2025年03月11日

歴史の教訓 羅針盤に

 小学生の頃から我が家で購読していた読売新聞を読んでいた。
 毎日、読んでいたのは人生案内である。スポーツの紙面も必ず読んでいた。長嶋、王という偉大なスーパースターの影響。さらには、NHKラジオで中継されていた正月の箱根駅伝、読売が主催していた青森〜東京間、東京〜大阪間の駅伝の記事が大好きだった。
 詳しいことはわからないが、新聞は経済部、政治部、社会部と担当が分かれているみたいで、読売の政治部は政府自民党の広報紙みたいで全く信用できないし、読む気もしないが、社会部は語り継ぐ戦争を筆頭にまじめに取り組む記事があってそれなりに評価してきた。

 近年の優れた連載として、「時代の証言者」があり、登場する証言者によっては読んだり、読まなかったりという情けない読者であるが、語り継ぐ戦争をテーマに発信している立場から、大いに参考になる記事であることは間違いない。

 「国民の年表を書く」というタイトルで連載されたノンフィクション作家 保坂正康さんの 36最終回が3月7日にあった。
 「歴史の教訓 羅針盤に」という見出しで、実に勉強になることを教えて頂いた。
 感謝の気持ちを込めて書いておきたい。

 「『平和憲法』という言葉を使わない。戦争放棄の条文をお守りにすれば、平和になれるわけではない。それは「皇軍史」をうのみにした精神構造と変わらない。
 ウクライナを侵略したロシアのプーチンが、現代の核抑止論の限界を実証した。唯一の被爆国として主導的に動くべきではないか。
 甚大な犠牲と引き換えに手にした『民主主義』も揺らいでいる。米国トランプ政権の2期目、日本の選挙制度の混乱を見ても、大きな転換点に来ている。
 昭和100年の歴史は、為政者まかせにすることの危うさも教えている。
 押し寄せる困難を克服できるかは、一人ひとりの主体的で未来を見据えた努力にかかっている。もし迷ったら歴史の教訓を辿り、羅針盤としてほしい。きっと頼りになる。」

 以上が最終回のメッセージで一番心を動かされた部分である。


 語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援を訴えてきた立場から、歴史探偵と称された半藤一利さんと共に昭和史をわかりやすく解説してくれた保坂正康さん。
 TVで昭和史の解説をしてくれたことで、身近に存在になり、「時代の証言者」を読んでさらに親しみを持った。
 半藤一利『昭和史1926〜1945』(平凡社文庫)を買い求めて読んでいるので、昭和史を少しは勉強してきたが、その半藤一利さんが退場されてしまった今、保坂さんが自分にとって昭和史の一番の師匠となっている。

 だから、「歴史の教訓 羅針盤に」という保坂さんの言葉を参考にさせてもらうつもりだ。
 特に、A級戦犯として東京裁判で連合国から裁かれた東条英機の読書歴を辿った保坂さんは、軍事ばかりで文学や哲学に触れた形跡は見当たらなかった。
 「20世紀の戦争は捕虜の扱いが決まっていたのに『生きて虜囚の辱めを受けず』という東条の戦陣訓に従い、日本軍は玉砕を重ねた。命を軽んじる指導者の下で自殺のような戦争をした」と指摘されていたことに驚いた。

 このことは語り継ぐ戦争で自分が何回となく発信してきたことと同じだったからである。
 他人の命を粗末にし、玉砕を命じておきながら、命令した側は裁判で死刑宣告されたのだから、軍人としてみっともない。
 少なくとも自決した軍人たちがいたことを考えれば、己を恥じるべきだと戦没した人たち、命を粗末にさせられた特攻隊員ならきっとそう思うのではないか。

 軍人といえども、文学、哲学などの一般教養を深め、人間性を磨くことの大事さを指摘された保坂さんのバランス感覚に学ぶところは少なくない。

 昭和100年、アジア太平洋戦争、東日本大震災、原発事故、阪神大震災、地下鉄サリン事件と戦争、災害、犯罪、そして感染症の新型コロナと困難が押し寄せてくる日本。
 確かに羅針盤が欲しくなる。ために、歴史の教訓を辿る必要がある。同感である。

2025年03月10日

「生きた証し」を犠牲者名簿 東京大空襲

 語り継ぐ戦争に力を入れている読売が戦後80年の節目ということで、戦争の悲惨さをしっかり伝えている。
 本日、3月10日は米軍による東京大空襲、空爆の日であるが、このことについても、連載を続けている。
 その中でも、どうしても書いておきたかったことを3月7日の4回目でみつけた。
 約10万人が命を落とした東京大空襲の都が作成する犠牲者名簿が公開されておらず、名前を独自に公開する動きが広がっているというのだ。

 都は、遺族らの申告に基づいて、犠牲者の氏名や死亡場所などをまとめた「東京空襲犠牲者名簿」を作っている。2024年末時点の名簿登載者は8万1583人。「遺族の了承を得ていない」などとして公開はしていない。
 このため、東京空襲犠牲者遺族会などは2019年から独自に犠牲者の名前を公開している。
 川崎市のアマチュア落語家中島邦雄さん(90)は空襲で孤児になった。「名前を公開しないと生きた証しが埋もれたままになり、あまりにも残酷だ。同じことが二度と起こらないように、多くの人たちに見てもらいたい」と語る。
 
