2025年03月04日

特攻 人命軽視の作戦 終戦後に出撃命令

 「戦後80年 昭和百年」戦火 中、2月28日の読売がスポットを当てたのは日本軍だけの特色である人命軽視の作戦 特攻である。
 昨日、全滅を美化した玉砕を取り上げたが、両者ともに人命軽視であることに違いない。

 1面では、爆弾を積んだ航空機で米艦に体当たりすることを命じた特別攻撃(特攻)所謂神風特攻隊で生き残った元特攻隊員が証言している。
 「生き残って悪かった」と心のうずきを抱えているそうな。

 特別面では、「特攻 人命軽視の作戦」「終戦後に出撃命令『なぜ』」「死の覚悟強いられ『本当は怖かった』」という見出しに日本軍が開発した専用兵器として、人間爆弾「桜花」、特殊潜航艇「蛟龍」、人間魚雷「回天」、高速ボート「震洋」、人間機雷「伏龍」そして、沖縄戦で特攻作戦に投入され3056人が犠牲となった戦艦「大和」のことが生き残った人とその遺族などの証言を交えて取り上げられている。
 「一式陸上攻撃機」の胴体の下に吊られ、全長6b、切り離されると時速600`以上で機首の1・2dの爆弾と共に体当たりする「桜花」。
 全長26b、5人乗り、魚雷2本搭載の蛟龍は結果的に一部が配備されただけで終戦を迎えた「蛟龍」。
 海軍の魚雷を改造した全長15bの一人乗りで、潜水艦などに搭載され敵艦に体当たりする「回天」。戦死や事故で106人の搭乗員が死亡した。
 全長5〜7bの高速ボート(最大2人乗り)に250キロ爆弾を積み敵艦に体当たりする「震洋」。
 約6200隻が造られた。約2500人が戦死したとされる。
 潜水服を着た兵士が先端に機雷をつけた竹竿を持って海底に潜み、頭上を通過する上陸用舟艇を爆破する計画だったが実験電解で多数の犠牲者を出したため、実戦で使用されることはなかった「伏龍」。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めたのは2008年の8月のことだった。
まず、初めに訪れたのは知覧にある特攻平和会館で、隣接している知覧特攻平和観音堂内で、施設の責任者の許可を得て、亡くなられた特攻隊員の慰霊のため、「みたまに捧ぐ」と「手向」を尺八で献じてからもう17年になろうかという年月が経ってしまった。
 語り継ぐ戦争だから、知覧を訪れたときは、家族を伴っているので、特攻隊員と同世代の家族には戦争の実態を知るためには佳い機会になったのではないか。
 あれから、今日に至るまで、語り継ぐ戦争だから、いろいろ勉強させてもらったので、できれば、もう一度知覧にも行ってみたいが、心身ともにかなり衰えてしまったので難しいかもしれない。

 同じく特攻兵器だった人間魚雷「回天」の記念館がある瀬戸内海の大津島に行ったのは2011年10月のことだから、あれから14年になろうかということで月日の経つのは早いものだ。

 人間爆弾「桜花」は茨城県の鹿島に慰霊碑があるところまでは調べたが、コロナ渦で行くことができていないが、こちらは関東のことだから、何とか行きたいと願っている。

 紙面では、戦争終結 決断が遅れたことについても取り上げていた。
 戦争を終結する仕組みを研究する防衛研究所主任研究官の千々和泰明さんによれば、武器を持って戦争継続を強行に主張する軍部に抗することができたのは「『天皇の聖断』方式をとったから」で、だから戦争終結が実現したものだと見ている。
 「戦争を終結させることが難しいからこそ始めてはならない」と強調する。

 ロシアがウクライナに侵略してから4年目になって、21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンと通じる赤鬼トランプが米国大統領になったら、大国の横暴かつご都合主義でウクライナを虐めるようになった。
 完全なDV、パワハラであり、日本に原爆を落としたことと併せ、米国寄りの政府自民党に怒りを覚える。
 赤鬼のロシア寄りの仲介では、戦争終結に導くことは難しい。
 ウクライナを欧州の国が支えなければ、プーチンは旧東欧圏の国を侵略するかもしれない。

 特攻隊員を筆頭に戦没者、死没者のおかげで80年間何とか平和にやってこられた。
 手を合わせずにはいられない。