鹿児島県南九州市の知覧特攻平和観音堂前で憲法記念日の3日、太平洋戦争で命を落とした特攻隊員ら1036人を追悼する慰霊祭が営まれた。と5月4日の読売が伝えている。
遺族ら約700人とともに、隊員たちに慕われて「特攻の母」と呼ばれた鳥浜トメさん(1992年に89歳で死去)のひ孫、 拳大けんた さん(33)も参列した。
トメさんは、特攻機が飛び立った知覧飛行場近くで「富屋食堂」を営み、隊員と交流を深めた。トメさんが保管していた手紙などを展示する市内の資料館「ホタル館 富屋食堂」の館長として、県内外の学校などで講話を続ける拳大さんはこの日、「命を懸けて出撃した隊員たちの思いを伝え続けたい」と語り、平和への思いを新たにしていた。
【神風特攻隊指揮官】「若者の命を奪った3人の責任の取り方」大東亜戦争、太平洋戦争というタイトルで「誇り高き軍神の記憶」という投稿者がYouTubeにアップしている動画をみつけた。
「十死零生」と呼ばれた特攻は、航空機による「神風特攻隊」、魚雷を操縦し共々突撃する人間魚雷「回天」、爆弾と共に突撃する人間爆弾「桜花」、ボートに爆弾を積み込んで突撃する「震洋」とざっと挙げただけでも人の命を無駄にする作戦だった。
知覧での慰霊祭のことで書いているので、今回は神風特攻隊の3人の指揮官が若ものたちを死なせるために、自分も必ず後から逝くからと命令しながら、おめおめと戦後も生き残った恥知らずな男がいたことを書いておかなければならない。
3人とは神風特攻隊の創設者で自決した大西瀧次郎中将、8月15日、部下を道連れに航空機もろとも突っ込んだ宇垣纒中将、敗戦を知っていながら、8月15日、部下に特攻を命令し、己は戦後もおめおめと生き残った恥知らず寺岡謹平中将である。
『鬼平犯科帳』などで知られる作家池波正太郎の「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。 善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。 悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。 これが人間だわさ」という名言をいつも意識しながら物事を考えるようにしてきた。
つまり、矛盾だらけなのが人間だということであろうよ。(池波さんの語調みたいになってしまった)
若者は何人死んでもかまわないが、はなから、自分だけは死ぬつもりがなかったというのが寺岡謹平という男だったのであろう。
恥知らずだが、長生きするというのは、こういう人間だからできたのかもしれない。
死ぬ必要がなかった部下中津留達雄大尉に命令して操縦させ、道連れにして突っ込んだ宇垣纒中将も卑怯者で、武人の片隅にもおけない。
自決したからということで許せるということにはならないが、「後から必ず逝くから」と約束は守った大西瀧治郎中将は死んだ者のことは言わないという我が国の伝統の教えから、何もいうことはない。
神風特攻隊だけでなく、特攻で戦死した先人たちのご冥福を祈るとともに米国の代理戦争をやらされるようなことがあってはならない。
ために、憲法9条は改めてはいけない。緊急事態条項など戦争にまきこまれそうなものは要注意である。