 沖縄の「平和の礎」は沖縄戦で亡くなった敵味方なくすべての人を刻銘する。
 広島市は原爆死没者名簿を非公開としている。一方、平和記念公園内にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館では、遺族から承諾を取った上で、2万人以上の名前や写真などを公開している。
 「大阪国際平和センター」(ピース大阪)は、約1万5000人が犠牲になったとされる大作空襲の死没者名簿約9000人分を集め、館内のモニュメントに刻んだ。端末でも閲覧できる。
 江東区森下5丁目町会は、15年、犠牲になった住民の名前を記した墓誌を建立した。現在までに789人分の名前が刻まれている。
 当時の町会長だった清水健二さん(78)は「名前を並べれば、空襲で多くの命が奪われた事実が一目で伝わる。時代を経ても、戦争の悲惨さ、平和の尊さを訴え続けられる」と意義を語る。


 名前といえば、夫婦別姓が議論されているくらい「生きた証し」として重要なことである。
 戦争では戦没者、死没者のほとんどが数の頭に約がつく。それほど正確な犠牲者の数と名前をつかむことは難しい。
 例えば、シベリア抑留者の名前を調べたことで知られるのは村山常雄さんだが、国際政治学者で多摩大准教授小林昭菜さん(42)が日本人捕虜の数を61万T237人とロシアでの調査の結果で調べあげ、総数にこだわったのは村山常雄さんの影響だという。
 ミッドウェー海戦の戦没者の数が3418人で名前も明らかにしたのは作家澤地久枝さんの功績である。

 空襲、空爆では長岡市は空襲、空爆の犠牲者を1480人余としていたが、1488人と名前も特定している。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚では名前が特定されていない無縁仏の供養に力を入れてきた。
 例えば、ヒロシマでは原爆による遺骨約7万人分が眠り、佐伯敏子さんの清掃活動で知られる饅頭型の原爆供養塔やナガサキでは長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂があり、「手向」を献じている。

 遊女や女郎と呼ばれし女性たちの供養もしてきたが、こちらは、ほとんど無縁仏であり、例外的に吉原の投げ込み寺浄閑寺や貝塚市には名前がわかっている供養碑がある。

 死が近づいていることを自覚していると、「生きた証し」を残すという気持ちが理解できる。
 沖縄戦の全戦没者を刻銘している「平和の礎」を考えた人に敬意を表したい。

2025年03月09日

悪質ホスト厳罰案 閣議決定 店罰金上限3億円

 女性客へ高額な売掛金を負わせる悪質ホストクラブ問題を受け、政府は7日、運営法人などの罰則を大幅強化する風営法改正案を閣議決定した。
 恋愛感情に乗じた客への高額請求や、支払いのため売春を強いることを規制し、違反した場合は店の営業許可取り消しなど行政処分や刑事罰の対象とする。 無許可で営業した運営法人に科す罰金の上限は、200万円から3億円に引き上げる。とメディアが伝えている。
 3月7日の読売夕刊によれば、風俗営業法改正案のポイントは
 刑事罰を新設したのは、〇料金を支払わせるため、売春行為やAVへの出演などを要求する
 〇風俗店がホストやスカウトに女性の紹介料を支払う
 厳罰化したのは〇運営法人への罰金上限額を200万円から3億円に引き上げる
 禁止したのは〇料金の虚偽説明〇恋愛感情につけこんだ高額な飲食の要求

 警察庁によれば、ホストクラブは東京や大阪など全国に約1000店舗あり、女性に借金を抱えさせ、返済のために売春を強要するなどの悪質営業、卑劣な犯罪が大きな社会問題となっている。
 警察への相談は2024年、全国で2770件寄せられ、対策が急がれていた。


 女性に借金を抱えさせ風俗に沈めるという手口の悪質さは万死に値する重罪だから、死刑もしくは無期懲役にすべきであると被害者家族は考えているのではないか。
 少子化対策が国家の一番の政策だから、女性が結婚し、子どもを産み育てることをできなくする輩には厳罰という厳しい態度で臨むのは当たり前のことである。
 「自由」と「人権」を守るということが毎日書いている最大の理由だから、卑劣なホストと経営者、スカウトたちを死刑もしくは無期懲役にすることを支持する立場である。

 語り継ぐ戦争の立場からみれば、1936(昭和11)年2月26日、陸軍の青年将校たちが決起しクーデターを起こした。結果は失敗したが、以降、自分たちだけ武器を持っている軍人たちが台頭し、5年後の1941(昭和16)年12月には、米国との戦争を始めてしまった。

 高倉健が主演した『動乱』では、2・26事件の青年将校と兵士たちのことが描かれていたが、東北の貧農出身の兵士が妹が女郎屋に売られたことから、貧富の格差に怒り、武器を持って立ち上がったことが描かれていた。
 兵士は上官の命令に従うことが絶対であるが、上官の命令に従ったのは、世の中を変えたいという情熱があったこともまた事実だったはずである。

