高等女学校の学徒が白梅学徒隊として、ひめゆり学徒隊ほどには著名ではないが、動員され犠牲となった学徒をまつっている。
 ここには、ガマが当時のままになっていて、少し石段を下って、お参りしたが、とても平静ではいられなかった。

 沖縄では本日、沖縄全戦没者の慰霊式が行われた。
 全戦没者の名前を彫った平和の礎をTVでは映していたが、慰霊碑はその謂われが説明されているので、後世になって、自分みたいにお参りの旅をする人間には、戦争の実態を勉強させてもらえる貴重な存在だと言ってもいい。

 戦没者のことを今を生きる人間は忘れてはならないのだ。
 ために、慰霊碑は貴重な存在となっていくはずだ。