NHKETV特集 「草の大地に生きる ―ある放牧酪農家の人生―」が放送された。
「その人は、牛とともに豊かな大地を作り上げてきた。北海道足寄町の酪農家・吉川友二さん(59)。牛舎で管理する一般的な酪農ではなく、牧草地に牛を放し、自由に草を食べさせる「放牧酪農」を追求、多くの酪農家を育ててきた。しかし、すい臓がんで引退せざるをえない事態となった。牧場で働き始めた息子。世界一の味を目指すチーズ職人。人は自然の中でどう生きるのか。草の大地に生きる人々の2年の記録。」と㏋にあった。
酪農といえば、毎日飲んでいる牛乳でお世話になっている。
生きていくとき一番大事な食べること、体に栄養になったもの以外が排せつされるという過程で、炎症性腸疾患クローン病ということで、小腸が極端に狭隘になった個所が数か所あり、古希を前にした頃から、加齢もあって、その循環に支障が出て、その対策として、ヨーグルトを食し、低脂肪の牛乳を毎日1パック超飲むようになった。
農業分野で見てみると、コメ、野菜などを生産する、牛乳やチーズなどを生産する酪農、肉を食べてしまう畜産などに大別される。
自分と家族の健康のために有機無農薬での野菜作りを実践しているが、家畜の糞が土づくりに役立つことを知り、牛、豚、鶏とそれぞれ効能があることも知った。
飛騨高山の酪農家だったか、畜産農家だったかが飼料に乳酸菌を混ぜて食べさせたところ、牛舎のあの独特の臭いが消えたとTVで放送していた。
さらに、乳酸菌を食べた牛が排せつした糞で生産した肥料(商品名みな土)は、地中にいる夜盗虫が集まって食べるくらいで、栄養価が高いからか作物の生産を助けてくれると伝えてくれた。
地元の農協にみな土を扱ってくれと申し入れたら断られたので、近隣の大きな農家がトラックで取り寄せたみな土をネットを頼りに手に入れて使ったところ、作物の出来が明らかにレベルアップしたのである。
酪農といえば、語り継ぐ戦争では、満蒙開拓団の引揚者が那須などの開拓村で酪農に取り組んだことが頭に浮かぶ。
北海道はそもそも開拓民が本州から渡った土地である。
その酪農は牛舎で管理するのが一般的であるが、もともとは牧草地に牛を放し、自由に草を食べることで、牛が排せつし、その糞が肥料となって大地が豊かになり、また草が出るということで成立してきたもので、循環型酪農こそが本来の酪農だと言っても過言ではない。
畜産の場合、飼料を輸入に頼り、和牛だなどと寝言を言っているが、飼料を国内で用意しなければ、和牛だと自慢できない。
小泉構造改革だ、聖域なき改革だなどと言って、郵政民営化し、その息子が古古古米を5`2000円で売り出したことを例によってメディアが持ち上げ、農協改革で小泉劇場再来だなどと煽っている。
自民党の減反政策の失敗を棚に上げ、2000円もするような価値がない古古古米を買わされて怒りを感じない人はおめでたい。
有機無農薬での野菜作りのため、米糠が必要なわが家では、米を買えば、その場で精米して米糠をくれる小売店で減農薬の米を買い求めている。
米価が高騰する前は、普通にスーパーでコメを買っていたし、米糠も手に入れられた。
新自由主義が跋扈し、何かにつけ生産性ばかり問われるようになってしまったが、効率も大事かもしれないが酪農では、生産者が休日が取れない労働環境を改善できるように国が援助していく必要がある。
米の生産しかり、酪農、畜産皆生産者がいなければ食べることができないことを考えるべきだ。
補助金を出して、生産してもらい外国からの輸入がストップしても、国内で賄えるようにしておく必要がある。
酪農家が放牧して育てた方が自然であり、牛だって明らかに健康的に育つはずである。
2025年06月10日
2025年06月09日
徴用船 重油輸送「大明丸」魚雷に沈む
アジア太平洋戦争では、国に徴用された民間船舶にも多大な犠牲が出た。約7000隻が沈没し、船員6万人余りが死亡したとされると5月25日の読売が戦後80年昭和百年の連載で伝えている。
1944年11月3日未明、大阪商船(現商船三井)のタンカー「大明丸」(6723総d)がボルネオ島ミリの北西約350`を重油8000dを満載で航行中魚雷攻撃を受け沈抜した。
新潟県村上市の農家の次男に生まれ、軍国教育を受けた大矢秀二さん(95)は、その時、赤道に近い海で暑さをしのぐため、甲板で寝転んでいたことから、沈みゆく船の船尾にようやくたどり着き、ボートを下ろし、縄梯子で乗り移るや、茫然と見守る目の前で大明丸は海中に姿を消した。
5月14日、横須賀市観音崎公園にある「戦没船員の碑」で営まれた追悼式に参列した大矢さん。
「戦争に行ったことを勇敢だと思ってほしくない。本当の勇敢さとは、戦争を止めることだった」と語る。
「戦没した船と海員の資料館」(神戸市)によれば、国は、「戦時海運管理令」などに基づいて民間船舶と船員を徴用し、兵士や物資、燃料の輸送任務に充てた。
アジア太平洋戦争敗戦から80年。
父親が召集され、南方の島スマトラ島に派兵されるも、運よく帰国できたから生まれた団塊の世代の一員としては、親米派の自民党政権が米国の対中戦略に乗せられ、再び戦争に巻き込まれそうになっていることを危惧している。
せっかく、戦争の勝者米国の肝いりでできた平和憲法である日本国憲法を改め、治安維持法同様の緊急事態条項、戦前、戦中でいえば、戒厳令の役割を果たす条項で米国の戦争に自衛隊を派兵させようと目論む保守派勢力の台頭が不安でならない。
戦争といえば、アジア太平洋戦争の反省がきちんとなされてこなかったことから、再び、戦争への道を進もうとしているとしか思えない。
靖国神社へのA級戦犯の合祀以降、戦争責任が揺らいでいる。
学生時代、アメリカ帝国主義は張子の虎だと北京放送が流していたが、今や、その中国が帝国主義化し、覇権主義の大国として、米国と覇権を競っている。
米国はその中国が台湾を統一しようとしていると危機を煽り、日本の自衛隊に中国との戦争をさせようと目論む。
目を覚まさないといつの間にか戦争が始まってしまう。
緊急事態条項を断固絶対阻止しなければ遠からず戦争に巻き込まれる。
さて、アジア太平洋戦争を検証していくと、軍人だけが戦ったわけではないことに気づかされる。
召集され民間人から兵士にされてしまった人たちが宇品港から南方に送られ、無事帰国できた人たちが宇品港に帰ってきた。
その宇品港の暁部隊が兵站を担っていたことを先般取り上げた。
兵站=糧秣などを運搬したのが徴用船であるが、民間の船を徴用するくらいだから、徴用船は警護も手薄だったことから、ことごとく沈められていくことになる。
勝者の米国は、その辺り抜け目がないというか、調べがしっかりしていたから、兵站がたたかれてしまえば、戦争を継続することはむずかしくなってしまう。
緊急事態条項を考えている議員は自分が戦争に行くわけではないから、米国の思惑に乗せられているが、自衛隊員とその家族にしたら大変なことだから、参議院議員選挙で投票をするとき、しっかり考えてもらいたい。
徴用船の乗組員の立場に立てば、戦争になれば、いつ、同じ目に遭わないとも限らない。
参議院議員選挙で戦争に巻き込まれない政党を選択する以外に道はない。
1944年11月3日未明、大阪商船(現商船三井)のタンカー「大明丸」(6723総d)がボルネオ島ミリの北西約350`を重油8000dを満載で航行中魚雷攻撃を受け沈抜した。
新潟県村上市の農家の次男に生まれ、軍国教育を受けた大矢秀二さん(95)は、その時、赤道に近い海で暑さをしのぐため、甲板で寝転んでいたことから、沈みゆく船の船尾にようやくたどり着き、ボートを下ろし、縄梯子で乗り移るや、茫然と見守る目の前で大明丸は海中に姿を消した。
5月14日、横須賀市観音崎公園にある「戦没船員の碑」で営まれた追悼式に参列した大矢さん。
「戦争に行ったことを勇敢だと思ってほしくない。本当の勇敢さとは、戦争を止めることだった」と語る。
「戦没した船と海員の資料館」(神戸市)によれば、国は、「戦時海運管理令」などに基づいて民間船舶と船員を徴用し、兵士や物資、燃料の輸送任務に充てた。
アジア太平洋戦争敗戦から80年。