 明治以降、廓清というか廃娼運動が起きても、戦前、戦後となかなか廃止できなかった花街というか遊廓であるが、1956(昭和31)年に売春防止法がようやくでき、管理売春が禁止されたことから、永年の我が国の懸案だった人身売買が禁止されることになったのである。

 自由と人権を守るということが自分の立ち位置であるから、人身売買絶対反対で、これだけは何としても譲れないという立場である。
 ただし、きれいごとを言うつもりなど全くないので、女性が自らの意志で春を鬻ぐことに関しては否定もしないし、余計なことを言うつもりもない。

 女性を騙し、風俗に沈めた男たちが風俗店から得た収益が70億円だと報道されているが、こんなカネは国が没収しなければならない。

 風俗営業法改正を急ぎ、一日も早く、関係者を厳罰にし、自由と人権を守る社会にしたい。 

2025年03月08日

犯罪被害者の会設立 岡村勲弁護士 死去

 全国犯罪被害者の会(あすの会)」を設立し、犯罪被害者の権利確立に取り組んできた弁護士の岡村勲さんが死去した。95歳だったとメディアが伝えている。

 3月4日の読売によれば、97年、代理人を務めていた旧山一証券を一方的に恨んでいた男に妻の真苗さん(当時63歳)を殺害された。

 遺族が刑事裁判に参加できなかったり、被害補償が不十分だったりする理不尽さを訴え、2000年、家族を奪われた遺族らで「あすの会」を設立し代表幹事に就任。被害者らの刑事裁判参加などの法制化を求め、約56万人分の署名を集めて首相に提出した。

 04年に被害者の権利を明記した「犯罪被害者基本法」が成立。被害者が刑事裁判で被告に質問などができる「被害者参加制度」創設に向けた国の議論に加わって、08年の制度導入に力を尽くした。10年には凶悪犯罪の公訴時効の撤廃も実現した。

 あすの会は会員の高齢化などで18年に解散したが、被害者への経済的支援が不十分なままだとして、22年に「新全国犯罪被害者の会(新あすの会)」を創立。被害者支援に充てる国の予算拡充などを求め、活動を続けてきた。


 佐藤秀郎『衝動殺人』(中公文庫)を買い求めて読んだこと。この本を原作とした木下恵介監督『衝動殺人 息子よ』を観たことで、50代半ばを前に退職し、通教であるが大学で学び、犯罪被害者支援を訴えるため発信している。
 衝動殺人は実話で1960年代半ばの頃だったか、京浜工業地帯で鉄工所を経営していた市瀬朝一さんが一人息子を通り魔に殺害されたことから、全国の事件の被害者の遺族を周って、「被害者遺族が声を上げない限り、遺族は泣き寝入りになってしまう。一緒に立ち上がろう」と呼びかけたのだ。
 この呼びかけに反応したのが木下恵介映画監督で、映画化されたことで犯罪被害者の遺族がおかれた情況が広く知られることになった。
 主が殺害されても、賠償金もなく、生活が困窮することになった被害者遺族を救済する制度が当時はなかったのである。
 
 岡村勲弁護士は、ご自身でも書いていたが、最愛の連れ合いを殺害されるまでは、真に犯罪被害者の立場を理解していなかったというのだ。
 自身が遺族になって弁護士で法律に通じていた岡村さんだから、刑事司法の蚊帳の外におかれた犯罪被害者遺族が国を動かすためには、団結しなければならないと全国犯罪被害の会(あすの会)を結成し、犯罪被害者と遺族の立場に立った活動を始めることになったのである。

 読売の社会部の石浜友理記者2024年4月、岡村弁護士宅で取材したとき、悲願の「犯罪被害者庁」実現に、「私には持ち時間がない」と熱く語っていたそうな。

 「あすの会」代表幹事が弁護士の岡村勲さんでなければ、法律を変えるなんてことはなかなかできることではないし、国を動かすことだって難しかったであろう。
 三菱重工爆破事件が起きて、世間の目が犯罪被害者に向き、遺族に対する支援も他人事でなくなったということも味方にはなっているにしてもだ。

 市瀬朝一さんが立ち上がり、岡村勲弁護士が代表幹事だった「あすの会」や「宙の会」などの犯罪被害者遺族の皆さんの尽力で日本の司法を変えることができた。
 司法制度の蚊帳の外におかれていた犯罪被害者遺族が刑事司法、裁判に参加することができたのは画期的なことである。

 体感治安が悪化している今、いつ犯罪の被害者、あるいは遺族にならないとも限らない。他人事ではないのである。

2025年03月07日

不法行為「解散命令要件」最高裁決定 旧統一教会

 宗教法人法に基づく解散命令請求に向けた質問への回答を拒んだとして、文部科学省が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に行政罰の過料を科すよう求めた裁判で、最高裁第1小法廷(中村慎裁判長)は3日付の決定で、過料10万円を命じた1、2審の判断を支持した。解散命令の要件である「法令違反」に「民法の不法行為が含まれる」との初判断を示した。東京地裁で解散命令を出すか別の裁判が続いており、判断に影響を与える可能性がある。とメディアが伝えている、

