5月27日のマイあさラジオ”けさの聞きたい”で1956(昭和31)年5月1日に公式確認された水俣病で知られる水俣の海の今を伝えている。5月1日のNHKでも伝えていた。
水俣病は、その原因企業となったチッソの工場から有機水銀が含まれた工場廃液が処理せずに流され、水俣湾を汚染し、魚を食べた漁民などが有機水銀中毒症状を呈し、患者は死ぬまで長く苦しめられることになった。
水俣湾では、その後、25ppm以上の濃度の水銀が含まれたヘドロを取り除き、湾の入り口に網が設置され、汚染された魚を取り除いて埋め立て、広大な埋立地が作られた。
埋め立て地はエコパークとして整備され、ここに水俣病犠牲者の慰霊碑が建立されている。
有機水銀を完全に撤去することは不可能であるが、1997年に熊本県から安全宣言が出され、水俣の海でとれた魚を食べても毎年行われる検査の結果では健康を損なう心配はなくなった。
水質がよくなり、透明度が増した不知火の海はタツノオトシゴの仲間“ヒメタツ”が泳ぎ、ダイビングスポットになっている。と伝えてくれたのは鹿児島出身だという森下絵理香アナである。
水俣市出身のダイビングガイド森下誠さん(55)は、全国から集まるダイバーたちに不知火の海の今を案内している。
不知火の海でとれた海の幸を堪能してもらおうと夜は居酒屋に案内している。
水俣病が公式確認された年の生まれである連れ合いのことも相俟って、水俣病には大いに関心があり、患者に寄り添ってこなかった原因企業チッソ、国、県、市などには怒りを禁じえなかった。
というのは、未認定患者が未だに認定を求めて裁判をしているからだ。
とはいうものの、水俣の負のイメージを払拭しないことには差別が根絶できないこともまた事実である。
中学生がサッカーの試合で「水俣病」と誹謗中傷されたことがニュースで流れたことがあった。
教育の問題ではあるが、その後の水俣が少しずつではあるが、人々が普通の暮らしを取り戻し、海もきれいになったことを伝えていくことは佳いことだから、皆で応援していきたい。
デコポンという柑橘を不知火として熊本水俣では生産していることを耳にし、食してみたことがある。
普段、肉は食べないし、魚を食することも少ないが、少しでも力になれることがあれば協力したい。
例えば、反薩長、新選組、会津藩を応援してきた立場だから、東日本大震災で福島の原発が事故を起こしたため、苦しんでいる福島の人たちの復興に協力するため、自分で飲むわけではないが会津の大和川酒造の酒を買い求めている。
同様に、水俣復興に役立つことがあればということで、今回、水俣湾の不知火の海がきれいになったことを発信している。
負のイメージを払拭するのは大変だが、水俣の人々も生きているし、笑うことだってあるだろう。
負の歴史を消そうとすることは間違っているが、復興している様子を伝え、観光客がやってきて、街が潤うようにしていくことは大事なことである。
一方で、胎児性水俣病患者のこと、認定を求めて係争中の患者のことなど忘れてはいけないことがある。
熊本に、半導体の工場ができて、水俣みたいになるかもしれないということを耳にしたことがある。
油断はならない。