2025年05月16日

渡野喜屋事件日本軍による住民虐殺

1945年5月12日、大宜味村塩屋の渡野喜屋 (白浜) で日本軍による住民虐殺事件が起きたことを同日の琉球新報のDIGITALが伝えている。
 大宜味村で、米軍制圧下にあった避難民らを日本軍が虐殺し食料を奪った「渡野喜屋事件」が起こる。「日本人が日本人を殺すなんて思ってもみなかった」(生存者の仲村渠美代さん証言)。スパイ視する密告があったことに加え、兵士2人が米軍に一時連行された(その後生還)ことが引き金になったとされる。米軍資料によると、死者35人、さらに村の指導者らも犠牲になった(県史)

 12日、すでに米軍占領下にあった北部の今帰仁で、海軍特殊潜航艇隊「蛟龍」の渡辺大尉ら敗残兵が、今帰仁で警防団長の謝花喜睦と通訳の平良幸吉を虐殺したことも語り継がれている。


 西田昌司参議院議員のひめゆり平和祈念資料館の展示や沖縄の教育に関して、事実とは全く異なる発言に関し、沖縄県民や沖縄県民に寄り添った立場のれいわ新選組の長谷川うい子、西郷南海子の参議院議員選挙立候補予定者などから厳しく批判されている最中、右寄り政党として知られる参政党の神谷代表が予想通り、西田発言を擁護するスピーチを青森でしていたことがわかった。

 すでに書いていることだが、どうして、右寄り、保守派の人間は旧日本軍がやった事実を認め、検証しようともせず、平気で間違ったことをさも、事実のように正当化するのか。
 だから、彼らは信用されないのだ。
 歴史を捏造しているのは右寄り保守派の人間だということが証明された発言である。

 旧日本軍が沖縄県民を守るどころか、米軍のスパイではないにもかかわらず、スパイの嫌疑をかけ住民35人を殺害し、15人を負傷させた事実が県史に書かれている。
 生存者の仲村渠美代さんの証言もある。
 北部の今帰仁では警防団長と通訳が日本兵に斬殺されている。

 県民を守らなければならないはずの旧日本軍が県民を殺害した事実は証言があっても、県民を守るために日本軍が頑張ったニュースが全くないのは日本軍に県民を守る意識がなかったからではないのか。
 県民を沖縄を本土の防波堤にしただけではないのか。

 ただし、海軍の大田中将は自決前、電文で、 沖縄戦の惨状と 沖縄県民の献身を「後世特別の配慮を賜らんことを願う」と海軍次官に訴えていた。県民の総力を挙げた戦いに感謝していた軍人の幹部がいたことも事実である。

 右寄り勢力がやらなければならないことは、証言を基に事実を伝え、沖縄戦の遺骨を掘り出すことである。
 その資金提供くらいはもっと力を入れるべきだ。