夜間、低高度から大量の焼夷弾を落とす作戦を採用し、1945年3月10日未明ノ東京大空襲では、10万人以上とも言われる犠牲者を出した非武装の民間人を標的にした殺戮である米軍の無差別空襲、空爆を指揮した男カーティス・ルメイ当時少将に対し、「航空自衛隊の育成に貢献した」などとして64年、勲一等旭日大綬章を授与した自民党政権に怒りを込めて書いておきたい。
「戦争はなぜ起きるのか」「鬼畜の軍人 人物像たどり問う」という見出しで『東京大空襲を指揮した男カーテイス・ルメイ』を刊行した上岡伸雄学習院大学教授が3月24日の読売(多可政史記者)で語っている。
勲章を授与した当時、国会の議論やメディアを検証したところ、東京大空襲の責任への言及はほとんどなかった。
「米軍による爆撃が行われたベトナム戦争のさなかに勲章を授与することは、ルメイによる空襲被害を日本が受け入れた印象を世界に与えた。その意味を省みる必要がある。
ルメイは平時なら「合理的で現実的な人間」として生涯を終えた可能性がある。だが、「勝利におごり『勝者の論理』によって相手を脅すという形の平和しか考えられなくなった」。
ルメイの生涯に向き合い「だからこそ戦争をしてはいけない」と思いを強くしたという。
東京大空襲の惨禍を経験しているわけではないが、1967年からTBSラジオで、毎年、8月15日に「秋山ちえ子の談話室」で土屋由岐雄作、武部本一郎絵『かわいそうなぞう』(金の星社)を朗読してくれたのをいつも涙を流しながら聴いていた。
この絵本を後に買い求めて手許に大事に取ってあるが、この1冊で東京大空襲がいかに酷い事だったかわかる。
ベトナム戦争の時、沖縄の嘉手納から出撃し、南ベトナム民族解放戦線、(米軍はベトナムコミュニストだからベトコンと呼んでいた)彼らの隠れ場所であるジャングルを米軍は、ダイオキシン入りのナパーム弾で焼き尽くした。
戦後80年、先人たちの犠牲と日本国憲法のお陰で何とか平和が維持できた。
しかし、日本の基地から出撃していたことを思えば、日本はベトナム戦争では加害者だと言っても過言ではない。
その遠因の一つに東京大空襲、空爆で非武装の市民を無差別に殺戮した米軍の司令官に勲章を授与した政府自民党の無能な政治家と無能な国会議員、メディアの関係者がいた。
政府はシベリア抑留についても、ソ連、ロシアに抗議せず、学校教育でもきちんと教えてこなかった。
戦争に敗れたことで、自分も含め腰抜けばかりの日本人になってしまった。
語り継ぐ戦争の立場である自分は、東京大空襲、空爆や原爆を投下した米軍人を許さない。
反米の所以である。