NHKこころの時代〜宗教・人生〜その言葉が道をひらくで、再放送らしいが、「185頭と1人 生きる意味を探して」を視聴することができたので書いておく。
「福島県浪江町にある『希望の牧場』。原発事故により出荷できなくなった肉牛を飼い続けている。自らを『牛飼い』と呼ぶ吉沢正巳さんが『命の意味』を問い続ける日々を追う。
『どんな命も意味があって寿命まで生きるべきだ』福島県浪江町にある『希望の牧場』。原発事故により出荷できなくなった肉牛を飼育し続けている。全国から寄付を募り商品にならない牛に餌をやり、生かし続ける。原発事故から13年たち、高齢により衰弱する牛たち。果たして生かすことに意味があるのか?自らを『牛飼い』と呼び、一見意味の無い営みを続ける吉沢正巳さんが見つけた”意味”とは何なのか?命と向き合う日々を追う。」と㏋にある。
読売の優れた連載「あすへの考」3月2日、(伊藤剛寛編集委員)【人生の意味の哲学】というテーマで、「誕生肯定」の概念を提唱する哲学者森岡正博さん(66)に登場願って「人生の意味の哲学」に新たな光を当て、生まれたことに心から「イエス」というための模索を続けていることを紹介している。
「苦しみがあるから生まれるべきではない」とネットで拡大、これに対し、「生まれたことに『イエス』と言えれば『反出生』の思いは解体できるとする。
結論は、人生の意味も、誕生肯定も、世界に1人しかいないあなたに考えてほしい。とのことだった。
『南極物語』を観た時、世話になった樺太犬タロー、ジローを見捨てて、繋いだまま置き去りにした南極探検隊員たち。なんて身勝手な人間だろうと怒り心頭だった。
ところが、彼らの生命力は強く、1年後に生き残っていたというので落涙してしまった。
後年、語り継ぐ戦争で訪れた稚内で慰霊碑にお参りしている。
脱北する人々を描いた『クロッシング』では独裁者金一族に飢え死にするほどに追い詰められた家族が愛犬を殺して食べるシーンが描かれていた。
お頭は肥満で、市民は飢えて愛犬を殺して食べるという国が存在していることに神の存在を疑ったことを覚えている。
語り継ぐ戦争では、大岡昇平『野火』を塚本晋也監督作品で観たとき、飢餓に苦しむ兵隊がサルの肉だとして仲間を殺して食べた?ことが描かれていたが、飢えれば、なんでも食べてしまうのが人間だと教えられた。
武田泰淳『ひかりごけ』(新潮文庫)でも描かれていたから、驚きはしない自分が怖い。
さて、2011年3月11日の東日本大震災で東京電力福島第一原子力発電所で事故が起きたことから、放射能で住めなくなってしまった浪江町などでは、酪農家は牛を避難させられず、避難命令のままに牛を見捨てて街を離れた。
当然、多くの牛たちが放射能を浴びた被曝牛となり、飼料を与えられず餓死していく。
語り継ぐ戦争では、上野公園で起きた象を餓死させようとした「かわいそうなぞう」の物語があった。
関東軍に見捨てられ棄民となった満蒙開拓団員は集団自決など身近で子殺しに関わり、引き揚げてきても住むところはなく、福島でいえば、浪江町などに入植し、酪農で生計を立てていた。
謂わば開拓民2世の牛飼吉沢正巳さんは放射能を浴び、屠殺される運命にあった肉牛たちを自らの「希望の牧場」でたった一人で飼育しているのは、開拓団員だった親から命の意味について教えられたのかもしれない。
曹洞宗安泰寺の堂頭を務めていたネルケ無方さんは「生きることに意味はない」概念のことであると気づけば、自分が生きているこの瞬間を忘れないようにしようとする。とNHKの心の時代で語っている。
偶々、TVシネマで黒澤明『生きる』を放送していたが、ガンで余命を悟った役所の渡辺市民課長、演ずる志村喬が女性たちからの児童公園設置の要請に応えようと奮闘する様子と、心の平安を得ようと歓楽に興じてみたりする様子が描かれている名作である。
生まれてきたら、死ぬために生きるというのが自分が得た結論である。
自分が好きだった大平正芳元首相は「明日枯れる花にも水をやることだ」と自らの信条を語っていたことを思い出した。
そう、希望の牧場で185頭の牛を一人で世話する吉沢正巳さんはまさに大平元首相のように自らの思う心で生きているのではないか。