父親が召集され、南方の島スマトラ島に派兵されるも、運よく帰国できたから生まれた団塊の世代の一員としては、親米派の自民党政権が米国の対中戦略に乗せられ、再び戦争に巻き込まれそうになっていることを危惧している。
せっかく、戦争の勝者米国の肝いりでできた平和憲法である日本国憲法を改め、治安維持法同様の緊急事態条項、戦前、戦中でいえば、戒厳令の役割を果たす条項で米国の戦争に自衛隊を派兵させようと目論む保守派勢力の台頭が不安でならない。
戦争といえば、アジア太平洋戦争の反省がきちんとなされてこなかったことから、再び、戦争への道を進もうとしているとしか思えない。
靖国神社へのA級戦犯の合祀以降、戦争責任が揺らいでいる。
学生時代、アメリカ帝国主義は張子の虎だと北京放送が流していたが、今や、その中国が帝国主義化し、覇権主義の大国として、米国と覇権を競っている。
米国はその中国が台湾を統一しようとしていると危機を煽り、日本の自衛隊に中国との戦争をさせようと目論む。
目を覚まさないといつの間にか戦争が始まってしまう。
緊急事態条項を断固絶対阻止しなければ遠からず戦争に巻き込まれる。
さて、アジア太平洋戦争を検証していくと、軍人だけが戦ったわけではないことに気づかされる。
召集され民間人から兵士にされてしまった人たちが宇品港から南方に送られ、無事帰国できた人たちが宇品港に帰ってきた。
その宇品港の暁部隊が兵站を担っていたことを先般取り上げた。
兵站=糧秣などを運搬したのが徴用船であるが、民間の船を徴用するくらいだから、徴用船は警護も手薄だったことから、ことごとく沈められていくことになる。
勝者の米国は、その辺り抜け目がないというか、調べがしっかりしていたから、兵站がたたかれてしまえば、戦争を継続することはむずかしくなってしまう。
緊急事態条項を考えている議員は自分が戦争に行くわけではないから、米国の思惑に乗せられているが、自衛隊員とその家族にしたら大変なことだから、参議院議員選挙で投票をするとき、しっかり考えてもらいたい。
徴用船の乗組員の立場に立てば、戦争になれば、いつ、同じ目に遭わないとも限らない。
参議院議員選挙で戦争に巻き込まれない政党を選択する以外に道はない。
2025年06月08日
「変えたい」と願い 書き、撮り、闘う人
五百旗頭幸男監督『能登デモクラシー』とパレスチナ人バーセル・アドラー、イスラエル人ユヴァル・アブラハーム監督『ノー・アザーランド 故郷は他にない』の2作品を観て自らの仕事について考えた。と文化部次長田中誠と文責を明らかにしたコラムを5月25日の読売が広角/多角でみつけた。
過疎化の進む石川県穴水町を舞台に、地元メディアの存在意義を重ねながら、忖度がはびこる役場と町議会のいびつな関係を浮き彫りにした『能登デモクラシー』。
撮影中に起きた能登半島地震からの復興と民主主義の再生への希望を抱かせると紹介していた。
手書きの新聞「紡ぐ」を発行し続けている元中学校教師の滝井元之さんを主人公に「言い続けることの方が意味がある」「何もしなければ何も変わらない」と取材、編集から配布まで全部ひとりで行い、町政に警鐘を鳴らしている。
イスラエルが占領を進めるヨルダン川西岸地区でパレスチナ人のベドウィン(遊牧民)集落がイスラエル軍によって襲撃され、住めなくされている様子をパレスチナの青年がカメラで撮り、友人のイスラエルの青年と力を合わせ、国際社会に発信する『ノーアザーランド 故郷は他にない』。
「入植者襲撃 消える集落」「住民『ここはもう限界』 ヨルダン川西岸」「入植者が侵入 嫌がらせ」「ガザ食料トラック15台略奪」という見出しで、5月25日の読売もパレスチナ住民の苦境を伝えている。
能登半島でデモクラシーのために現状を変えたいと願い新聞を発行している。ヨルダン川西岸で身の危険を顧みず、イスラエル軍と入植者がパレスチナの人々を苦しめる暴力をカメラで撮って国際社会を動かそうとしているパレスチナとイスラエルの青年の友情と較べ、コラムを書いている筆者は地に足がついていないと反省し、せめて、何かを変えたいと、それぞれの場所で闘っている人たちの思いを届けたい。と結ぶ。
『能登デモクラシー』はポレポレ東中野で上映中であることは知っていたが、久しぶりのフランス映画だった『秋が来るとき』を観てしまったので、月に一度の映画館行きと決めていることから見逃してしまった。
『ノーアザーランド 故郷は他にない』は3月に観ているが、語り継ぐ戦争の立場から、満蒙開拓団とイスラエルの入植者が重なって、ユダヤ人国家イスラエルの後ろ盾米国とユダヤ人のただならぬ関係がパレスチナの人々を苦しめることにつながっていることから、米国はつくづく嫌な国だなと思った。
「『変えたい』と願い 書き、撮り、闘う人」と見出しにあったが、「遥かな道」として、語り継ぐ戦争、犯罪被害者支援などを訴えている自分もその一人には違いない。
まあ、世の中に対する影響力はないに等しいが、それでも、一人でも多くの人に戦争は二度とごめんだということで、わかってもらいたいとは願っている。
一人の力ではどうにもならないことでも、数が増えれば影響力がでてくるというものではないか。
過疎化の進む石川県穴水町を舞台に、地元メディアの存在意義を重ねながら、忖度がはびこる役場と町議会のいびつな関係を浮き彫りにした『能登デモクラシー』。
撮影中に起きた能登半島地震からの復興と民主主義の再生への希望を抱かせると紹介していた。
手書きの新聞「紡ぐ」を発行し続けている元中学校教師の滝井元之さんを主人公に「言い続けることの方が意味がある」「何もしなければ何も変わらない」と取材、編集から配布まで全部ひとりで行い、町政に警鐘を鳴らしている。
イスラエルが占領を進めるヨルダン川西岸地区でパレスチナ人のベドウィン(遊牧民)集落がイスラエル軍によって襲撃され、住めなくされている様子をパレスチナの青年がカメラで撮り、友人のイスラエルの青年と力を合わせ、国際社会に発信する『ノーアザーランド 故郷は他にない』。
「入植者襲撃 消える集落」「住民『ここはもう限界』 ヨルダン川西岸」「入植者が侵入 嫌がらせ」「ガザ食料トラック15台略奪」という見出しで、5月25日の読売もパレスチナ住民の苦境を伝えている。
能登半島でデモクラシーのために現状を変えたいと願い新聞を発行している。ヨルダン川西岸で身の危険を顧みず、イスラエル軍と入植者がパレスチナの人々を苦しめる暴力をカメラで撮って国際社会を動かそうとしているパレスチナとイスラエルの青年の友情と較べ、コラムを書いている筆者は地に足がついていないと反省し、せめて、何かを変えたいと、それぞれの場所で闘っている人たちの思いを届けたい。と結ぶ。
『能登デモクラシー』はポレポレ東中野で上映中であることは知っていたが、久しぶりのフランス映画だった『秋が来るとき』を観てしまったので、月に一度の映画館行きと決めていることから見逃してしまった。
『ノーアザーランド 故郷は他にない』は3月に観ているが、語り継ぐ戦争の立場から、満蒙開拓団とイスラエルの入植者が重なって、ユダヤ人国家イスラエルの後ろ盾米国とユダヤ人のただならぬ関係がパレスチナの人々を苦しめることにつながっていることから、米国はつくづく嫌な国だなと思った。
「『変えたい』と願い 書き、撮り、闘う人」と見出しにあったが、「遥かな道」として、語り継ぐ戦争、犯罪被害者支援などを訴えている自分もその一人には違いない。
まあ、世の中に対する影響力はないに等しいが、それでも、一人でも多くの人に戦争は二度とごめんだということで、わかってもらいたいとは願っている。
一人の力ではどうにもならないことでも、数が増えれば影響力がでてくるというものではないか。
2025年06月07日
規格外リンゴ 子ども食堂に 五所川原農林
青森県立五所川原農林高校で規格外リンゴを子ども食堂に提供するなどフードバンク活動に取り組み、フードロス対策と一石二鳥の取り組みをしていると6月4日の読売がSDGs@スクールというタイトルの紙面で伝えている。
同校の6次産業研究室の㏋によれば、活動テーマ
地域資源「青森りんご」を活用したフードバンクプロジェクト〜子ども食堂に旬の農産物を届けるための仕組みづくりと実践〜
【私たちの志】
農業高校生の強みを生かし、青森県津軽地域の「子どもの貧困問題」解決に挑戦する!
