NHK【時をかけるテレビ】「6000枚が語る胎児性患者の記憶|水俣病を写真でたどる記録とは」を視聴することができたので書いておく。
1991年に放送された九州スペシャル「写真の中の水俣 〜胎児性患者・6000枚の軌跡〜」
水俣病が公式に確認されたのは69年前の5月1日。この時期に胎児性患者である半永一光さんの人生と、彼が撮り続けた6000枚の写真に込められた思いが紹介された。
水俣で何が起き、いま何が伝えられるべきなのか。
胎児性水俣病患者の半永一光さんと坂本しのぶさんなどが30代半ばの頃のことである。
何回となく取り上げてきた水俣病。胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんと水俣病が公式確認された1956年生まれの連れ合いが同世代であることから、普段、社会問題や政治的なことで発言することなどほとんどない連れ合いが水俣病についてだけは、大いに関心を示している。
というのは、連れ合いの両親が上越の妙高の出身で、水俣や阿賀野川流域に住んでいなかったから無事であったが、生まれた土地のことを考えたら、自分だってと他人事とは思えないということからだ。
偶々、視聴した日が母の日であったことから、半永さんの母親が一光さんを生んでから家を出て行ったことを知り、胎児性患者の辛さ、苦しさにだけ目が向いていた自分も母親の気持ちを考えてしまった。
もし、一緒に暮らしていたら、自分だったら心中という選択肢だってあったかもしれない。
絶望するほど悲惨な出来事が胎児性水俣病患者を生んだ有機水銀の怖さである。
母といえば、母胎は、有機水銀でも浄化できるかもしれないという淡い期待を寄せていた関係者の希望を打ち砕いた。このことを見つけたのは原田正純医師だった。
放送の中で、インパクトがあったのは、半永さんをモデルにした一人芝居を続けている元舞台俳優の砂田明さんだ。
能面を付けた芝居で胎児性水俣病患者に寄り添った芝居は人々の心に訴えた。
砂田さんといえば、石牟礼道子さんの『苦海浄土』に共鳴して1972年に水俣に移住したことで知られる。
ユージン・スミスの「入浴する少女」の被写体となり、21歳で亡くなった上村智子さんなどを祀った乙女塚の守り人だったと耳にしている。
乙女塚は水俣病患者の田上義春さんの農園(一般財団法人水俣病センター相思社による)にあり、小高い場所にあるので坂道を上っていく。
毎年、水俣病が公式確認された5月1日に埋め立て地にある慰霊碑の前で開催される市主催の慰霊祭とは別に、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんらが集まって慰霊祭を行っている場所として知られている。
公式確認から69年。2025年3月末で認定患者は2284人、うち2073人が死去。未認定患者は係争中である。
水俣病は終わっていないと患者が訴える所以である。
胎児性水俣病患者のこれまでが重き荷を背負わされた茨の道であったであろうと推察する。
自分が加害者であったわけではないが、なんだか罪悪感を抱いてしまう。
胎内被爆、胎児性水俣病、そしてサリドマイドに米軍がベトナムで使ったダイオキシン入りのナパーム弾、そして梅毒と生まれた子どもは何も悪くないにもかかわらず、人生のスタートラインに立つことすら、ハンディを背負わされることになってしまう。
原因企業チッソと政府の責任であることは言を俟たない。
2025年05月13日
胎児性水俣病患者
NHK【時をかけるテレビ】「6000枚が語る胎児性患者の記憶|水俣病を写真でたどる記録とは」を視聴することができたので書いておく。
「写真の中の水俣」胎児性患者・6000枚の軌跡
1991年に放送された九州スペシャル「写真の中の水俣 〜胎児性患者・6000枚の軌跡〜」
水俣病が公式に確認されたのは69年前の5月1日。この時期に胎児性患者である半永一光さんの人生と、彼が撮り続けた6000枚の写真に込められた思いが紹介された。
水俣で何が起き、いま何が伝えられるべきなのか。
胎児性水俣病患者の半永一光さんと坂本しのぶさんが30代半ばの頃のことである。
何回となく取り上げてきた水俣病。胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんと水俣病が公式確認された1956年生まれの連れ合いが同世代であることから、普段、社会問題や政治的なことで発言することなどほとんどない連れ合いが水俣病についてだけは、大いに関心を示している。
というのは、連れ合いの両親が上越の妙高の出身で、水俣や阿賀野川流域に住んでいなかったから無事であったが、生まれた土地のことを考えたら、自分だってと他人事とは思えないということからだ。
偶々、視聴した日が母の日であったことから、半永さんの母親が一光さんを生んでから家を出て行ったことを知り、胎児性患者の辛さ、苦しさにだけ目が向いていた自分も母親の気持ちを考えてしまった。
もし、一緒に暮らしていたら、自分だったら心中という選択肢だってあったかもしれない。
それほど絶望するほどの悲惨な出来事が胎児性水俣病患者を生んだ有機水銀の怖さである。
