2025年02月23日

戦後80年 日記・手紙が語り継ぐ戦争

 「戦後80年、昭和百年 日記・手紙から」というタイトルで、文字で戦争を語り継ぐ連載を2月16日〜21日まで、5回読売が続けてくれた内容が興味深かったので語り継ぐ戦争の立場から書いておく。

 「孤島から届いた父の愛」「遺書『僕ノ分マデ子供ヲ可愛ガツテ」、マーシャル諸島で餓死した父からの手紙。/「生後118日の写真 届かず」「硫黄島の父『唯一の私の希望』抱けぬまま」と硫黄島で戦死した父からの手紙。/「女子挺身隊 感性のまま」「97歳亡くなる日まで生き抜き『描き切った』」青森の母が残した日記。/「娘5人へ前向き 父の金言」「東南アジアから32通『衣食住に美を見出せ』」という台湾海峡に沈められた貨客船「阿波丸」に乗っていた父からの手紙」/そして、「「憎しみ超え 少年は再起」「敗戦後『僕らで日本をもとのとほり』」と少年が書き続けた日記。

 以上が5回分の手紙、日記を紹介した記事の見出しである。


 語り継ぐ戦争であるから、戦争で亡くなった人たちのことを語り伝えることで、死者への慰霊と供養にできればと願っている。
 戦後80年ともなれば、戦争を生き抜いてきた人たちもどんどん退場してしまう。団塊の世代の一員で、直接戦争は知らないまでも、明治生まれの父親が召集され、南方の島スマトラ島から宇品港に帰国できたから、自分が生まれたことを思えば、戦争について、できるだけ次世代に語り継いでいきたいと願う。
 戦争の生き証人であるが、父親が亡くなったのは自分が16歳になったばかりの夏休みだったことから戦争のことは詳しいことは伝えられていない。
 ただ、軍隊の古年兵からだろうか、革のスリッパで殴られて耳が不自由になったことは母親から聞いたことがある。
 軍隊ってなんて酷いところなんだろうって、この点はしっかり語り継がれている。

 戦地に送られた父からの手紙といえば、北原亞以子『父の戦地』(新潮文庫)を買い求めて読んでいるので、絵手紙に込めた父の娘を思う気持ちはしっかり伝わっている。

 手紙は捨てなければ、何回でも読み返すことができる優れものである。
 メール全盛の時代であるが、手紙大好き人間の一員としては手紙の方が有難みがある気がしてならない。

 日記といえば、胎内被爆者の芸妓夢千代こと永井左千子が綴った早坂暁『夢千代日記』がすぐに頭に浮かぶ。
 残念ながら、日記を書く習慣はなかったが、手帳には月に一度行く映画館で観た映画のタイトルを記したりしているので備忘録になっている。

 軍隊では手紙は検閲の対象となっていたが、ソ連にシベリアに連行され抑留中に死んだ山本幡男の遺書を仲間の男たちが口伝で家族に伝える辺見淳『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫)が忘れられない。
 ソ連に抑留中のものを持ち出すことなど不可能だが、文字を暗記して家族に届けたら、さぞや、家族は喜ぶだろう。

 戦争の証言である手紙、日記はしかるべきところできちんと保管し、次世代に語り継がなければならない。