と紹介されている。
規格外りんごなどが原料のジュース「五農の恵み」の売り上げで購入したコメや野菜といった食材も合わせ、毎年100㌕以上を五所川原市内の子ども食堂「憩いの広場ここ丸」などに届けてきた
2年前からは東京や岡山、埼玉などの高校と協力して活動範囲を広げた。「シェアップル」と名付け、協力校を通じ、規格外リンゴ10㌕ずつを無償で子ども食堂など計8か所に送る。輸送費は「五農の恵み」の販売益で賄った。
地域の小学生や保護者らに田植え体験を同校の水田で開催している。
青森県の五所川原といえば、水森かおりが「女みちのく五能線」と歌った五能線の発着駅であり、太宰治の生家斜陽館がある金木に行くとき乗る津軽鉄道の発着駅もある。
地吹雪ツアーで知られるストーブ列車が津軽鉄道の名物だ。
「雪国」を歌ったあの吉幾三が住んでいることでも知られる街である。
青森といえば、夏のねぶた祭で知られるが、弘前はねぷたで五所川原は立佞武多で知られる。
津軽といえば、太宰治の『津軽』を読んだことがあるが、なんといってもリンゴの産地だ。
青森県立五所川原農林高校の生徒たちが規格外リンゴを子ども食堂に送っていることを読売が教えてくれた。
生徒諸君と指導者の先生に敬意を表しエールをおくりたい。
我が国でリンゴの産地といえば、津軽と信州が有名である。山形などでもリンゴを生産していることは知っているが、津軽のリンゴといえば、自分と同世代の木村秋則さんが11年かけて無農薬リンゴの栽培に成功したことを取り上げたことがあった。
その業績は2013年『奇跡のリンゴ』として映画化されたので観ている。
実は果物の中でリンゴが大好きで、毎朝、ヨーグルトとロシア製法の黒パンを食べ、昼にヨーグルトとリンゴを食べている。
青森は下北半島、津軽半島と行っているが、石川さゆりが歌った「上野発の夜行列車を降りた」時代の話で、語り継ぐ戦争で2010年6月におよそ30年ぶりに訪れ、米軍に撃沈された青函連絡船の犠牲者の慰霊をした。
春の桜、夏のねぶた、秋の紅葉、冬のストーブ列車と見どころは季節ごとにある津軽。
自分の好きな街の一つである津軽。
五所川原農林高校の生徒諸君のお陰で、旅の思い出に耽ることができたし、子ども食堂では食材提供という社会的に意義のある支援をしているということで嬉しくなった。
引き続き、後輩たちにも引き継いでほしい。
同校の6次産業研究室の㏋によれば、活動テーマ
地域資源「青森りんご」を活用したフードバンクプロジェクト〜子ども食堂に旬の農産物を届けるための仕組みづくりと実践〜
【私たちの志】
農業高校生の強みを生かし、青森県津軽地域の「子どもの貧困問題」解決に挑戦する!
と紹介されている。
規格外りんごなどが原料のジュース「五農の恵み」の売り上げで購入したコメや野菜といった食材も合わせ、毎年100㌕以上を五所川原市内の子ども食堂「憩いの広場ここ丸」などに届けてきた
2年前からは東京や岡山、埼玉などの高校と協力して活動範囲を広げた。「シェアップル」と名付け、協力校を通じ、規格外リンゴ10㌕ずつを無償で子ども食堂など計8か所に送る。輸送費は「五農の恵み」の販売益で賄った。
地域の小学生や保護者らに田植え体験を同校の水田で開催している。
青森県の五所川原といえば、水森かおりが「女みちのく五能線」と歌った五能線の発着駅であり、太宰治の生家斜陽館がある金木に行くとき乗る津軽鉄道の発着駅もある。
地吹雪ツアーで知られるストーブ列車が津軽鉄道の名物だ。
「雪国」を歌ったあの吉幾三が住んでいることでも知られる街である。
青森といえば、夏のねぶた祭で知られるが、弘前はねぷたで五所川原は立佞武多で知られる。
津軽といえば、太宰治の『津軽』を読んだことがあるが、なんといってもリンゴの産地だ。
青森県立五所川原農林高校の生徒たちが規格外リンゴを子ども食堂に送っていることを読売が教えてくれた。
生徒諸君と指導者の先生に敬意を表しエールをおくりたい。
我が国でリンゴの産地といえば、津軽と信州が有名である。山形などでもリンゴを生産していることは知っているが、津軽のリンゴといえば、自分と同世代の木村秋則さんが11年かけて無農薬リンゴの栽培に成功したことを取り上げたことがあった。
その業績は2013年『奇跡のリンゴ』として映画化されたので観ている。
実は果物の中でリンゴが大好きで、毎朝、ヨーグルトとロシア製法の黒パンを食べ、昼にヨーグルトとリンゴを食べている。
青森は下北半島、津軽半島と行っているが、石川さゆりが歌った「上野発の夜行列車を降りた」時代の話で、語り継ぐ戦争で2010年6月におよそ30年ぶりに訪れ、米軍に撃沈された青函連絡船の犠牲者の慰霊をした。
春の桜、夏のねぶた、秋の紅葉、冬のストーブ列車と見どころは季節ごとにある津軽。
自分の好きな街の一つである津軽。
五所川原農林高校の生徒諸君のお陰で、旅の思い出に耽ることができたし、子ども食堂では食材提供という社会的に意義のある支援をしているということで嬉しくなった。
引き続き、後輩たちにも引き継いでほしい。
2025年06月06日
『秋が来るとき』
月に一度の映画館行き、6月はフランソワ・オゾン監督『秋が来るとき』を観てきた。
久しぶりのフランス映画、緑豊かな街ブルゴーニュを舞台に、タイトルにあるように人生を季節に例えれば秋から冬を迎える80代の一人暮らしの女性、しかも誰にもしゃべりたくない過去を抱え、関係が冷え込んでいる一人娘と愛情を注いでいる孫、親友との絆などを描いた物語。
80歳のミシェルが暮らすブルゴーニュは緑豊かで羨ましくなるほどの街。ある日、パリに住む一人娘と孫が遊びにやってくる。母親だからミシェルは森で採ったキノコを使った料理でもてなすのだが、一人だけ食べた娘が食中毒になってしまう。
離婚調停中で精神が安定していない娘は「私を殺そうとした」と母親を詰るのだ。
一人暮らしのミシェルには親友がいて、互いに支えあって生きているのだが、煙草をすぱすぱ吸う親友は堅気の人にはみえない。彼女の息子は刑務所に収容中。間もなく出所できそうだということで、二人は子育てに失敗したと語り合う。
息子が出所してから事件が起こり、物語は展開していくのだが、興趣をそいでしまうからストーリーはこのくらいにしておく。
れいわ新選組の山本太郎代表が厚労省などの調査を基に一人暮らしの女性の貧困問題を取り上げている。
若い女性から高齢者まで、非正規雇用かつ派遣労働の女性たちは高齢になって年金が国年ということで給付される金額が少ないから、高齢になっても働き続けなければ生きていかれない。
語り継ぐ戦争だから、敗戦後の日本やドイツなどの女性は生きるために仕方なく春を鬻いだ。
そう、菊池章子の「星の流れに」身を占ったヒロインみたいにだ。
年金がきちんと給付されていれば、何とか生活はできるだろうが、働いて老後の資金を蓄えることなど至難の業である。
ミシエルは生活に困っている様子がなかったが、親友は生活が大変そうだった。
80歳で一人暮らしで、親友との交友以外につきあっている人がいないとなれば、過去に理由ありかなと思うのが普通であろう。
結局、しゃべりたくない過去とはやはりそうだった。
1940年の作品、マーヴィン・ルロイ監督、ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー主演『哀愁』でも取り上げられていたが、生きるため、生活のためにやむを得ずということだったとミシェルは孫に問われて答える。
戦後、基地の街では鬼畜米英と呼んでいた敵国の米兵を相手にした女性たちを蔑む、差別する堅気の人たちがいたが、自分がその立場になれば、きれいごとでは食べていかれない。
普通の仕事では非正規雇用で、派遣労働という女性が少なくないわけだから、この職業は今でも現実には託児所付きというような労働環境で存在している。
しかし、主題となっている母と娘の関係の難しさは、長く購読している読売の人生案内の昨6月5日でも同様の相談があったくらいである。
生きていくには、性別を超えて、自立していないと自由には生きていかれないものだと映画を観て考えさせられた。
