2025年04月24日

「戦友の冥福を祈るのが生き残った者の責務」

 「受け継ぎたい生還者の思い」という見出し、「トレンド」と題し、論説委員 烏山忠志と署名入りの囲み記事を4月19日の読売夕刊でみつけた。

 アジア太平洋戦争中、旧陸軍第1師団の副官としてレイテ戦を経験した松本実さん(当時99歳)と現地を訪れたのは2019年12月のことだった。
 「お―い、松本来たぞ」とレイテ島の山野に呼び掛ける声が響き渡った。

 大岡昇平の『レイテ戦記』に資料提供したという松本さんは、脱出命令を受けた師団長らと「「多くの戦友を置き去りにし」島を離れたから生還できた。
 戦後、罪悪感から「戦友の冥福を祈るのが生き残った者の責務」という思いで、29回もレイテ島を訪れて遺骨収集や慰霊を続けてきた。
 松本さんは2024年末、104歳で世を去った。
 戦場の惨禍を直接経験した人は少なくなり、戦没者の遺族も高齢化が進む。
 日本遺族会が続けてきた慰霊巡拝も、2025年度が最後となる。
 遺族会などは戦後世代も含む語り部活動に力を入れている。
 「戦争だけはやりたくない」という松本さんの思いを受け継ぐ取り組みを続けることも、戦後80年の日本の課題だろう。と結ぶ。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で初めて訪れたのは、陸軍特攻隊の基地として知られる知覧だった。
 2008年の夏のことだった。
 2020年からはコロナ渦でどこにも出かけられなくなっているうちに後期高齢者になり、心身の著しい衰えを痛感するようになってしまった。
 戦後80年を迎える2025年こそは、慰霊の旅を復活させたいと願っている。

 99歳でレイテ島を訪れ、置き去りにした戦友たちに詫びながら、29回目の遺骨収集と慰霊の旅をした松本さんのことを知り、年齢だけを見れば、まだ、老け込むには早いと思わないわけにはいかない。
 
 戦場の惨禍を直接経験した人たちが退場してしまうからこそ、戦争を語り継ぐことを次世代の団塊の世代が受け継ぎ、次の世代にバトンを渡していかなければならない。

 ただし、語り継ぐ戦争で学んだことは、レイテ島でも師団長は兵士を置き去りにして逃げ出した事実である。

 命令する側は、安全地帯にいて、戦場のトップは身の危険が迫ると兵隊を置き去りにして逃げ出した事実こそ、戦争そのものだ。

 レイテ島で置き去りにされた兵士、満州で関東軍に見捨てられ棄民となった満蒙開拓団などの人たち、戦後であるにもかかわらずシベリアに抑留され、斃れて帰国できなかった人たち。
 戦争で苦しむのは誰か。ここのところは明確に知っておかなければならない。