 3月5日の読売が1面で伝えているのは、宗教法人法は「法令に違反し、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」があれば裁判所は解散命令を出せると規定。この要件に該当する「疑い」が生じた場合に質問権を行使できるとしている。

 教団側は「『法令違反』は刑事罰を伴うものに限られ、民法の不法行為は含まれない」と主張していた。

 同小法廷は不法行為を「他人の権利や法律上保護される利益を侵害するものだ」と指摘。こうした行為に関係した宗教団体を法人として存続させれば不適切な場合もあるとして、質問権行使は適法だったと結論付けた。

 30面では「解散命令近づいた」「被害対策弁護団期待」という見出しで、最高裁判決が教団への解散命令をバックアップしてくれる可能性が高まっている。


 反日、反社で知られる宗教法人世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が日本で行ってきた悪事をメディアが取り上げられなかったのは、自民党の看板みたいな人物が擁護していたからである。
 流れが変わったのは、2022年7月の銃撃事件である。
 教団に洗脳された母親が献金を続けた結果、一家が破滅したことに教団の洗脳に怒った息子である加害者が教団の擁護者だった人物を標的にし、もはや擁護できなくされたことが契機となって、教団と密接な関係にあった自民党議員と教団の悪事が暴かれていった。

 浅見定雄『統一教会=原理運動その見極めかたと対策』(日本基督教団出版局)1987年発行を買い求めて読んでいるので、統一教会の悪行と洗脳された信者を救い出そうとしていた浅見牧師のような人がいたことを知っていた。
 「若者たちの人格破壊、家庭崩壊、偽りの募金や物売り、教祖のいかがわしい女性歴、脱税事件…数え上げれば本当にきりがない。まさに「その内側は強欲な狼」である。これだけの悪い実をならせるものが、いったいどうして「よい木」であり得ようか。と本の帯というか腰巻に書いてある」

 さらに、連れ合いが働いていた職場でも、洗脳されてしまった女性が退職し、行方不明となったのは、洗脳されて集団結婚させられ、韓国の貧しい男と結婚させられたからではないかと周囲はみていた。
 このやり方が反日の最たるもので、反日の教祖が勝共連合という政治団体を使って、地方議会の保守系の人たちまで騙して、カネを巻き上げてきたのである。

 保守とされている人々がなぜ、反日、反社の旧統一教会に騙されてしまったのか不明ながら、悪事が露見した教団の宗教法人としての認可が取り消される可能性が浮上したのは素晴らしいことである。 

2025年03月06日

原爆は「悪魔の兵器」 被団協代表国連で核廃絶訴える

 核兵器禁止条約の3回締約国会議が3日、米ニューヨークの国連本部で始まった。ノーベル平和賞を2024年受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の浜住治郎さん79)が被爆者を代表して演説し、「原爆は本人の未来を奪い、家族をも苦しめる『悪魔の兵器』だ」と核廃絶を求めた。とメディアが伝えている。

 3月5日の読売によれば、浜住さんの母親は、妊娠3か月だった時に広島で被爆した。胎内被爆者の浜住さんは「原爆を浴びた(おなかの中の)若い細胞にとって放射線の影響は計り知れない。身体や知能の発達が遅れている人たちがいる」と非人道性を訴えた。その上で「私の中では戦争は終わっていない。世界に核兵器があり、核弾頭はいつでも発射される状況にあるからだ。悲劇を繰り返してはいけない」と強調した。

 核兵器の保有や使用を禁止する同条約は2021年に発効した。現在94か国・地域が署名し、73か国・地域が批准している。条約に反対する米露などの核保有国に加え、米国の「核の傘」を享受する日本や北大西洋条約機構(NATO)加盟国は参加していない。


 後期高齢者になるまで生きられるとは思っていなかったが、人生って先のことはわからないものである。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が2024年ノーベル平和賞を受賞し、授賞式の様子を伝えるニュースで、会場に浜住さんの姿を見つけた。
 もう半世紀も前のことになるだろうか。浜住さんと知り合ったのは。
 はますみと名乗られたのは、広島出身の彼は「すみ」と強調し、「ずみ」ではないと紹介された記憶がある。
 広島では濁らないらしい。
 近年では、頂いた郵便物の浜という漢字も「濱」を使用していたようにも記憶していたが定かではない。
 胎内被爆者だといつ聞いたのか覚えていないが、彼が書いたものを読ませてもらったことがあるので、大変な人生を送ってきたことは知っている。
 コロナ渦の前に会った時、原爆の被爆者としての活動をしていると話し、自分が語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国を周っていることを伝えると、シベリア抑留の犠牲者の墓参団のメンバーを紹介してくれ、誘われたことがある。
 炎症性腸疾患クローン病があり、異国の地で具合が悪くなると困るし、そもそも、団体旅行なぞしないから、鄭重にお断りした。
 その彼に授賞式のことや広島の国立の慰霊施設で名前を見つけたことなどを電話で話した。施設には行っていないが、写真を渡した記憶があると言っていた。
 関心のある宇品港のことを教えてもらったが、とても忙しそうだったけれど、国連での演説のことは何も言っていなかった。