後期高齢者になってしまった自分には連れ合いがいてくれてありがたいと手を合わせてしまった。
久しぶりのフランス映画、緑豊かな街ブルゴーニュを舞台に、タイトルにあるように人生を季節に例えれば秋から冬を迎える80代の一人暮らしの女性、しかも誰にもしゃべりたくない過去を抱え、関係が冷え込んでいる一人娘と愛情を注いでいる孫、親友との絆などを描いた物語。
80歳のミシェルが暮らすブルゴーニュは緑豊かで羨ましくなるほどの街。ある日、パリに住む一人娘と孫が遊びにやってくる。母親だからミシェルは森で採ったキノコを使った料理でもてなすのだが、一人だけ食べた娘が食中毒になってしまう。
離婚調停中で精神が安定していない娘は「私を殺そうとした」と母親を詰るのだ。
一人暮らしのミシェルには親友がいて、互いに支えあって生きているのだが、煙草をすぱすぱ吸う親友は堅気の人にはみえない。彼女の息子は刑務所に収容中。間もなく出所できそうだということで、二人は子育てに失敗したと語り合う。
息子が出所してから事件が起こり、物語は展開していくのだが、興趣をそいでしまうからストーリーはこのくらいにしておく。
れいわ新選組の山本太郎代表が厚労省などの調査を基に一人暮らしの女性の貧困問題を取り上げている。
若い女性から高齢者まで、非正規雇用かつ派遣労働の女性たちは高齢になって年金が国年ということで給付される金額が少ないから、高齢になっても働き続けなければ生きていかれない。
語り継ぐ戦争だから、敗戦後の日本やドイツなどの女性は生きるために仕方なく春を鬻いだ。
そう、菊池章子の「星の流れに」身を占ったヒロインみたいにだ。
年金がきちんと給付されていれば、何とか生活はできるだろうが、働いて老後の資金を蓄えることなど至難の業である。
ミシエルは生活に困っている様子がなかったが、親友は生活が大変そうだった。
80歳で一人暮らしで、親友との交友以外につきあっている人がいないとなれば、過去に理由ありかなと思うのが普通であろう。
結局、しゃべりたくない過去とはやはりそうだった。
1940年の作品、マーヴィン・ルロイ監督、ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー主演『哀愁』でも取り上げられていたが、生きるため、生活のためにやむを得ずということだったとミシェルは孫に問われて答える。
戦後、基地の街では鬼畜米英と呼んでいた敵国の米兵を相手にした女性たちを蔑む、差別する堅気の人たちがいたが、自分がその立場になれば、きれいごとでは食べていかれない。
普通の仕事では非正規雇用で、派遣労働という女性が少なくないわけだから、この職業は今でも現実には託児所付きというような労働環境で存在している。
しかし、主題となっている母と娘の関係の難しさは、長く購読している読売の人生案内の昨6月5日でも同様の相談があったくらいである。
生きていくには、性別を超えて、自立していないと自由には生きていかれないものだと映画を観て考えさせられた。
後期高齢者になってしまった自分には連れ合いがいてくれてありがたいと手を合わせてしまった。
2025年06月05日
治安維持法制定から100年 戦争を防ぐための外交を
6月5日の集英社オンラインで「『戦没者のおかげで今の日本がある』という欺瞞。戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」すべてにある」という語り継ぐ戦争の立場からは放ってはおけないことが発信されていたので書いておく。
狭い国土の日本が戦場になるとどうなるのか?――沖縄戦の悲劇の構造を知ることで、その実相が見えてくる。沖縄戦研究の第一人者・林博史氏は、膨大な資料と最新の知見を駆使して『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』を上梓した。
その林氏との共著『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』(沖縄タイムス社)を2024年に刊行した沖縄戦研究者の川満彰氏が、多大な犠牲を生んだ沖縄戦の背景と、新たな戦争を防ぐために何が必要かについて語りあった。
「亡くなった人のおかげ」は戦争に対する責任逃れであり、戦後の高度経済成長は生きている人たちが頑張ったからだ。
一部を除く政治家や戦争を正当化する人たちが、「亡くなった人のおかげ」というような話をしていくと、そこでもう、亡くなった人が「英霊化」されてしう。英霊であり英雄だから、誰が殺したのかという戦争責任も何もなくなってしまう。
「軍が悪かった」という言い方をされるが戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」にある。
実は治安維持法を含めた「弾圧のための法規」を適用したのが警察官僚であったようにだ。
戦争体験者に共感するだけでなく「なぜ戦争を防げなかったのか」という社会科学的分析が必要。
戦争非体験者が大枠を作って、その中に戦争体験者のお話を入れていくという形にしたほうが、今の人たちに理解しやすい。
日英同盟から日米同盟まで常に“最強国”とくっついてきた日本だが、今こそ真の外交力が求められている。
以上が要旨である。
戦後80年、A級戦犯が合祀されている靖国神社に自民党など保守派の国会議員がお参りするニュースが流れるたび、改めてA級戦犯に第一義的に戦争責任があると強く意識する。
警察や行政、政治家やメディアに責任がないなどと言うつもりは全くない。
無理やり召集され、拒否権は無論なく、死ねば勝手に英霊にされてしまう。
戦没者と戦犯で処刑された人間がなぜ合祀されるのか理解できない。
戦没者を英霊だと戦争を企んだ人間が位置づけることとは別にして、現在の平和は誰が何といっても戦没者のお陰である。
戦争体験者が退場していくとき、戦争を体験していない戦後世代が戦争の原因を追究し、体験者の証言を交えることは語り継ぐ戦争の立場から、佳い試みだと評価する。
戦後80年、相変わらず米軍基地で日本が支配され、東京の制空権さえも米軍横田基地が支配している実情は危険すぎる。
米国は中国が台湾を統一しようとしていると日本の自民党政府を煽っているが、自民党政権を続けさせれば、このままでは、台湾を巡って中国と戦争させられてしまう。
だからこそ、外交が大事になってくるが、れいわ新選組の山本太郎代表も全国行脚で訴えているように今こそ外交の力を発揮するときである。
中国からの輸入がストップしたら、日本経済は成り立たないからだ。
歴代自民党政権は外国に首相や外務大臣が行くとき、必ず、税金から手土産に援助金を持っていき、自分たちは歓待され気分がいいだろうが、国民は貧困に喘いでいる。
治安維持法制定100年、これと同じことになるのが、自民党、保守派勢力が企む日本国憲法に緊急事態条項を盛り込むことである。
治安維持法が制定され、『蟹工船』で知られる小林多喜二など戦争に反対する人たちが特高警察の取り調べで拷問、虐殺されたことをくりかえしてはならない。
戦争責任は日本軍の上層部にあることはまちがいないが、特高警察や行政、メディアなどにもあることも間違いない。
狭い国土の日本が戦場になるとどうなるのか?――沖縄戦の悲劇の構造を知ることで、その実相が見えてくる。沖縄戦研究の第一人者・林博史氏は、膨大な資料と最新の知見を駆使して『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』を上梓した。
その林氏との共著『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』(沖縄タイムス社)を2024年に刊行した沖縄戦研究者の川満彰氏が、多大な犠牲を生んだ沖縄戦の背景と、新たな戦争を防ぐために何が必要かについて語りあった。
「亡くなった人のおかげ」は戦争に対する責任逃れであり、戦後の高度経済成長は生きている人たちが頑張ったからだ。
