2025年04月16日

戦後80年 青来有一さんと長崎を歩く梅田明日佳さん

 本よみうり堂に「梅田明日佳の読書ノート」を連載している梅田明日佳さんが長崎市在住の作家青来有一さん(66)と長崎原爆資料館や平和公園を歩くという企画が3月30日の読売で伝えられていた。

 1945年8月9日の原爆で、7万3000人の死者、7万4000人の重軽傷者、1万1500戸が全焼したとされているという長崎の街。
 資料館の展示は客観的な視点で事実を伝えている。という梅田さん。母親が爆心から離れた場所で被爆したという青来さんは、髪が抜け、歯茎から血が出て生死の境をさまよった母親の様子から客観と同時に主観も大事だと指摘する。

 長崎の被爆者林京子さんの『祭りの場』などの作品から、原爆は多くの人を一瞬で殺す兵器であると同時に、人を一瞬で死なせてはくれない兵器だあることを知ったという梅田さん。

 青来さんの『爆心』の中の短編「石」などを読み、戦後の平和といわれる日々の中にも、嫌なものも、醜いものも隠れているという梅田さん。

 「平和=平安」ではない。という青来さん。80年前に原爆は終わったわけではない。現在の人間の問題として原爆を書き続けていければという。

 戦争は、人間の闘争心や競争心に関わっている。平和とは戦争と戦争の間のことでその期間を限りなく延ばそうということ。戦争の資料館を訪れ、関連した本を読むことはこれほど酷いことをする必要はないと考える機会を与えてくれる。

 戦争がなかなかなくせないとしても、核戦争はなくせるのではないか。
 ヒロシマとナガサキに原子爆弾が投下されてから、80年間核兵器が使われなかったのは、あまりにも悲惨な実態が知られているからだ。
 使ってはいけない。タブー視されているうちは安心だが、いつそのタブーを破ってしまうかわからないところに人間の怖さがある。
 概ね以上が要旨である。


 父親が召集され、戦地から無事に帰国した団塊の世代の一員である自分からみれば、語り継ぐ戦争の立場から青来さんの世代ならまだ理解してもらえると思うのは母親が被爆者だったからだ。

 しかし、大学を卒業してこれから院生として勉強を続ける梅田さんが戦争に関してこれほど理解されていることを知り嬉しくなってしまった。
 やはり、教育の力は大きい。

 戦争体験者が退場していき、戦争体験のない団塊の世代でさえ、ぼちぼち退場していくという戦後80年の2025年。
 大学をこの春、卒業という若い梅田さんが戦争資料館を訪ね、関連の書籍を読むことの大切さを新聞で発信してくれると若い人達にきっと伝わるはずだ。

 長崎の原爆資料館を訪れたのは2009年8月のことである。
 運よく、家族を同行することができたので、語り継ぐ戦争の立場から、原爆の惨禍を語り継ぐことができたのではないか。
 広島の原爆資料館は2009年11月に訪れ、2015年に家族を同行してもう一度訪ねることができたので、こちらも若い世代に被爆者の苦しみを語り継ぐことができた。

 日本の政治家は原爆資料館を全員が訪れているか、どうか疑わしい。
 日本が核兵器禁止を呼び掛ける世界の仲間に背を向けているのは、原爆の惨禍を理解していないからである。

 米国なんて、当てにならない。
 米国が考えているのは日本に米国の代理戦争をさせようとしていることだ。
 トランプ関税に関し、NHKの日曜討論でれいわ新選組の毒蝮三太夫こと伊勢崎賢治さんは日米地位協定を改定し、米軍の活動を規制できるようにすることを提起していた。
 日米地位協定の改定は語り継ぐ戦争の自分が何回も発信してきたことである。
 
 米国の原爆投下に対し、日本人なら目覚めよ。怒れ!といいたい。