2025年03月10日

「生きた証し」を犠牲者名簿 東京大空襲

 語り継ぐ戦争に力を入れている読売が戦後80年の節目ということで、戦争の悲惨さをしっかり伝えている。
 本日、3月10日は米軍による東京大空襲、空爆の日であるが、このことについても、連載を続けている。
 その中でも、どうしても書いておきたかったことを3月7日の4回目でみつけた。
 約10万人が命を落とした東京大空襲の都が作成する犠牲者名簿が公開されておらず、名前を独自に公開する動きが広がっているというのだ。

 都は、遺族らの申告に基づいて、犠牲者の氏名や死亡場所などをまとめた「東京空襲犠牲者名簿」を作っている。2024年末時点の名簿登載者は8万1583人。「遺族の了承を得ていない」などとして公開はしていない。
 このため、東京空襲犠牲者遺族会などは2019年から独自に犠牲者の名前を公開している。
 川崎市のアマチュア落語家中島邦雄さん(90)は空襲で孤児になった。「名前を公開しないと生きた証しが埋もれたままになり、あまりにも残酷だ。同じことが二度と起こらないように、多くの人たちに見てもらいたい」と語る。
 
 沖縄の「平和の礎」は沖縄戦で亡くなった敵味方なくすべての人を刻銘する。
 広島市は原爆死没者名簿を非公開としている。一方、平和記念公園内にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、遺族から承諾を取った上で、2万人以上の名前や写真などを公開している。
 「大阪国際平和センター」(ピース大阪)は、約1万5000人が犠牲になったとされる大作空襲の死没者名簿約9000人分を集め、館内のモニュメントに刻んだ。端末でも閲覧できる。
 江東区森下5丁目町会は、15年、犠牲になった住民の名前を記した墓誌を建立した。現在までに789人分の名前が刻まれている。
 当時の町会長だった清水健二さん(78)は「名前を並べれば、空襲で多くの命が奪われた事実が一目で伝わる。時代を経ても、戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴え続けられる」と意義を語る。


 名前といえば、夫婦別姓が議論されているくらい「生きた証し」として重要なことである。
 戦争では戦没者、死没者のほとんどが数の頭に約がつく。それほど正確な犠牲者の数と名前をつかむことは難しい。
 例えば、シベリア抑留者の名前を調べたことで知られるのは村山常雄さんだが、国際政治学者で多摩大准教授小林昭菜さん(42)が日本人捕虜の数を61万T237人とロシアでの調査の結果で調べあげ、総数にこだわったのは村山常雄さんの影響だという。
 ミッドウェー海戦の戦没者の数が3418人で名前も明らかにしたのは作家澤地久枝さんの功績である。

 空襲、空爆では長岡市は空襲、空爆の犠牲者を1480人余としていたが、1488人と名前も特定している。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では名前が特定されていない無縁仏の供養に力を入れてきた。
 例えば、ヒロシマでは原爆による遺骨約7万人分が眠り、佐伯敏子さんの清掃活動で知られる饅頭型の原爆供養塔やナガサキでは長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂があり、「手向」を献じている。

 遊女や女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたが、こちらは、ほとんど無縁仏であり、例外的に吉原の投げ込み寺浄閑寺や貝塚市には名前がわかっている供養碑がある。

 死が近づいていることを自覚していると、「生きた証し」を残すという気持ちが理解できる。
 沖縄戦の全戦没者を刻銘している「平和の礎」を考えた人に敬意を表したい。