2025年04月11日

「森は海の恋人」教えてくれた畠山重篤さんを悼む

「森は海の恋人」をキャッチフレーズに、宮城県気仙沼市を拠点に植樹活動に取り組んできた、漁業者でエッセイストの畠山重篤さんが、3日、亡くなった。81歳だった。とメディアが伝えている。
 
 4月4日のNHKによれば、畠山さんは、宮城県気仙沼市の唐桑半島でカキの養殖を行いながら、海の環境を守るためには、海に注ぐ川の流域の森林を守ることが大切だと考え、川の流域で植樹活動を続けてきた。

 2011年の東日本大震災では、養殖いかだが流されるなどの被害を受けたが、その後も活動を続け、2012年には国連から「森の英雄」に選ばれた。

 気仙沼市の菅原茂市長は「『森は海の恋人』の提唱者として、永年、森・里・海の連環と、次世代に豊かな自然環境を残すための取り組みを実践され、市の会議で貴重なご意見もいただいたとその功績を称えている。

 ノンフィクション作家星野博美さんが4月8日の読売に追悼文を寄稿している。
 「『森は海の恋人』証明した重爺」という見出しで、「海のミルク」と言われるカキのパワーで元気だった畠山さんのことを重爺と呼んで慕っていたことを明かす星野さん。
 読売の夕刊にいつもエッセイを連載している星野さんは、「森は海の恋人」という世界観は畠山さんが度重なる津波など幾多の苦難を乗り越え、到達したものであることを知っていた。


 富山和子『森は生きている 自然と人間』同じく、『川は生きている 自然と人間』(講談社)を買い求めて読んだことがあるから、国土の7割が森林だという島国日本では、「森は海の恋人」という畠山さんの実践に裏づけされた世界観は素晴らしいことだとエールをおくってきた。
 『森は生きている』でも、86頁に森林の養分豊かな土が川から海へ流れ、魚に餌を提供していると書いてある。
 気仙沼でカキの養殖をしていたからこそ、「森は海の恋人」だと畠山さんは気づいたのであろう。
 高度経済成長期に水質汚染により赤潮が発生し、身が真っ赤になる「血ガキ」が生まれたことや度重なる津波などで海が汚れても、経年で森からの水が川から流れ、海をきれいにしてくれるのだ。

 畠山さんの実践といえば、自分も有機無農薬での野菜作りを実践しているから、土づくりに拘った無農薬での安全な野菜作りがもっともっと増えればいいと願う。

 森林といえば、米国のロサンゼルス、日本の大船渡、愛媛の今治、岡山などで、森林火災が次々と起き、貴重な緑が失われた。人間の不注意が原因であろうが、なんとも罰当たりなことをしてくれたものだ。
 海を汚し、川の水質を悪化させ、森林火災を起こしたのもいずれも人間の仕業である。
 
 アフガンで殺された中村哲医師は貧しき人々の栄養失調を改善するため、医師でありながら野菜栽培のために灌漑用水事業を始めたが志半ばで斃れはしたが、出来上がった土地では、野菜などと同時に植樹も可能になっている。

 樹木を伐採したままにすれば、すぐに大地は砂漠化してしまう。そこで。植林事業が重要になってくる。

 大雨が降って、森林が崩落して土砂と水が流れ出す。その水が川を流れ、海に辿り着く。
 災害時は汚れてしまった海も、いずれはきれいになる。
 という大自然の循環の仕組みは、人間の力の及ぶところではない。

 畠山さんの提唱した「森は海の恋人」で海がきれいになることは大自然を畏怖させる出来事である。
posted by 遥か at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題