 小心者の自分には国連で演説するなんて想像しただけで、緊張してしまいそうだが、彼は普段と全く変わらない態度で、被爆者の核兵器禁止への思いを訴え、見事だった。

 胎内被爆者の夢千代こと永井左千子の日記に綴られた人間模様を描いたドラマ『夢千代日記』を夢中で視聴した時も、彼のことがすぐに頭に浮かんだくらい、影響を受けている。

 米国が人種差別の国だから、イエロージャップとして蔑んでいた日本人の国に原爆を落としたと考えている自分は、戦時中の日系米国人に対する収容所への隔離のことも含め、謝罪を求めている、米国の指導者は例外もあるかもしれないが、ちっとも友好的ではない。

 その米国の顔色ばかり見ている日本政府も情けない。
 核廃絶をあきらめずに訴え続けていくしかない。

2025年03月05日

空襲・空爆 炎に焼き尽くされる街と人々

 「戦後80年 昭和百年」戦火 下、3月1日の読売が伝えているのは非武装の市民が標的となった米軍による無差別空襲、空爆である。
 1面では1945年3月10日、米軍の爆撃機「B29」約300機の大編隊が投下した30万本超の焼夷弾で火の海と化した所謂東京大空襲で一夜で10万人の命が奪われたが、運よく生き残った人たちの証言を伝えている。
 この夜の東京大空襲では、木造家屋が密集する下町が狙われた。 
 本所区(現墨田区)、深川区(現江東区)で被災した90代が空襲、空爆の悲惨さを証言している。

 特別面では、「無差別爆撃 各地で」、「B29の恐怖 頭離れず」、「防空壕の中『おったら蒸し焼きに』」、「長屋を再現 燃え方研究」、「延べ3万3000機が襲来」という見出しで伝える中に、米軍の焼夷弾の構造まできちんと伝えている。

 東京大空襲で下町を焼け野原にした米軍は、全国の都市への爆撃を本格化させる。国が「日本戦災遺族会」(解散)に委託してまとめた1977年度の調査報告書によると、日本本土への空襲による死者は18万6000人に上った。

 米軍機による日本本土への初空襲は、日米開戦から4か月後の42年4月。空母から発艦した「B25」が東京や名古屋に爆弾を落とした。
 B29が日本本土を初めて爆撃したのは44年6月だ。中国の成都から福岡の八幡製鉄所を狙った。
 大阪の空襲による死者・行方不明者は計約1万5000人。45年3月以降、100機以上のB29による大規模な空襲は8回行われた。
 紙面では、3月13日の大阪大空襲、6月19日夜、1000人以上の死者・行方不明者が出た福岡大空襲で生き残った証言を伝えている。
 米戦略爆撃調査団によると、戦時中、B29は延べ約3万3000機が日本本土に出撃。損失は485機だった。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚というのが立ち位置であるから、自分なりにアジア太平洋戦争について学んできたが、今回の空襲、空爆に関しても経験者がどんどん舞台から退場していくのを見て焦りすら覚える。

 米軍のB29が空から焼夷弾という爆弾を落としたことを空襲と呼んでいるが、自分が空襲の後に空爆と付け加えているのは、空襲というよりも空爆の方が実態に近いからだ。

 1960年代後半から70年代のベトナム戦争の時は空爆という表現が使われていたが、あの時米軍がベトナム民族解放戦線(ベトコンと米軍が呼んでいた)が隠れているジャングルを焼き払うために猛毒なダイオキシン入りの枯葉剤を撒いたためにベトちゃん、ドクちゃんで知られる多数の奇形児が生まれた。

 非武装の市民を無差別に爆撃する空襲、空爆はいかに戦時下とはいいながら、戦争犯罪としか思えない。

 2022年2月24日のロシアによるウクライナへの侵略から4年目ということで、ウクライナに目を向けると、ロシアの爆撃で壊された建築物が鉄筋コンクリートだったこと、シェルターが整備されていたことに注目した。
 木造住宅が主流となっている日本だったらと考えただけで怖ろしくなった。

 80年前、大都市とは名ばかりの東京について、住宅が木造建築だと調べ上げた米軍は住宅が密集している下町を標的に焼夷弾を落とし、被害が広がることを想定していたはずだ。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で、北は北海道稚内から南は沖縄の摩文仁まで周ってきたが、空襲、空爆にスポットを当てるなら、やはり、大都市東京、大阪の被害が圧倒的に多かった。
 その大阪の街を案内し、空襲、空爆の資料を作っていただいた大阪城のボランティアガイド植野雅量師が自らの空襲経験を語っていただいたことが忘れられない。
 空からの米軍機の機銃掃射で一緒にいた友人が殺されたというのだ。
 どんなにか怖ろしかったことであろうか。
 その植野師も先年、亡くなってしまった。
 空襲、空爆には機銃掃射もあるということを教えていただいた。

