フリーアナウンサーの有働由美子(55)がメインキャスターを務めるテレビ朝日のニュース番組「有働Times」(日曜後8・56)の特別企画「レジェンド&スター」の第4弾が23日に放送され、元日本サッカー協会会長の川淵三郎氏(88)が登場した。
サッカーJリーグを創設し、バスケットボール界の改革に努めてきた川淵氏は、23年にスポーツ界では長嶋茂雄氏以来3人目となる文化勲章を受章。番組内では同年11月に国立競技場で開かれた祝う会でのスピーチの様子が放送された。と3月24日のスポニチアネックスが伝えている。
川淵氏は時折、言葉に詰まりながら「康子さん、61年間、献身的に支えていただいてありがとうございます」と妻・康子さんへの感謝の思いを伝えた。そして、「最後に一つだけお願いがあります。僕よりも1日でも長く生きていてほしいと、それだけを約束してほしいと思います」と語り、「感謝の気持ちを込めてハグさせてください」と2人で涙ながらに抱き合った。
この映像を見た有働アナは思わず涙。「女房が凄く嫌がったんですよ」と川淵氏は回想。「感謝の気持ちを伝えるからとは言ったけど、ハグするとは絶対言ってなかった。ハグするなんて絶対に彼女拒否することが分かってたから。みんなの前で言えば大丈夫かなと思って」と笑い、「やっぱり家内がいないと今の僕はいなかったと言ってもいいと思いますね」とあらためて感謝していた。
わが家では物心ついたころ、すでに読売新聞を購読していた。
小学5年生のときには その読売の人生案内を読んでいたというくらい早熟な少年だった。
あれから幾星霜後期高齢者になってしまった今でも、読売を購読し、毎日、人生案内だけは必ず読む。
3人姉弟の中で、出来が悪くて長男の自分のことを跡取りと考えていた明治生まれの父親は嘆いていただろうが、口にだすことはなかった。
冷静に考えて、頭もよくないし、リズム感が悪く運動能力も低い自分には人に自慢するようなことが何もない。
ただし、子どもの頃から感謝の気持ちを忘れないという性質だったからか、人生の大事な場面で助けてもらえることが多かった。
自慢するようなことではないが、就職、職場で、結婚、病気、早期退職後と節目というか困った時に助けてもらえたのである。
根拠など何もないが、守護霊がついていて、助けられたと信じている。
自慢することが何一つない自分から見て、サッカーのプロ化、バスケットの内輪もめの解決と川渕三郎さんが成し遂げた偉業は感嘆するばかりである。
自分より大先輩の方であるが、連れ合いへの感謝の気持ちを公の席で表明するなんてことは気恥ずかしい年齢であるはずにもかかわらず、文化勲章という栄誉を受けたお祝いの席で見事な振る舞いである。
自分が知る限り、連れ合いへの感謝の気持ちを表していた人として検事から福祉に転身した堀田力さんがいる。
加齢で弱っていく自分が死にたくなってしまうほど弱気になっているとき、連れ合いが抱きしめてくれたことがどんなにか生きる支えになったことかと明らかにしているのだ。
やはり、年齢的に気恥ずかしを覚える世代にしては感謝の気持ちがどれほどのものか伝わってくる話である。
細胞生物学者で歌人の永田和宏さんは連れ合いと出会ったことが人生最大の出来事である。連れ合いを亡くされ、「私が生きることは、私の中にいる妻を生かす唯一の方法だと思うのです」「人は2度死ぬ。1度目は、いのちが尽きるとき。そして2度目は、人の記憶から失われてしまったとき。僕は、河野を2度死なせない」と連れ合いへの愛情を語っている。
「日本を米国の保護領」だと教えてくれた評論家西部邁さんは連れ合いを亡くした後、迎えを待つことなく旅立ってしまった。
紹介した人はどの人も世間によく知られた人であるが、連れ合いに恵まれたというなら、自分のことを書いても許されるだろう。
自分も、連れ合いがいてくれたからこそ、後期高齢者まで生きられたと断言できる。
16歳の時父親が病死してしまったから、38歳で未亡人になってしまった母親のお陰で社会人になれたので、結婚するとき、母親と同居するつもりでいたため、晩婚になってしまったとき、親との同居は無論の事、仕事を定年前に退職させてもらいたいとお願いした時も、嫌な顔一つしなかった連れ合いのお陰で今日があるからだ。
「あなたの宝物は何ですか?」と問われれば無条件で連れ合いだと応える。
「もう一度、一緒になるとしたら?」答えは決まっている。
常に、感謝の気持ちを忘れないようにしているが、連れ合いにこそ、この言葉をおくりたい。
「ありがとう」と。