2025年04月14日

挑戦の先に 人生の豊かさ

 「東京春秋」322というタイトルで、「挑戦の先に 人生の豊かさという」見出し、中薗あずさと記者の署名入りの囲み記事が4月6日の読売にあった。
 スマートフォンを向けると道案内の音声情報が流れる点字ブロックの体験会で出会った品川区視覚障害者福祉協会の会長で全盲の弁護士大胡田誠さん(47)。 
 先天性の緑内障のため12歳で視力を失い、当初は絶望するも、中学生の時、点字で書かれた1冊の本との出合いが人生の転機となった。
 全国で初めて全盲の弁護士となった竹下義樹さんの『ぶつかって、ぶつかって』である。
 「周りに助けられてばかりの人生ではなく、自分も誰かのために働くことができる」
 心が震え、弁護士を将来の夢に定めた。
 大学入学後、参考書を音声データに変えるソフトなどを使って司法試験の勉強を始め、29歳、5度目の挑戦で合格。全国で3人目の全盲の弁護士となり、「自分を丸ごと受け入れることができた」
 「限界は自分で自分で作っている」―。
 最初からできないと決めつけず、勇気をもって一歩を踏み出す。その積み重ねこそが人生そのものであり、人生に豊かさをもたらすと教えられたそうな。


 自分でも信じられないことだが、後期高齢者になるまで生きられるとは思わなかった。
 間一髪ということは大げさではなく何回となくあったが、運が佳かったのであろうか。切り抜けられた。
 丹沢で転落しそうになったり、江ノ島の海で溺れそうになったり、仏ヶ浦から脇野沢へ向かう船が突然の時化で海が荒れ、高波で転覆するのではないかと恐怖に震えたりと、傍から見れば大したことはなかったと思われることでも本人から見れば、まかり間違えばという意識は今でも消えない。

 一方で、いつの頃からか、右の眼がよく視えないことを意識するようになったが、運転免許の更新時が大変で強烈なストレスになっている。
 50代半ばを前に退職し、念願の自由を手に入れ、有機無農薬での野菜作りでストレスから解放された生活ができているので、仕事を続けていれば、間違いなく、すでに死んでいたであろう。

 人生を振り返って、他者に自慢できるようなことは一つもない。
 それでも、努力することだけは惜しまずにやってきたつもりであるが、全盲であの難しいとされている司法試験に合格する人から見れば、努力のうちには入らないかもしれない。

 障がいを乗り越えたといえば、若い頃、大石順教尼のことを知り、辻典子さんのことを知った。
 大石順教尼が父親に日本刀で両腕を切られたことは、語り継ぐ戦争で大阪でお世話になったガイドの植野雅量師から教えてもらい、庵主だった京都の佛光院に行き、お参りしている。
 辻典子さんはサリドマイドが原因であるが、障がいを乗り越えた二人の努力には敬意を表してきた。
 近年ではパラリンピックで活躍する選手が努力で障がいを乗り越えてきたことにも敬意を表するとともにエールをおくってきた。

 市井に生きる凡人としては、周囲に迷惑をかけまいとして、介護のお世話にできるだけならないようにと願い、古希の手習いとして親族から頂戴した津軽三味線を始めてみた。
 爾来、3年半が経過し、初心者が習う「六段」が何とか弾けるようになった。
 楽譜がない対面稽古で、頼りはいつも一緒で、スマホの動画を解説してくれる連れ合いである。
 
 土曜日、連れ合いの親しい友達と一緒に会食した。
 職場では中間管理職として、頑張っている女性はストレスが原因しているのか、近年では病気とつきあいながら働いている由。
 その立場故、なかなか思うようにはいかないみたいだが、外野席から好き勝手なことを偉そうにしゃべってしまった。

 人は皆それぞれの立場でがんばっているのである。
 ハンディキャップがあれば、余計努力を求められることになるが、努力の向こうにある夢を信じて突き進むしかない。
 結果ばかり求める人が少なくない世の中であるが、努力の中にこそ人生の豊かさはあるのではないか。

 頭を使い、指先を使うことがボケ防止につながるということを知って、津軽三味線で試してみた結果、明らかに役立っているような気がしている。