2025年03月06日

原爆は「悪魔の兵器」 被団協代表国連で核廃絶訴える

 核兵器禁止条約の3回締約国会議が3日、米ニューヨークの国連本部で始まった。ノーベル平和賞を2024年受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の浜住治郎さん79)が被爆者を代表して演説し、「原爆は本人の未来を奪い、家族をも苦しめる『悪魔の兵器』だ」と核廃絶を求めた。とメディアが伝えている。

 3月5日の読売によれば、浜住さんの母親は、妊娠3か月だった時に広島で被爆した。胎内被爆者の浜住さんは「原爆を浴びた(おなかの中の)若い細胞にとって放射線の影響は計り知れない。身体や知能の発達が遅れている人たちがいる」と非人道性を訴えた。その上で「私の中では戦争は終わっていない。世界に核兵器があり、核弾頭はいつでも発射される状況にあるからだ。悲劇を繰り返してはいけない」と強調した。

 核兵器の保有や使用を禁止する同条約は2021年に発効した。現在94か国・地域が署名し、73か国・地域が批准している。条約に反対する米露などの核保有国に加え、米国の「核の傘」を享受する日本や北大西洋条約機構(NATO)加盟国は参加していない。


 後期高齢者になるまで生きられるとは思っていなかったが、人生って先のことはわからないものである。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が2024年ノーベル平和賞を受賞し、授賞式の様子を伝えるニュースで、会場に浜住さんの姿を見つけた。
 もう半世紀も前のことになるだろうか。浜住さんと知り合ったのは。
 はますみと名乗られたのは、広島出身の彼は「すみ」と強調し、「ずみ」ではないと紹介された記憶がある。
 広島では濁らないらしい。
 近年では、頂いた郵便物の浜という漢字も「濱」を使用していたようにも記憶していたが定かではない。
 胎内被爆者だといつ聞いたのか覚えていないが、彼が書いたものを読ませてもらったことがあるので、大変な人生を送ってきたことは知っている。
 コロナ渦の前に会った時、原爆の被爆者としての活動をしていると話し、自分が語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国を周っていることを伝えると、シベリア抑留の犠牲者の墓参団のメンバーを紹介してくれ、誘われたことがある。
 炎症性腸疾患クローン病があり、異国の地で具合が悪くなると困るし、そもそも、団体旅行なぞしないから、鄭重にお断りした。
 その彼に授賞式のことや広島の国立の慰霊施設で名前を見つけたことなどを電話で話した。施設には行っていないが、写真を渡した記憶があると言っていた。
 関心のある宇品港のことを教えてもらったが、とても忙しそうだったけれど、国連での演説のことは何も言っていなかった。

 小心者の自分には国連で演説するなんて想像しただけで、緊張してしまいそうだが、彼は普段と全く変わらない態度で、被爆者の核兵器禁止への思いを訴え、見事だった。

 胎内被爆者の夢千代こと永井左千子の日記に綴られた人間模様を描いたドラマ『夢千代日記』を夢中で視聴した時も、彼のことがすぐに頭に浮かんだくらい、影響を受けている。

 米国が人種差別の国だから、イエロージャップとして蔑んでいた日本人の国に原爆を落としたと考えている自分は、戦時中の日系米国人に対する収容所への隔離のことも含め、謝罪を求めている、米国の指導者は例外もあるかもしれないが、ちっとも友好的ではない。

 その米国の顔色ばかり見ている日本政府も情けない。
 核廃絶をあきらめずに訴え続けていくしかない。