一部を除く政治家や戦争を正当化する人たちが、「亡くなった人のおかげ」というような話をしていくと、そこでもう、亡くなった人が「英霊化」されてしう。英霊であり英雄だから、誰が殺したのかという戦争責任も何もなくなってしまう。
「軍が悪かった」という言い方をされるが戦争責任は行政・教育・メディアを含め、「軍官民」にある。
実は治安維持法を含めた「弾圧のための法規」を適用したのが警察官僚であったようにだ。
戦争体験者に共感するだけでなく「なぜ戦争を防げなかったのか」という社会科学的分析が必要。
戦争非体験者が大枠を作って、その中に戦争体験者のお話を入れていくという形にしたほうが、今の人たちに理解しやすい。
日英同盟から日米同盟まで常に“最強国”とくっついてきた日本だが、今こそ真の外交力が求められている。
以上が要旨である。
戦後80年、A級戦犯が合祀されている靖国神社に自民党など保守派の国会議員がお参りするニュースが流れるたび、改めてA級戦犯に第一義的に戦争責任があると強く意識する。
警察や行政、政治家やメディアに責任がないなどと言うつもりは全くない。
無理やり召集され、拒否権は無論なく、死ねば勝手に英霊にされてしまう。
戦没者と戦犯で処刑された人間がなぜ合祀されるのか理解できない。
戦没者を英霊だと戦争を企んだ人間が位置づけることとは別にして、現在の平和は誰が何といっても戦没者のお陰である。
戦争体験者が退場していくとき、戦争を体験していない戦後世代が戦争の原因を追究し、体験者の証言を交えることは語り継ぐ戦争の立場から、佳い試みだと評価する。
戦後80年、相変わらず米軍基地で日本が支配され、東京の制空権さえも米軍横田基地が支配している実情は危険すぎる。
米国は中国が台湾を統一しようとしていると日本の自民党政府を煽っているが、自民党政権を続けさせれば、このままでは、台湾を巡って中国と戦争させられてしまう。
だからこそ、外交が大事になってくるが、れいわ新選組の山本太郎代表も全国行脚で訴えているように今こそ外交の力を発揮するときである。
中国からの輸入がストップしたら、日本経済は成り立たないからだ。
歴代自民党政権は外国に首相や外務大臣が行くとき、必ず、税金から手土産に援助金を持っていき、自分たちは歓待され気分がいいだろうが、国民は貧困に喘いでいる。
治安維持法制定100年、これと同じことになるのが、自民党、保守派勢力が企む日本国憲法に緊急事態条項を盛り込むことである。
治安維持法が制定され、『蟹工船』で知られる小林多喜二など戦争に反対する人たちが特高警察の取り調べで拷問、虐殺されたことをくりかえしてはならない。
戦争責任は日本軍の上層部にあることはまちがいないが、特高警察や行政、メディアなどにもあることも間違いない。
2025年06月04日
ヒロシマ 世界を動かした2人の少女
NHK映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ核の80年Aヒロシマ 世界を動かした2人の少女が放送された。
今年、アメリカの科学雑誌が発表した「終末時計」は、過去最短の残り89秒を示した。時計の針を押し止めようとする力となった2人の少女がいた。広島で被爆した佐々木禎子と中村節子。禎子は白血病を患い折り鶴に希望を託しながら12歳でこの世を去る。節子は生き埋めから奇跡的に生還、戦後カナダに移住し、英語で原爆被害を生々しく伝え続けた。2人の願いは大きなうねりを起こし、21世紀、核兵器禁止条約成立へとつながる。と㏋にある。
語り継ぐ戦争だから、米国が日本に原爆を落としたのは人種差別が根底にあるからだと発信してきた。
日本からみればアジア太平洋戦争ということになるが、世界からみれば、第二次世界大戦ということで、米国はナチスのドイツとも戦い、米国が常に味方するユダヤ人が迫害されたにもかかわらず、米国はドイツには原爆を落とさず、日本にだけ2度も落としたことは人種差別以外の何物でもない。
そう、カラードピープル、イエロージャップだから日系人だけ戦時中、収容所に入れられたことがその証明である。
米国でさんざん差別され、今また、トランプ大統領に嫌われている黒人否アフリカ系米国人は沖縄に駐留している米軍の中で、明らかに日本人を差別し、沖縄県民女性を性的暴行してきた。
昔からある、差別された人はもっと弱い人を差別するという原理のとおりである。
このことは、本土の人間から差別された琉球人が奄美の人を差別してきたことに表れている。
さて、被爆者の二人の少女である。
一人は佐々木禎子さん、もう一人は中村節子さん。
佐々木禎子さんは、千羽折れば病気が治るとの願いで折り鶴を折ったことで知られている。
俳優吉永小百合さんが「吉永小百合 平和への絆コンサート」Gで「佐々木貞子物語」を朗読していることでも知られる。
吉永小百合さんといえば、胎内被爆者で山陰の温泉町の芸妓夢千代としてもよく知られている平和活動家でもある。
中村節子さんは、留学し結婚してからはサーロ節子として、英語で被爆の語り部として長く活動されてきたことで知られる。
早くに放射能が原因で亡くなってしまった佐々木禎子さんは亡くなってからその名が語り継がれている。
一方、留学して英語で被爆の実相を語り継いでいるサーロ節子さんは、原爆落としたのは戦争を止めさせるためだと正当化する米国人に対し、非武装の市民を狙い撃ちにしたジェノサイドだと米国人に原爆投下で被爆者が苦しめられていることを語り継いでいる。
こうした活動が核兵器禁止条約につながり、被団協のノーベル平和賞受賞に貢献したのだろう。
被爆者の苦しみを日本政府は理解せず、米国の原爆投下の事実を消そうとしているとしか思えない。
親米の政府に対し、反米の立場である自分は、米国の企む台湾防衛戦争に日本が絶対巻き込まれないようにしたいと考えている。
ために、米国の原爆投下に対し謝罪を求め続けていく。
今年、アメリカの科学雑誌が発表した「終末時計」は、過去最短の残り89秒を示した。時計の針を押し止めようとする力となった2人の少女がいた。広島で被爆した佐々木禎子と中村節子。禎子は白血病を患い折り鶴に希望を託しながら12歳でこの世を去る。節子は生き埋めから奇跡的に生還、戦後カナダに移住し、英語で原爆被害を生々しく伝え続けた。2人の願いは大きなうねりを起こし、21世紀、核兵器禁止条約成立へとつながる。と㏋にある。
語り継ぐ戦争だから、米国が日本に原爆を落としたのは人種差別が根底にあるからだと発信してきた。
日本からみればアジア太平洋戦争ということになるが、世界からみれば、第二次世界大戦ということで、米国はナチスのドイツとも戦い、米国が常に味方するユダヤ人が迫害されたにもかかわらず、米国はドイツには原爆を落とさず、日本にだけ2度も落としたことは人種差別以外の何物でもない。
そう、カラードピープル、イエロージャップだから日系人だけ戦時中、収容所に入れられたことがその証明である。
米国でさんざん差別され、今また、トランプ大統領に嫌われている黒人否アフリカ系米国人は沖縄に駐留している米軍の中で、明らかに日本人を差別し、沖縄県民女性を性的暴行してきた。
昔からある、差別された人はもっと弱い人を差別するという原理のとおりである。
このことは、本土の人間から差別された琉球人が奄美の人を差別してきたことに表れている。
さて、被爆者の二人の少女である。
一人は佐々木禎子さん、もう一人は中村節子さん。
佐々木禎子さんは、千羽折れば病気が治るとの願いで折り鶴を折ったことで知られている。
俳優吉永小百合さんが「吉永小百合 平和への絆コンサート」Gで「佐々木貞子物語」を朗読していることでも知られる。
吉永小百合さんといえば、胎内被爆者で山陰の温泉町の芸妓夢千代としてもよく知られている平和活動家でもある。
中村節子さんは、留学し結婚してからはサーロ節子として、英語で被爆の語り部として長く活動されてきたことで知られる。
早くに放射能が原因で亡くなってしまった佐々木禎子さんは亡くなってからその名が語り継がれている。
