2025年06月05日

治安維持法制定から100年 戦争を防ぐための外交を

 6月5日の集英社オンラインで「『戦没者のおかげで今の日本がある』という欺瞞。戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」すべてにある」という語り継ぐ戦争の立場からは放ってはおけないことが発信されていたので書いておく。
 狭い国土の日本が戦場になるとどうなるのか?――沖縄戦の悲劇の構造を知ることで、その実相が見えてくる。沖縄戦研究の第一人者・林博史氏は、膨大な資料と最新の知見を駆使して『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』を上梓した。
 その林氏との共著『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』(沖縄タイムス社)を2024年に刊行した沖縄戦研究者の川満彰氏が、多大な犠牲を生んだ沖縄戦の背景と、新たな戦争を防ぐために何が必要かについて語りあった。

 「亡くなった人のおかげ」は戦争に対する責任逃れであり、戦後の高度経済成長は生きている人たちが頑張ったからだ。
 一部を除く政治家や戦争を正当化する人たちが、「亡くなった人のおかげ」というような話をしていくと、そこでもう、亡くなった人が「英霊化」されてしう。英霊であり英雄だから、誰が殺したのかという戦争責任も何もなくなってしまう。
 「軍が悪かった」という言い方をされるが戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」にある。
 実は治安維持法を含めた「弾圧のための法規」を適用したのが警察官僚であったようにだ。

 戦争体験者に共感するだけでなく「なぜ戦争を防げなかったのか」という社会科学的分析が必要。
 戦争非体験者が大枠を作って、その中に戦争体験者のお話を入れていくという形にしたほうが、今の人たちに理解しやすい。

 日英同盟から日米同盟まで常に“最強国”とくっついてきた日本だが、今こそ真の外交力が求められている。
 以上が要旨である。


 戦後80年、A級戦犯が合祀されている靖国神社に自民党など保守派の国会議員がお参りするニュースが流れるたび、改めてA級戦犯に第一義的に戦争責任があると強く意識する。
 警察や行政、政治家やメディアに責任がないなどと言うつもりは全くない。

 無理やり召集され、拒否権は無論なく、死ねば勝手に英霊にされてしまう。
 戦没者と戦犯で処刑された人間がなぜ合祀されるのか理解できない。
 戦没者を英霊だと戦争を企んだ人間が位置づけることとは別にして、現在の平和は誰が何といっても戦没者のお陰である。

 戦争体験者が退場していくとき、戦争を体験していない戦後世代が戦争の原因を追究し、体験者の証言を交えることは語り継ぐ戦争の立場から、佳い試みだと評価する。

 戦後80年、相変わらず米軍基地で日本が支配され、東京の制空権さえも米軍横田基地が支配している実情は危険すぎる。
 米国は中国が台湾を統一しようとしていると日本の自民党政府を煽っているが、自民党政権を続けさせれば、このままでは、台湾を巡って中国と戦争させられてしまう。
 だからこそ、外交が大事になってくるが、れいわ新選組の山本太郎代表も全国行脚で訴えているように今こそ外交の力を発揮するときである。
 中国からの輸入がストップしたら、日本経済は成り立たないからだ。

 歴代自民党政権は外国に首相や外務大臣が行くとき、必ず、税金から手土産に援助金を持っていき、自分たちは歓待され気分がいいだろうが、国民は貧困に喘いでいる。

 治安維持法制定100年、これと同じことになるのが、自民党、保守派勢力が企む日本国憲法に緊急事態条項を盛り込むことである。
 治安維持法が制定され、『蟹工船』で知られる小林多喜二など戦争に反対する人たちが特高警察の取り調べで拷問、虐殺されたことをくりかえしてはならない。
 戦争責任は日本軍の上層部にあることはまちがいないが、特高警察や行政、メディアなどにもあることも間違いない。