2025年03月21日

伝統の織物で洋服をデザインする

 わが家に素人が作った壊れた尺八があったことから、尺八を習い始めて半世紀近くになる。
 絶対音感などとは無縁で、リズム感はないに等しいということでずっと続けてきても、一向に上手くならない。
 それでも、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、慰霊碑や供養塔の前で経を唱える代わりに吹くくらいのことはできるようになった。

 ところが、一つの楽器との出合いで邦楽に関心を持つようになったばかりか、伝統芸能や伝統工芸に魅せられていく。

 「職人の手仕事 ファッションの主役に」という見出しで、日本伝統の織物で洋服をデザインする寺西俊輔さん(45)のことを3月16日の読売が「顔 Sunday」で紹介していた記事が目に留まった。

 日本各地の伝統的織物を現代の洋服に仕立てるプロジェクト「MIZEN」の代表を務める寺西さん。
 「伝統の技法に目を向けてもらいたい」と1月に「牛首紬』の織元がある石川県白山市に顧客と職人とをつなぐ新たな店を開いた。
 28歳で渡欧。「エルメス」でデザイナーとして働いていた2016年、パリの見本市で牛首紬の生地に出合った。
 2匹の蚕が作る希少な「玉繭」から引き出される絡み合った糸で織られた独特な立体感と色合いに魅了された。
 「素晴らしい手仕事が各地にある日本ではデザイナーではなく、技術が主役になれる」との思いで、2年後の帰国後、独立した。
 目指すのは裏方の職人が前面に出るファッションだ。
 和服用に織られた反物の形や風合いを最大限に生かして洋服のデザインに落とし込み、紬や絣をジャケットなどに仕立てる。
 津軽の「こぎん刺し」、鹿児島・奄美大島の「大島紬」など織元を訪ね歩き、仕入れを拡大してきた。

 伝統工芸の伝承に力を入れてきた読売は「工芸の郷から」という連載で、日本各地の伝統工芸品を紹介してきたが、過去、自分もその中から何回か取り上げている。

 その2月26日は鳥取県西部に伝わる農民が生んだ素朴な味わい「弓浜絣」だった。
 深い藍色に、白く染め抜かれた鶴亀や鱗文といった素朴な柄が映える。と写真で紹介している。

 
 伝統工芸の一つである津軽こぎん刺しという刺し子に出合ったのは、社会人になって、少しはカネが自由に使えるようになったので、若いうちにあちこち行って見聞を広めようとして、北海道に行き、次いで下北、津軽半島に行ったときのことである。
 日本の伝統芸能や伝統工芸に詳しかった永六輔さんが身に着けていた袢纏が津軽こぎん刺しだったとは耳にした記憶がある。
 かなり高価なもので、伝統工芸品も価格が市民が手に入らないほど高価では普及は難しいかもしれない。

 首都圏の田舎町に生まれ育ったので、首都圏では、東京なら八王子は絹織物の町として知られていたし、武蔵村山市は村山紬の町だったはず。
 機織りの町、群馬県桐生市や伊勢崎市は、桐生織りや伊勢崎絣で知られている。世界遺産で知られる富岡製糸場がある富岡には富岡シルクがある。

 思いつくままに書いても、首都圏だけでも織物関係でかなり伝統工芸品があり、着る人が少なくなった着物ではなく日常的に着る洋服にすれば、売れることは間違いない。
 ただし、職人がが作ることを考えれば相当の価格になってしまうことは仕方ないが、需要がなければ供給し続けることは難しいので、工夫がいるだろう。

 連れ合い宛に「ハルメク」という通販の会社からカタログが毎月手許に届く。
 日本製が少ないのが気に入らないが、偶に日本製の織物を使っていると表示されている洋服があり、連れ合いに薦めて買い求めたことがある。

 この通販は高価なものを買い求める客層をターゲットにはしていないみたいで、価格の割に佳いものがあったりもするのだ。

 寺西さんが店を開いた石川県白山市はその昔、松任市と言っていた頃訪れたことがある。金沢のベッドタウンのような街で、江戸時代の俳人加賀千代女で知られる。
 古都金沢に近いし、店を開くには適している。

 寺西さんのようなプロではない自分が見ても、日本の伝統工芸の織物の生地を使った洋服は絶対需要が多いと断言できる。

 伝統工芸品の販路が増えることを期待したい。
posted by 遥か at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能、伝統工芸