2025年03月04日

特攻 人命軽視の作戦 終戦後に出撃命令

 「戦後80年 昭和百年」戦火 中、2月28日の読売がスポットを当てたのは日本軍だけの特色である人命軽視の作戦 特攻である。
 昨日、全滅を美化した玉砕を取り上げたが、両者ともに人命軽視であることに違いない。

 1面では、爆弾を積んだ航空機で米艦に体当たりすることを命じた特別攻撃(特攻)所謂神風特攻隊で生き残った元特攻隊員が証言している。
 「生き残って悪かった」と心のうずきを抱えているそうな。

 特別面では、「特攻 人命軽視の作戦」「終戦後に出撃命令『なぜ』」「死の覚悟強いられ『本当は怖かった』」という見出しに日本軍が開発した専用兵器として、人間爆弾「桜花」、特殊潜航艇「蛟龍」、人間魚雷「回天」、高速ボート「震洋」、人間機雷「伏龍」そして、沖縄戦で特攻作戦に投入され3056人が犠牲となった戦艦「大和」のことが生き残った人とその遺族などの証言を交えて取り上げられている。
 「一式陸上攻撃機」の胴体の下に吊られ、全長6b、切り離されると時速600`以上で機首の1・2dの爆弾と共に体当たりする「桜花」。
 全長26b、5人乗り、魚雷2本搭載の蛟龍は結果的に一部が配備されただけで終戦を迎えた「蛟龍」。
 海軍の魚雷を改造した全長15bの一人乗りで、潜水艦などに搭載され敵艦に体当たりする「回天」。戦死や事故で106人の搭乗員が死亡した。
 全長5〜7bの高速ボート(最大2人乗り)に250キロ爆弾を積み敵艦に体当たりする「震洋」。
 約6200隻が造られた。約2500人が戦死したとされる。
 潜水服を着た兵士が先端に機雷をつけた竹竿を持って海底に潜み、頭上を通過する上陸用舟艇を爆破する計画だったが実験電解で多数の犠牲者を出したため、実戦で使用されることはなかった「伏龍」。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始めたのは2008年の8月のことだった。
まず、初めに訪れたのは知覧にある特攻平和会館で、隣接している知覧特攻平和観音堂内で、施設の責任者の許可を得て、亡くなられた特攻隊員の慰霊のため、「みたまに捧ぐ」と「手向」を尺八で献じてからもう17年になろうかという年月が経ってしまった。
 語り継ぐ戦争だから、知覧を訪れたときは、家族を伴っているので、特攻隊員と同世代の家族には戦争の実態を知るためには佳い機会になったのではないか。
 あれから、今日に至るまで、語り継ぐ戦争だから、いろいろ勉強させてもらったので、できれば、もう一度知覧にも行ってみたいが、心身ともにかなり衰えてしまったので難しいかもしれない。

 同じく特攻兵器だった人間魚雷「回天」の記念館がある瀬戸内海の大津島に行ったのは2011年10月のことだから、あれから14年になろうかということで月日の経つのは早いものだ。

 人間爆弾「桜花」は茨城県の鹿島に慰霊碑があるところまでは調べたが、コロナ渦で行くことができていないが、こちらは関東のことだから、何とか行きたいと願っている。

 紙面では、戦争終結 決断が遅れたことについても取り上げていた。
 戦争を終結する仕組みを研究する防衛研究所主任研究官の千々和泰明さんによれば、武器を持って戦争継続を強行に主張する軍部に抗することができたのは「『天皇の聖断』方式をとったから」で、だから戦争終結が実現したものだと見ている。
 「戦争を終結させることが難しいからこそ始めてはならない」と強調する。

 ロシアがウクライナに侵略してから4年目になって、21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンと通じる赤鬼トランプが米国大統領になったら、大国の横暴かつご都合主義でウクライナを虐めるようになった。
 完全なDV、パワハラであり、日本に原爆を落としたことと併せ、米国寄りの政府自民党に怒りを覚える。
 赤鬼のロシア寄りの仲介では、戦争終結に導くことは難しい。
 ウクライナを欧州の国が支えなければ、プーチンは旧東欧圏の国を侵略するかもしれない。

 特攻隊員を筆頭に戦没者、死没者のおかげで80年間何とか平和にやってこられた。
 手を合わせずにはいられない。

2025年03月03日

玉砕の現実

 先般、亡くなられた渡邉恒雄主筆が反戦という考え方だったからか、語り継ぐ戦争に力を入れている読売が「戦後80年 昭和百年」戦火 上・中・下というタイトルで2月27日〜3月1日まで、玉砕、特攻隊、空襲空爆についてスポットを当てているので書いておく。

