2025年06月16日

日立、静岡などで6月の空襲の慰霊祭

 日立製作所日立事業所は10日、太平洋戦争末期の空襲による殉職者を悼む慰霊祭を茨城県日立市内で開いた。戦後80年の節目を迎えた今年は約30年ぶりに遺族を招いて大規模な式典を開き、徳永俊昭社長ら同社幹部も列席した。と毎日新聞【田内隆弘記者】が伝えている。

 1945年6月10日朝、100機以上の米爆撃機B29が日立市上空に飛来。軍需工場だった同社海岸工場に500発以上の1トン爆弾が投下され、爆撃に巻き込まれたり防空壕の中で生き埋めになったりした従業員634人が命を落とした。その後7月にも艦砲射撃や焼夷弾攻撃で多くの従業員が命を落とした。

 日立事業所は6月10日を「戦災の日」とし、毎年空襲が始まった午前8時51分に合わせて工場全体で黙とう。事業所幹部が防空壕跡にある「殉難の碑」をお参りしている。さらに今年は市内のホテルに祭壇を設け、慰霊祭を開催。僧侶が読経するなか遺族や同社関係者ら約200人が手を合わせた。

 1945(昭和20)年6月20日、未明の「静岡空襲」では、静岡市の市街地が爆撃を受け、およそ2000人が犠牲になった。
 15日に静岡市葵区の静岡平和資料センターで開かれたつどいには、市民など20人が参加し、はじめに、犠牲者の名簿の前で、黙とうをささげて花を手向けた。と6月16日のNHKが伝えている。

 2024年6月には、静岡県静岡市の賤機山では、日米合同の慰霊祭が開かれた。
 52回目となる慰霊祭は、静岡空襲で犠牲になったおよそ2000人の市民とB29の搭乗員23人を追悼するため、毎年、静岡県静岡市の賤機山山頂で行われている。
 慰霊祭には、地元の人たちや在日米軍横田基地の関係者など、およそ120人が参加した。と2024年6月30日のSBSTVが伝えていた。


 ロシアがウクライナに侵攻侵略し、パレスチナのハマスがイスラエルに侵攻しイスラエル人などを人質にとったことから始まったイスラエルのガザ地区への攻撃が終わる気配がみえない。
 6月中旬になるや突如としてイスラエルがイランに攻撃し、イランが反撃したというニュースが流れている。
 インドとパキスタンが一時交戦状態になったことも伝えらえた。

 6月4日の中国天安門事件から36年が経ち、自由を求める民衆をあろうことか戦車でひき殺すという、戦時中、満州でソ連軍が満蒙開拓団の非武装の日本人婦女子を戦車でひき殺して以来という蛮行を中国政府が命令したことは独裁政権の恐ろしさを痛感させられたばかりか、台湾への軍事侵攻が現実味を帯びている気がしないでもない。

 戦後80年が経ち、米軍に空襲、空爆された都市の遺族も高齢となり、記憶の継承が難しくなっているが、世界のあちこちで戦争則ち、空襲、空爆攻撃で死者が多数出ていることから、なんとしても、日本が戦争に巻き込まれないようにと願って6月の空襲、空爆について書いている。

 静岡では、空襲、空爆した米軍の爆撃機が墜落し搭乗員が犠牲となったことから、日米合同で慰霊祭が開催されているというではないか。

 沖縄の平和の礎ではないが、死んでしまえば敵も味方もないわけで、悪いことではない。

 空襲、空爆の恐ろしさを考えたら、戦争に巻き込まれないことこそ、価値があることだと気づくべきだ。