一方、留学して英語で被爆の実相を語り継いでいるサーロ節子さんは、原爆落としたのは戦争を止めさせるためだと正当化する米国人に対し、非武装の市民を狙い撃ちにしたジェノサイドだと米国人に原爆投下で被爆者が苦しめられていることを語り継いでいる。
こうした活動が核兵器禁止条約につながり、被団協のノーベル平和賞受賞に貢献したのだろう。
被爆者の苦しみを日本政府は理解せず、米国の原爆投下の事実を消そうとしているとしか思えない。
親米の政府に対し、反米の立場である自分は、米国の企む台湾防衛戦争に日本が絶対巻き込まれないようにしたいと考えている。
ために、米国の原爆投下に対し謝罪を求め続けていく。
2025年06月03日
医療を考える
NHKETV特集“断らない病院”のリアルで、「患者を断らない」を理想に掲げ、年間3万人の救急患者を受け入れる地域医療“最後の砦”にカメラが入った。神戸市立医療センター中央市民病院。「働き方改革」という現実に“医療の質”をどう守るのか苦悩する医師。過去最大規模の赤字も明らかになり、経営を揺るがす事態に。患者の安全、医師の健康、安定した経営…。相反する難題に院長が出した答えとは? “断らない病院”が照射する日本医療のリアルだ。
6月2日のクローズアップ現代で、「まさか都市部で...相次ぐ病院閉鎖・休止 医療の未来は」を放送。
「大きな病院がたくさんある都会なら、医療は安心」そんなイメージが崩れはじめている。患者は多くとも深刻な赤字を抱え、そこに医師不足、建物の老朽化など、複合的な要因が重なり、都市部の病院が相次いで閉院や休止に追い込まれている。「必要な医療に力を入れるほど経営が傾いてしまう」と、ジレンマを語る医師たち。番組では、病院の経営リスクとその背景を多角的に検証。命を守るために何が必要か、医療の未来を考える。
NHK特集「ドキュメント 医療限界社会 追いつめられた病院で」を視聴した。「患者を診ない医師もいれば、薬の処方を間違える医師もいます・・・」ある病院からNHKに届いた“限界”を訴える悲鳴。取材班のカメラが記録したのは、深刻な医師不足を背景に「医療の質」という、守るべき一線が脅かされているという衝撃の実態だった。これまでの医療を維持できない“医療限界社会”ともいうべき現実―。患者を守るために何が必要か?追いつめられた病院の密着取材から、あるべき医療とは何かを考える。
内容は3件ともそれぞれ、公開されている㏋から紹介させていただいた。
後期高齢者になって、目、耳、歯と体のあちこちガタが来て、医師の先生には本当にお世話になっていて感謝している。
40代早々、炎症性腸疾患クローン病になってからお世話になっているから大袈裟ではなく医師のお陰でここまで生きてこられた。
身近な親族に3人医師がいることも相俟って医師が大変な職業であることは知っていた。
生まれ育ったのが首都圏の田舎町であったが、東京一極集中で首都圏も人口増で、街の様子も様変わりした。
それでも大学病院がなく、自治体の経営する病院だけだから、家族が膝を痛めて歩けなくなった時、救急車をお願いしたら、救急隊員の電話が自治体の病院に断られ、隣町の病院に運んでもらったことがあるくらいで、安心できる状況とは言い難い。
クリニックはどこに行けばいいか考えるほど数はある。
さて、NHKが放送した神戸、大都会東京の吉祥寺と千葉県の市原、そして、山陰地方の病院のそれぞれを視聴した結果、病院と言えども、経営が赤字続きであれば、破綻してしまうので、銀行を救済した時のように公的資金を投入するか、診療報酬を上げるかすることが必要になっているということ。
さらに、都会と地方の問題もある。
医師が集まる都会と較べ、地方には医師が数で不足している現実だった。
日本の都道府県には国立大学、それも医学部が設置されているが、都道府県の国立大学医学部で学んだ医師がみな、大都会に行ってしまうことで医師が足りなくなってしまう。
自民党が構造改革だと耳に心地よい響きの言葉で、大学病院の医局がやってきたことを変えてしまったことから、それまで、大学の医学部の教授が教え子を地方に派遣していた制度が壊されてしまったことも田舎に医師が集まらない原因となっている。
さらに、働き方改革で残業の抑制を進めた結果、ますます人手不足になっていることもある。
特に、地方の医師不足は山陰地方の病院を例にすれば、医師が専門外、総合診療医のようなどんな患者も診るという医師の負担は計り知れないことになって、退職者がさらに増えることになってしまう。
総合医といえば、TVで放送された「ドクターコト―診療所」のコト―先生こと五島健助医師を思い浮かべててもらえばわかりやすい。
地方の医師不足を解消するためには、現在もあるだろうが、入学する枠に卒業後、一定年数その県で働く。あるいは県で働けば奨学金を免除することなどが考えられるし、医師の待遇をよくすることも当然のことである。
コメ不足の原因は自民党の減反政策の失敗であり、備蓄していた古古古米を廉価で販売されたくらいで喜んでいる場合ではない。
コメを生産する農家が苦しんでいるから、農家に補助金を出して、生産してもらえばコメ不足など起こるわけがない。
能登半島での地震が起きてから、政府のやっていることを見ていると、能登切り捨てとしか思えない。
地方から自民党の議員が出ても、自分は東京に住んでいるから、地方の発展に力が入っていないのではないか。
地方の病院が医師が不足しているのを解決するのが政治というものである。
6月2日のクローズアップ現代で、「まさか都市部で...相次ぐ病院閉鎖・休止 医療の未来は」を放送。
「大きな病院がたくさんある都会なら、医療は安心」そんなイメージが崩れはじめている。患者は多くとも深刻な赤字を抱え、そこに医師不足、建物の老朽化など、複合的な要因が重なり、都市部の病院が相次いで閉院や休止に追い込まれている。「必要な医療に力を入れるほど経営が傾いてしまう」と、ジレンマを語る医師たち。番組では、病院の経営リスクとその背景を多角的に検証。命を守るために何が必要か、医療の未来を考える。
NHK特集「ドキュメント 医療限界社会 追いつめられた病院で」を視聴した。「患者を診ない医師もいれば、薬の処方を間違える医師もいます・・・」ある病院からNHKに届いた“限界”を訴える悲鳴。取材班のカメラが記録したのは、深刻な医師不足を背景に「医療の質」という、守るべき一線が脅かされているという衝撃の実態だった。これまでの医療を維持できない“医療限界社会”ともいうべき現実―。患者を守るために何が必要か?追いつめられた病院の密着取材から、あるべき医療とは何かを考える。
内容は3件ともそれぞれ、公開されている㏋から紹介させていただいた。
後期高齢者になって、目、耳、歯と体のあちこちガタが来て、医師の先生には本当にお世話になっていて感謝している。
40代早々、炎症性腸疾患クローン病になってからお世話になっているから大袈裟ではなく医師のお陰でここまで生きてこられた。
身近な親族に3人医師がいることも相俟って医師が大変な職業であることは知っていた。
生まれ育ったのが首都圏の田舎町であったが、東京一極集中で首都圏も人口増で、街の様子も様変わりした。
それでも大学病院がなく、自治体の経営する病院だけだから、家族が膝を痛めて歩けなくなった時、救急車をお願いしたら、救急隊員の電話が自治体の病院に断られ、隣町の病院に運んでもらったことがあるくらいで、安心できる状況とは言い難い。
クリニックはどこに行けばいいか考えるほど数はある。
さて、NHKが放送した神戸、大都会東京の吉祥寺と千葉県の市原、そして、山陰地方の病院のそれぞれを視聴した結果、病院と言えども、経営が赤字続きであれば、破綻してしまうので、銀行を救済した時のように公的資金を投入するか、診療報酬を上げるかすることが必要になっているということ。
さらに、都会と地方の問題もある。
医師が集まる都会と較べ、地方には医師が数で不足している現実だった。