 まず、「こけた頬 玉砕の現実」という見出しで、27日の1面では硫黄島の戦いで運よく生き残った人の声を、特別面で「島々を巡る戦い4つのケース」として全滅を玉砕と呼んで美化した1943年5月のアッツ島、本土空襲の基地としたい米軍と絶対国防圏としての攻防の44年6〜7月のサイパン島、洞窟での持久戦で知られる44年9月〜11月のペリリュー島、そして。鉄の暴風と呼ばれる艦砲射撃で日本上陸への足掛かりとされた45年6月の沖縄。
 その他の島として、占守島、タラワ島、ガダルカナル島、グアム島、ルソン島、レイテ島などでの戦いがあった。
 各地で戦った元日本軍人の生存者が1401人。平均年齢も約100歳になった。
 硫黄島での日本軍は2万1900人が戦死し、生還したのは1033人。米軍の戦死傷者2万8686人。2024年末、見つかった遺骨は1万710柱。
 日本軍の死者はアッツ島が2638人死亡率99%、ペリリュー島1万22人死亡率96%、サイパン4万1244人死亡率95%、沖縄9万4136人死亡率92%で民間人の犠牲者を加えれば、死者はもっと増える。

 41年1月東条英機陸軍大臣が出した「戦陣訓」は「生きて虜囚の辱めを受けず」として捕虜になることを禁じた。男性は米軍に捕まれば殺され、女性は性的暴行されると洗脳されたため、追い詰められると自決を選んだことが玉砕という名の集団自決である。


 戦争というものは戦国時代、織田信長の頃から勝者は敗者を皆殺しにしたり、女性を性奴隷にしたりということをやってきた。
 中国大陸の東北部に侵略し、傀儡政権の満州国をつくった日本軍には現地や朝鮮半島、東南アジアにおいて女性たちを性的暴行した兵士たちがいる。
 戦争の形勢が不利になった1945年8月9日未明、満州や朝鮮半島、樺太に侵攻してきたソ連軍は関東軍に見捨てられた満蒙開拓団などの日本人女性を滅茶苦茶に性的暴行したし、ベルリンに侵攻した際、ドイツ人女性を子どもから中高年まで性的暴行したことで知られる。
 米兵だって、沖縄や占領後の日本で女性を性的暴行している。
 ウクライナに侵略したロシアの兵士がウクライナ女性に性的暴行したり、男性にも性的暴行したことも伝えられている。
 勝てば官軍という言葉があるくらい、勝者が敗者に対し虐待する事件が後を絶たない。

 しかしである。
 性的暴行されるからということで、樺太の電話交換手たちが集団自決したようにあるいは満州やサイパン、沖縄などで集団自決に追い込まれたのは日本だけのことではないか。

 虐待されるかもしれないとわかっていても、ウクライナの兵士が集団自決したことは耳にしたことがないし、まして、米軍となれば集団自決なんてありえないことである。

 やはり、戦陣訓という洗脳教育のせいだとみるのが的を得ているのではないか。

 アッツ島で上陸してきた米軍との戦いで、日本兵300人が軍刀を手に突撃して全滅したことを玉砕と美化したことが玉砕の始まりとは知られたことである。退却を転進、敗戦を終戦などと呼び変えた日本。

 よくよく考えてみれば、死んでしまえばお仕舞だから、死んではダメだと教育しなければいけなったはずだ。

 軍民あわせて310万人が犠牲となった日本。

2025年03月02日

侵略者プーチンと通じるトランプ、国際秩序揺らぐ

 ロシアのウクライナ侵略から4年目を迎え、ウクライナの頭越しにロシアとの停戦交渉を急ぐ米国のトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領との28日の会談が決裂したニュースが流れた。

 第2次大戦後の米国主導の国際秩序がロシアのウクライナ侵略で危うさを増している。米国はロシアの暴挙に際し、自由主義に対する権威主義の挑戦と糾弾し、西側諸国は団結して対露制裁を科し、ウクライナ支援に回った。
 ところが、米国にトランプ大統領が就任するや、米国第一主義の観点から、ウクライナへの支援をしたくないからかウクライナの頭越しに対露交渉による戦争終結を急ぎ、奪ったウクライナの領土を返さず、NATOへの加盟も認めないというロシア寄りの姿勢を打ち出している。
 これに対し、戦争終結後は二度とロシアに侵略をさせないような安全保障を米国や欧州の国々と取り交わしたいゼレンスキー大統領はウクライナに埋蔵されているかもというレアアースなどの鉱物資源の権益を米国に認めると譲歩し、安全保障の担保を求めただけにもかかわらず、上から目線の高飛車な態度のトランプ大統領と手下にいちゃもんをつけられたということらしい。

 優れた連載「あすへの考」その2月23日の読売の紙面では、【戦後80年の世界】をテーマに「米主導の国際秩序 揺らぐ」「帝国的勢力圏拡大は中露の思う壺。国際機関は機能不全に陥る」「米の最大の敵は、トランプ現象と「もう一つのアメリカ」という見出しで政治学者、米国プリンストン大学G・ジョン・アイケンベリー教授(70)に聞いた内容を伝えている。

