【ワシントン=中根圭一記者】米保健福祉省と米食品医薬品局(FDA)は22日、米国の食品で8種類の合成着色料の使用を、段階的に止めると発表した。と4月24日の読売が夕刊で伝えている。
いずれも石油由来の着色料で、2種類は数か月以内に認可の取り消し手続きを始め、残る6種類は2026年末までに食品会社に使用をやめさせる。これとは別に使用期限を27年1月と定めていた「赤色3号」は、業界に期限の前倒しを要請する。ロバート・ケネディ・ジュニア厚生長官は記者会見で「我々が健康でなければ米国を再び偉大にすることはできない」と述べた。
米保健福祉省は食品会社に天然着色料への切り替えを求めるほか、米国立衛生研究所と連携し、食品添加物による子どもの健康や発達への影響を調べるという。
消費者庁によると、日本では赤色3号は1948年に食品添加物に指定され、菓子や漬物、かまぼこなどに使われている。米国で2025年1月に使用期限が設けられたことを受け、同庁の専門家部会が2月、安全性などを審議。「直ちに使用基準を改正する必要はない」との見解をまとめていた。同庁は米国が段階的に止めるとした8種類の合成着色料について「今回の発表では科学的根拠が示されていないが、情報を集めて対応の必要性などを検討する」としている。
ご先祖のお陰で、偶々、農地が少しばかりあったことから、有機無農薬で野菜作りを実践してきた。
アジア太平洋戦争で召集されるも、戦地から無事帰国した父親は厳父で、休日には畑で野菜を作っていたが、小学校の4年生くらいから手伝わされた。
5年生になった頃には、鍬で畑を耕していた。
農薬を使った記憶はないし、肥料も堆肥を使っていたから、その当時から有機無農薬での野菜作りをしていたのかと思えば、化学肥料は買い求めると高価だったから使わないようにしていただけで、拘りなどなかったような気がしている。
16歳になった夏休み、父親が突然、病気で亡くなった。
父親が亡くなってからは、全く畑に行くこともなかったが、20代半ばで、荒れ地となってしまった畑で枯草火災が起き、消防署に呼び出され、始末書みたいなものを書かされた記憶がある。
この時から、畑を開拓地のように開墾から始めて山茶花、柘植、梅、栗などを植えたが、草が伸びるのが早くて、困り果て、除草剤を撒いてしまった。
ベトナム戦争で米軍がダイオキシン入りの枯葉剤を使った後の頃になる。
緑色だった草がたちまち黄色に変色し、やがて枯れる様子を見て、とんでもないことをしてしまったと後悔した。
山茶花には茶毒蛾、茶毛虫がついてしまうので、農薬を買い求め、撒いてしまったこともある。
農薬を撒くとき、自分の体に良くないことに気づき、山茶花はすべて伐採してしまった。
無知であることを恥じる。
過去に学習したことから、野菜作りをするとき、有機無農薬でやることにしたというわけだ。
50代半ばで退職してから、公害病に目覚め、食の安全にも目が向くようになっていく。
防腐剤、合成着色料の危険性にも関心が芽生え、米国や中国の食品の危険性を知ることとなった。
米国で石油由来の合成着色料赤色3号の使用停止になるというニュースが流れているにもかかわらず、常に後手に回る日本の消費者庁はすぐに対処するとは言わず、情報を集めて対応の必要性を検討するそうな。
相変わらず、手ぬるいことを言っている。
薬害のサリドマイドの時、米国はFDA新薬部門のフランシス・ケルシー博士が、米国メレル社の発売申請に待ったをかけ続けたことで被害を阻止した。
しかし、日本では、そのことを知らなかったはずがないにもかかわらず、企業寄りのお役人が止めなかったから被害者が今も苦しめられている。
米国は嫌いだが、良いこともあるのだから、参考にすべきは参考にしなければならない。