日本の都道府県には国立大学、それも医学部が設置されているが、都道府県の国立大学医学部で学んだ医師がみな、大都会に行ってしまうことで医師が足りなくなってしまう。
自民党が構造改革だと耳に心地よい響きの言葉で、大学病院の医局がやってきたことを変えてしまったことから、それまで、大学の医学部の教授が教え子を地方に派遣していた制度が壊されてしまったことも田舎に医師が集まらない原因となっている。
さらに、働き方改革で残業の抑制を進めた結果、ますます人手不足になっていることもある。
特に、地方の医師不足は山陰地方の病院を例にすれば、医師が専門外、総合診療医のようなどんな患者も診るという医師の負担は計り知れないことになって、退職者がさらに増えることになってしまう。
総合医といえば、TVで放送された「ドクターコト―診療所」のコト―先生こと五島健助医師を思い浮かべててもらえばわかりやすい。
地方の医師不足を解消するためには、現在もあるだろうが、入学する枠に卒業後、一定年数その県で働く。あるいは県で働けば奨学金を免除することなどが考えられるし、医師の待遇をよくすることも当然のことである。
コメ不足の原因は自民党の減反政策の失敗であり、備蓄していた古古古米を廉価で販売されたくらいで喜んでいる場合ではない。
コメを生産する農家が苦しんでいるから、農家に補助金を出して、生産してもらえばコメ不足など起こるわけがない。
能登半島での地震が起きてから、政府のやっていることを見ていると、能登切り捨てとしか思えない。
地方から自民党の議員が出ても、自分は東京に住んでいるから、地方の発展に力が入っていないのではないか。
地方の病院が医師が不足しているのを解決するのが政治というものである。
2025年06月02日
地図から消された瀬戸内海の大久野島
太平洋戦争中に地図から消された島がある。日本軍が極秘に毒ガスを製造していた瀬戸内海の 大久野島(広島県竹原市)だ。周囲4キロの小島には今も戦争遺跡が残り、「負の歴史」を伝えている。と6月1日の読売(波多江一郎記者)が伝えている。
約100トンのタンク6基が置かれた毒ガス貯蔵庫の壁は所々黒ずんでいる。戦後、毒性を取り除くために火炎放射器で焼かれたためだ。製造施設に電気を供給するディーゼル発電機が置かれた建物は3階建ての吹き抜け構造で、見る者を圧倒する。
大久野島は、広島市の中心部から東に約50キロ。港からフェリーに揺られて15分でたどり着く。4月下旬、毒ガス工場の歴史を伝える山内正之さん(80)が、現地学習に訪れた広島県廿日市市の山陽女学園中等部生たちにこう訴えた。
「日本人は戦争の被害に遭っただけではなく、加害者でもあった。そのことを知ってほしい」
毒ガス工場は、1929年に陸軍の兵器製造所として開所した。海に囲まれた島は機密を守ることが容易である一方で、労働者らが簡単に船で行き来できるため適地となった。
皮膚をただれさせる猛毒の「イペリット」や「ルイサイト」を製造し、37年の日中戦争以降、生産は拡大。一部が戦場で使用されたとされる。終戦までに6616トンが生産され、6000人以上が業務に従事したとの記録が残る。
工場には対岸の本州の住民や中学校、女学校の生徒らが動員された。作業は危険と隣り合わせ。誤ってガスを吸い込むなどして負傷者や死者が相次いで出た。工場内の様子は口止めされ、当時の地図では、島周辺が白く消された。
生産された毒ガスは戦後、海洋投棄や焼却処分にされた。だが作業員らは慢性気管支炎などに苦しみ、広島県によると、国が被害を認定した健康管理手帳の所持者は5月末現在、全国に463人(平均年齢95歳)いる。
1995年3月20日、オウム真理教教祖の命令で信者が製造した猛毒のサリンを地下鉄の車内で撒いた事件から30年になる。
死者13人、負傷者6000人以上と伝えられたが、実際は寝たきりにされた人がいるくらいで、数字より被害は大きい。
オウムのこの事件はテロだから、一緒にはならないが化学物質の怖さといえば、有機水銀やカドミウムなどの中毒事件が想起される。
公式確認されて、69年になる水俣病、60年になる第二水俣病とも呼ばれる新潟水俣病、イタイイタイ病などの公害病がある。
昨日、新潟水俣病が公式確認から60年ということで、胎児性水俣病患者の「人生返して」という悲痛な叫びをとりあげた。
被害者の救済策としては、公害健康被害補償法などに基づき、これまで認定患者717人に一時金や医療費が支払われている。2009年施行の水俣病被害者救済法などで、未認定患者を含む計2793人に拡大されたと5月31日の読売が伝えていた。
毒ガスは戦時中のことで管理手帳を持っている人が463人(平均年齢95歳)ということだから、被害者の数は決して少ない数ではない。
5月1日の読売が米国本土を攻撃する風船爆弾の開発で知られ、毒物の製造やスパイ活動など「秘密戦」の研究をしていた陸軍登戸研究所が戦争末期に長野に疎開していたことを伝えていた。
語り継ぐ戦争だから、毒ガス島大久野島のことは知っていて、犠牲となった人たちのお参りを検討したことがあるのだが、意気地なしだから、安全が担保されているかどうかわからず、行くことを断念した。
アジア太平洋戦争といえば、日本が被害者であったかのような面が強調されて伝えられてきたことは事実である。
しかし、満蒙開拓団の入植一つとっても、イスラエルがヨルダン川西岸でパレスチナの人々を武力で追いやり、ユダヤ人が入植していることと同じことをしたことはわかりやすい例である。
米国は台湾に侵攻、侵略しようとしている中国に対し、日本の自衛隊を中国と戦わせようと企む。
軍需産業が支配している米国は、過去、戦争ばかりやってきたが、ロシアがウクライナに侵攻、侵略しても武器は送っても、米軍は派遣していないことが参考になる例だ。
日本の自民党などの親米保守派は米国が煽る台湾危機に乗せられ、自衛隊を派遣させるために緊急事態条項を盛り込んだ憲法に変えようとしている。
愚か者たちが国会で多数を占めると、日本は米国の戦争に巻き込まれてしまう。
約100トンのタンク6基が置かれた毒ガス貯蔵庫の壁は所々黒ずんでいる。戦後、毒性を取り除くために火炎放射器で焼かれたためだ。製造施設に電気を供給するディーゼル発電機が置かれた建物は3階建ての吹き抜け構造で、見る者を圧倒する。
大久野島は、広島市の中心部から東に約50キロ。港からフェリーに揺られて15分でたどり着く。4月下旬、毒ガス工場の歴史を伝える山内正之さん(80)が、現地学習に訪れた広島県廿日市市の山陽女学園中等部生たちにこう訴えた。
「日本人は戦争の被害に遭っただけではなく、加害者でもあった。そのことを知ってほしい」
毒ガス工場は、1929年に陸軍の兵器製造所として開所した。海に囲まれた島は機密を守ることが容易である一方で、労働者らが簡単に船で行き来できるため適地となった。
皮膚をただれさせる猛毒の「イペリット」や「ルイサイト」を製造し、37年の日中戦争以降、生産は拡大。一部が戦場で使用されたとされる。終戦までに6616トンが生産され、6000人以上が業務に従事したとの記録が残る。
工場には対岸の本州の住民や中学校、女学校の生徒らが動員された。作業は危険と隣り合わせ。誤ってガスを吸い込むなどして負傷者や死者が相次いで出た。工場内の様子は口止めされ、当時の地図では、島周辺が白く消された。
生産された毒ガスは戦後、海洋投棄や焼却処分にされた。だが作業員らは慢性気管支炎などに苦しみ、広島県によると、国が被害を認定した健康管理手帳の所持者は5月末現在、全国に463人(平均年齢95歳)いる。
1995年3月20日、オウム真理教教祖の命令で信者が製造した猛毒のサリンを地下鉄の車内で撒いた事件から30年になる。
死者13人、負傷者6000人以上と伝えられたが、実際は寝たきりにされた人がいるくらいで、数字より被害は大きい。
オウムのこの事件はテロだから、一緒にはならないが化学物質の怖さといえば、有機水銀やカドミウムなどの中毒事件が想起される。