母といえば、母胎は、有機水銀でも浄化できるかもしれないという淡い期待を寄せていた関係者の希望を打ち砕いたことを見つけたのは原田正純医師だった。
放送の中で、インパクトがあったのは、半永さんをモデルにした一人芝居を続けている元舞台俳優の砂田明さんだ。
能面を付けた芝居で胎児性水俣病患者に寄り添った芝居は人々の心に訴えた。
砂田さんといえば、石牟礼道子の『苦海浄土』に共鳴して1972年に水俣に移住したことで知られる。
ユージン・スミスの「入浴する少女」の被写体となり、21歳で亡くなった上村智子さんなどを祀った乙女塚の守り人だったと耳にしている。
乙女塚は水俣病患者の田上義春さん(一般財団法人水俣病センター相思社による)の農園にあり、小高い場所にあるので坂道を上っていく。
毎年、水俣病が公式確認された5月1日に埋め立て地にある慰霊碑の前で開催される市主催の慰霊祭とは別に、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんらが集まって慰霊祭を行っている場所として知られている。
公式確認から69年。2025年3月末で認定患者は2284人、うち2073人が死去。未認定患者は係争中である。
水俣病は終わっていないと患者が訴える所以である。
胎児性水俣病患者のこれまでが重き荷を背負わされた茨の道であったであろうと推察する。
自分が加害者であったわけではないが、なんだか罪悪感を抱いてしまう。
胎内被爆、胎児性水俣病、そしてサリドマイドに米軍がベトナムで使ったダイオキシン入りのナパーム弾、そして梅毒と生まれた子どもは何も悪くないにもかかわらず、人生のスタートラインに立つことすら、ハンディを背負わされることになってしまう。
原因企業と政府の責任であることは言を俟たない。
「写真の中の水俣」胎児性患者・6000枚の軌跡
1991年に放送された九州スペシャル「写真の中の水俣 〜胎児性患者・6000枚の軌跡〜」
水俣病が公式に確認されたのは69年前の5月1日。この時期に胎児性患者である半永一光さんの人生と、彼が撮り続けた6000枚の写真に込められた思いが紹介された。
水俣で何が起き、いま何が伝えられるべきなのか。
胎児性水俣病患者の半永一光さんと坂本しのぶさんが30代半ばの頃のことである。
何回となく取り上げてきた水俣病。胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんと水俣病が公式確認された1956年生まれの連れ合いが同世代であることから、普段、社会問題や政治的なことで発言することなどほとんどない連れ合いが水俣病についてだけは、大いに関心を示している。
というのは、連れ合いの両親が上越の妙高の出身で、水俣や阿賀野川流域に住んでいなかったから無事であったが、生まれた土地のことを考えたら、自分だってと他人事とは思えないということからだ。
偶々、視聴した日が母の日であったことから、半永さんの母親が一光さんを生んでから家を出て行ったことを知り、胎児性患者の辛さ、苦しさにだけ目が向いていた自分も母親の気持ちを考えてしまった。
もし、一緒に暮らしていたら、自分だったら心中という選択肢だってあったかもしれない。
それほど絶望するほどの悲惨な出来事が胎児性水俣病患者を生んだ有機水銀の怖さである。
母といえば、母胎は、有機水銀でも浄化できるかもしれないという淡い期待を寄せていた関係者の希望を打ち砕いたことを見つけたのは原田正純医師だった。
放送の中で、インパクトがあったのは、半永さんをモデルにした一人芝居を続けている元舞台俳優の砂田明さんだ。
能面を付けた芝居で胎児性水俣病患者に寄り添った芝居は人々の心に訴えた。
砂田さんといえば、石牟礼道子の『苦海浄土』に共鳴して1972年に水俣に移住したことで知られる。
ユージン・スミスの「入浴する少女」の被写体となり、21歳で亡くなった上村智子さんなどを祀った乙女塚の守り人だったと耳にしている。
乙女塚は水俣病患者の田上義春さん(一般財団法人水俣病センター相思社による)の農園にあり、小高い場所にあるので坂道を上っていく。
毎年、水俣病が公式確認された5月1日に埋め立て地にある慰霊碑の前で開催される市主催の慰霊祭とは別に、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんらが集まって慰霊祭を行っている場所として知られている。
公式確認から69年。2025年3月末で認定患者は2284人、うち2073人が死去。未認定患者は係争中である。
水俣病は終わっていないと患者が訴える所以である。
胎児性水俣病患者のこれまでが重き荷を背負わされた茨の道であったであろうと推察する。
自分が加害者であったわけではないが、なんだか罪悪感を抱いてしまう。
胎内被爆、胎児性水俣病、そしてサリドマイドに米軍がベトナムで使ったダイオキシン入りのナパーム弾、そして梅毒と生まれた子どもは何も悪くないにもかかわらず、人生のスタートラインに立つことすら、ハンディを背負わされることになってしまう。
原因企業と政府の責任であることは言を俟たない。