 対立している米中は共存の道を見出せるのか。自由主義的国際秩序は維持できるのか。
 米中対決で米国に必要なのは日欧など価値観を共有する国々との連携を強化すること。まず西側で自由主義的国際秩序を立て直し、21世紀の課題に取り組む展望を示す必要がある。多国間協調体制を整備・強化してこそ米国は中国の挑戦を退け、共存の方策を見出すことができる。
 しかし、米国の自由民主主義の最大の敵は中国ではなく、トランプ現象であり、オルトアメリカ(もう一つのアメリカ)である。
 ために民衆の分別に訴えることが肝心だが、国内の反動勢力は偽情報を拡散させ、偽りの歴史物語を流通させ、「もう一つの米国」「もう一つの歴史」を作り上げている。
 ウクライナと台湾は強大な大国の暴力や圧力にさらされ、西側に与しようとしている。
 西側の秩序を必死の思いで望む人々が存在している。
 米主導体制には失敗もあるが成功もある。成功をかけがえのないものとして擁護することが、自由民主主義体制存続の危機に瀕している戦後80年の今、格別に重要となっている。
 以上が要旨である。


 ウクライナと台湾の人々の多くが西側の自由観主主義体制を望んでいる。
 そのウクライナが権威主義というか独裁体制のロシアに隷従させられようとしていることに対し、ウクライナの人々は命を懸けて戦っている。
 その先頭に立っているのがゼレンスキー大統領であるから、開国以降、日本の敵であったロシアと戦っている人々を日本政府が支援することを大いに支持してきた。
 米国はご都合主義の国で、全く信頼に値しない国であるが、自由と民主主義体制のリーダー的地位にあることもまた事実である。その米国の大統領がもう一つのアメリカを代表する守旧派の一員で自由主義陣営に背を向ける存在だとするなら、自由民主主義体制国家所謂西側諸国にとっては迷惑この上ない存在である。

 ロシアと陸続きの欧州各国はウクライナへの武力侵略を認めれば明日は我が身ということで、ウクライナ支援に関してはできる限りの援助を惜しまなかったし、今後も、できるだけのことはするだろう。
 祖国防衛に関してはNATOで集団安全保障体制ができているが、ウクライナのNATO加盟を断固阻止したいロシアは核兵器を脅しの材料にし、圧力をかけている。

 人間にとって食べることは別にして、生きていくとき、大切なのが自由だということで発信してきた立場としては、自由と民主主義陣営に与したいウクライナと台湾の人々の気持ちに何とか応えてやれないものかと思案するが、自由と民主主義陣営のリーダー格が自らも独裁者同然だからか、ロシアの回し者みたいでは、これから、戦争があちこちで起こりそうでお先真っ暗である。

2025年03月01日

臓器休日摘出 最多83件 脳死移植 施設逼迫

 2024年に実施された脳死下の臓器提供130件のうち、過去最多の83件が休日に集中していたことが読売新聞のデータ分析でわかった。前年に続き高止まりしており、移植施設の人員や病床が 逼迫し、臓器受け入れの見送りにつながっている可能性がある。厚生労働省は、患者が登録する移植施設を複数にするなどの対策を進めており、効果が上がるか注目される。と2月21日の読売が夕刊1面トップで伝えている。


 永く読売がを購読しているが、臓器移植に関して力を入れて伝えていることがわかる。
 臓器移植は待っている患者にとっては生きる死ぬの問題だから待ったなしであるが、最も重要なのは臓器の提供である。
 脳死状態で臓器を提供してくれる人がいるから臓器を移植することにつながるわけだ。
 次いで、医療スタッフと医療機関の問題も大きい。

 ということで、脳死移植が休日に集中するには理由があってのことだから、その理由を解明し、対策はとれるはずである。

 若い頃、一緒にキャンプしたりしていた友人が2024年の3月からだというが、人工透析を受けるようになった。
 2023年の秋に、ギターが上手な彼が公共施設の秋祭りに出演し、ボーカルの女性の伴奏をしていたのである。
 最初は、友人だとは気づかず顔色が悪いなと思って客席で観ていたが、途中で友人に似ていると気づき、よくよく見てみたらやはり友人だった。
 舞台から降りてきた彼と客席であいさつを交わしたが、やはり、顔色が土気色だったので心配していたら、2024年の夏に、やはり、一緒にキャンプに行くなど親しかった別の友人が亡くなったことを件の彼が教えてくれたのである。このとき、人工透析を受けていることを聞いたというわけだ。

 映画を観たことで知り合った『風の波紋』の監督もまた人工透析をしているとのことだったが、こちらは、ドナーの提供を受けて腎臓移植をしたと次作の資金のカンパの要請があった時知った。

 連れ合いの双子の姉の伴侶もまた50代から20年くらい、さらに、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚でお世話になったガイド師もまた長い期間ではないが人工透析を受けていた。
 二人とも亡くなってしまった。

 臓器移植といえば、自分と関わりがあった人は人工透析患者だったから腎臓移植ということになるが、聞けば聞くほど人工透析は大変なことらしい。

 腎臓は二つあるとのことで、元気な臓器提供者(ドナー)から提供を受けることが可能であることから、脳死移植とは一緒にならないかもしれない。

 人工透析の大変さを耳にして、腎臓移植を願う気持ちを理解することができた。
 一人でも多くの臓器移植を待ち望む患者のことを思えば、脳死移植が休日に集中することで、臓器移植ができなくなってしまうことを防止しなければならない。
posted by 遥か at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 医療