公式確認されて、69年になる水俣病、60年になる第二水俣病とも呼ばれる新潟水俣病、イタイイタイ病などの公害病がある。
昨日、新潟水俣病が公式確認から60年ということで、胎児性水俣病患者の「人生返して」という悲痛な叫びをとりあげた。
被害者の救済策としては、公害健康被害補償法などに基づき、これまで認定患者717人に一時金や医療費が支払われている。2009年施行の水俣病被害者救済法などで、未認定患者を含む計2793人に拡大されたと5月31日の読売が伝えていた。
毒ガスは戦時中のことで管理手帳を持っている人が463人(平均年齢95歳)ということだから、被害者の数は決して少ない数ではない。
5月1日の読売が米国本土を攻撃する風船爆弾の開発で知られ、毒物の製造やスパイ活動など「秘密戦」の研究をしていた陸軍登戸研究所が戦争末期に長野に疎開していたことを伝えていた。
語り継ぐ戦争だから、毒ガス島大久野島のことは知っていて、犠牲となった人たちのお参りを検討したことがあるのだが、意気地なしだから、安全が担保されているかどうかわからず、行くことを断念した。
アジア太平洋戦争といえば、日本が被害者であったかのような面が強調されて伝えられてきたことは事実である。
しかし、満蒙開拓団の入植一つとっても、イスラエルがヨルダン川西岸でパレスチナの人々を武力で追いやり、ユダヤ人が入植していることと同じことをしたことはわかりやすい例である。
米国は台湾に侵攻、侵略しようとしている中国に対し、日本の自衛隊を中国と戦わせようと企む。
軍需産業が支配している米国は、過去、戦争ばかりやってきたが、ロシアがウクライナに侵攻、侵略しても武器は送っても、米軍は派遣していないことが参考になる例だ。
日本の自民党などの親米保守派は米国が煽る台湾危機に乗せられ、自衛隊を派遣させるために緊急事態条項を盛り込んだ憲法に変えようとしている。
愚か者たちが国会で多数を占めると、日本は米国の戦争に巻き込まれてしまう。
2025年06月01日
苦しみ60年「人生を返して」新潟水俣病
四大公害病の一つ、「新潟水俣病」の公式確認から31日で60年となる。手足のしびれなど症状に苦しむ患者はいまだ多く、行政の認定を受けられず、国や原因企業を相手取って損害賠償請求を続ける人もいる。「新潟水俣病はまだ終わっていない」関係者はそう口をそろえる。と5月31日の読売(家田晃成記者)が伝えている。
「私の人生を返してください」と取材に応じて震える手で悲痛な思いを紙に記したのは胎児性水俣病患者で新潟市の古山知恵子さん(60)。
1965年3月、漁師の家に長女として生まれた。生後11か月が過ぎても首が据わらず、声もほとんど出ない。病院で脳性麻痺と診断されたが、5歳の誕生日を前に水俣病の認定を受けた。
原因は母親が丈夫な子を産もうと妊娠中に食べた阿賀野川の魚だった。
養護学校を卒業後、実家から障がい者向けの作業所に通い、リハビリを続けてきた。だが、日常生活を支えてくれた母親が高齢になり、現在は障がい者施設で暮らす。移動は車いす。誰かの介助がなければ自由に外出できない。人とのコミュニケーションも筆談に頼る。
水俣病の原因企業がチッソなら、第二水俣病とも呼ばれる新潟水俣病の原因企業は昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)である。
水俣病の原因企業としてのチッソと昭和電工の悪名は歴史に刻まれ、未来永劫語り継がれていくことになるだろう。
反日反社の統一教会が名前を変えてもカルト教団としての悪名は未来永劫語り継がれていくのと同じことである。
ただし、チッソと昭和電工が汚名を返上し、名誉を挽回するチャンスは神様が与えてくれている。
有機水銀を何ら処理せず工場廃液として流し、水俣病患者を生み、苦しみを与え、「人生を返して」とまで訴えられている事実を消すことなどできるわけがない。
やってしまったことは取り消す、リセットするなんてことはできないが、それでも、患者たちとどう向き合うかで汚名を返上し、会社の名誉を挽回できるかが問われる。
水俣病患者が公式確認されてから、熊本水俣病は69年、新潟水俣病は60年になるが、今日まで、患者たちに原因企業として誠実に向き合ってきたかであるが、とても、誠実だとは認めがたい。
水俣病を生み出した原因企業と言っても、働いているのは人間である。
水俣病患者、特に生まれてから重き荷物を背負わされている胎児性水俣病患者に対して、同じ人間として、贖罪の気持ちを抱くのが普通だと思うが、やがて、人生の終末がやってきたとき、恥ずかしくない生き方をしてきたと言えるだろうか。
今からでも遅くはない。
チッソと昭和電工で働く人たちは、国や県に働きかけ、患者としての苦しみ、痛みを訴えても患者だとは認められないことに対し、一日も早く認定するように尽力するべきだ。
「家庭教師のトライ」が水俣病は遺伝するなどと事実とは全く異なることを教材で発信していた。
家庭教師というなら、勉強ができる方だろうが、水俣病が有機水銀中毒だから、遺伝するわけがないことくらい知らないなら、とても教師とは言い難い。
罪もない人々をこれほどまでに苦しめておきながら、患者に寄り添おうとしてこなかったとするなら、軽蔑されるだけだ。
「私の人生を返してください」と取材に応じて震える手で悲痛な思いを紙に記したのは胎児性水俣病患者で新潟市の古山知恵子さん(60)。
1965年3月、漁師の家に長女として生まれた。生後11か月が過ぎても首が据わらず、声もほとんど出ない。病院で脳性麻痺と診断されたが、5歳の誕生日を前に水俣病の認定を受けた。
原因は母親が丈夫な子を産もうと妊娠中に食べた阿賀野川の魚だった。
養護学校を卒業後、実家から障がい者向けの作業所に通い、リハビリを続けてきた。だが、日常生活を支えてくれた母親が高齢になり、現在は障がい者施設で暮らす。移動は車いす。誰かの介助がなければ自由に外出できない。人とのコミュニケーションも筆談に頼る。
水俣病の原因企業がチッソなら、第二水俣病とも呼ばれる新潟水俣病の原因企業は昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)である。
水俣病の原因企業としてのチッソと昭和電工の悪名は歴史に刻まれ、未来永劫語り継がれていくことになるだろう。
反日反社の統一教会が名前を変えてもカルト教団としての悪名は未来永劫語り継がれていくのと同じことである。
ただし、チッソと昭和電工が汚名を返上し、名誉を挽回するチャンスは神様が与えてくれている。
有機水銀を何ら処理せず工場廃液として流し、水俣病患者を生み、苦しみを与え、「人生を返して」とまで訴えられている事実を消すことなどできるわけがない。
やってしまったことは取り消す、リセットするなんてことはできないが、それでも、患者たちとどう向き合うかで汚名を返上し、会社の名誉を挽回できるかが問われる。
水俣病患者が公式確認されてから、熊本水俣病は69年、新潟水俣病は60年になるが、今日まで、患者たちに原因企業として誠実に向き合ってきたかであるが、とても、誠実だとは認めがたい。
水俣病を生み出した原因企業と言っても、働いているのは人間である。
水俣病患者、特に生まれてから重き荷物を背負わされている胎児性水俣病患者に対して、同じ人間として、贖罪の気持ちを抱くのが普通だと思うが、やがて、人生の終末がやってきたとき、恥ずかしくない生き方をしてきたと言えるだろうか。
今からでも遅くはない。
チッソと昭和電工で働く人たちは、国や県に働きかけ、患者としての苦しみ、痛みを訴えても患者だとは認められないことに対し、一日も早く認定するように尽力するべきだ。
「家庭教師のトライ」が水俣病は遺伝するなどと事実とは全く異なることを教材で発信していた。
家庭教師というなら、勉強ができる方だろうが、水俣病が有機水銀中毒だから、遺伝するわけがないことくらい知らないなら、とても教師とは言い難い。
罪もない人々をこれほどまでに苦しめておきながら、患者に寄り添おうとしてこなかったとするなら、軽蔑されるだけだ。