戦後80年の2025年、沖縄県は、戦没者の遺骨収集や不発弾の処理など、今なお残る戦後処理問題が県民生活に影響を及ぼしているとして、問題の根本的な解決に向けた支援を国に要請する方向で調整を進めている。と6月4日のNHKが伝えていたが、10日に池田竹州副知事が要請書を厚生労働省を訪れて渡した。とメディアが伝えている。
具体的には、▽今も各地で続く戦没者の遺骨収集に関する取り組みの強化や、▽「終わらない戦後処理」とも言われ、9日に読谷村の米軍嘉手納弾薬庫地区内で爆発事故があったばかりの不発弾処理。処理に100年ほどかかるとされる不発弾の早期処理。▽旧日本軍が首里城の地下に造り住民の犠牲の拡大につながる「南部撤退」が決定された第32軍司令部壕の保存・公開に向けた財政支援や▽高齢化などで管理が難しくなっている慰霊碑の整理・保存に関する支援、それに、▽平和に関する国際会議や地域の安定に資する国際機関の沖縄誘致への支援といった内容だ。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で北は北海道稚内から南は沖縄の摩文仁まで全国を周ってきたが、米軍に原爆を落とされたヒロシマ、ナガサキ、そして、沖縄は慰霊碑に手を合わせるとき、他とは違うものを感じて怖くなった。
霊感など自分にあるわけもないが、訪れたのが夏であるにもかかわらず、寒気がしたといえば、あながち的外れではないかもしれない。
戦没者、死没者の遺骨が埋まったままになっているところを自分が歩いているということだろうか。
沖縄で一家全滅し、その家の屋敷跡に参拝できるように礼拝所が設置されていて、ガイド兼ドライバーの外間さんの案内でお参りさせてもらった時は激しく心を揺さぶられた。
沖縄戦で一家全滅という家が何軒あるかはわからないが、かなりありそうだったからさらに驚く。
このことで沖縄戦のことを詳しく知らない人にも沖縄戦の惨禍が理解できるのではないか。
特に、ガマフヤーの具志堅隆松さんやジャーナリスト浜田哲二、律子さん夫妻が遺骨収集で奮闘しているが、本来、国がやるべきことである。
9日に読谷村で不発弾が爆発し、処理にあたっていた自衛隊員が負傷したニュースが流れている。
処理が終わるのに100年というからには不発弾は早く処理を完了させなければ安心できない。
日本が米国との戦争に敗れたにしても、敗戦後80年経っても、沖縄の置かれている状況はあまりにも酷すぎる。
米軍基地が沖縄に集中しているのは、米国の戦略上の都合であり、普天間を移設するとなれば、辺野古の海を埋め立てる。しかも、埋め立てる土は米軍に殺された兵士や県民の遺骨が収集されないままだという罰当たりなことを平気でやってきたのが自民党政権である。
いつでも自分勝手な米国は中国と覇権争いをし、中国が台湾を統一する動きがあると煽って、日本の自衛隊に戦争の準備をさせ、戦争になれば、米軍の代わりに戦争をさせようと目論む。
自民党や保守派の勢力は、米国に追随するだけだから愕然とする
。
沖縄の人たちは、平和教育で米軍基地の街から脱却できるように一人ひとりが考えていく必要がある。
沖縄は観光収入くらいしかめぼしい収入がないから、貧乏であるが、戦争では本土の防波堤にされたのだから、もっと、もっと日本政府に要求していいはずだ。