戦没者の遺骨収集が行われている糸満市のガマで、沖縄戦で多くの生徒や教職員が命を落とし、その後、廃校になった「開南中学校」の校章が見つかった。
学徒隊として動員された生徒が身につけていた可能性があると3月27日のNHKと4月30日の読売が夕刊で伝えている。
この校章は、2月23日、糸満市のガマで、遺骨収集ボランティアの浜田哲二さんと律子さんたちのグループが見つけた。
開南中学校は、1936年にいまの那覇市樋川に設立された、当時、県内で唯一の私立の旧制中学校で、沖縄戦で生徒190人や教職員が命を落とし、その後、廃校になった。
琉球政府の資料によれば、鉄血勤皇隊や通信隊に動員された68人の生徒のうち66人が犠牲になった。
読売によれば、厚生労働省によると遺骨のDNA鑑定が始まった2003年度以降、沖縄県の戦没者の鑑定申請は約1800件あったが、うち身元が判明したのは7件にとどまる。
シベリアなどの北方地域と較べ、遺骨の劣化が進み、鑑定が難しいケースも多いという。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を周ってきたが、数からみれば、ほんの一握りにしかすぎない。
それでも、わかったことが一つだけある。
沖縄だけは全く別だった。あちこちに遺骨が埋まっていればこその地域で、戦没者は浮かばれないと断言できる。
その沖縄ではガマフヤーの具志堅隆松さんが遺骨を掘る人として映画化もされているので、よく知られている。
次いで、ジャーナリストの浜田哲二さん(62)律子さん(60)ご夫婦も遺骨を掘る人としてメディアで取り上げられている。
遺骨の側に立てば、学校の校章が見つかったということで、学徒が沖縄戦に巻き込まれていたという事実をしっかり検証する必要がある。
有名なのはひめゆり学徒隊であり、大田昌秀元県知事も動員されていたという鉄血勤皇隊というのもあった。
日本軍が勝手に沖縄を日米戦争に巻き込み、沖縄を本土の防波堤にするべく、時間かせぎの場としたことから犠牲者が滅茶苦茶に増えてしまった。
島民を守ろうとしない日本軍は極めて無責任であった。
沖縄にはガマと呼ばれる自然壕が無数にあり、沖縄戦の戦場となったガマでは未だに遺骨が埋まったままということだって大いにあり得る話だ。
遺骨が見つからなくとも、遺留品だけでも家族に届けてやれれば、いくらか気持ちが軽くなる。
戦後80年経っても、遺骨が埋まったままということでは死者は浮かばれない。
遺骨収集に力を入れたいと言っていたのはれいわ新選組から、7月の参議院議員選挙で京都選挙区から立候補予定の西郷南海子さんだけかもしれない。
何とか、当選して、遺骨収集にもっと力をいれてもらいたい。