2025年02月17日

核兵器をなくす理想をあきらめるな!

 NHKETV特集「救うことで救われる 〜日本被団協 原爆被害者の闘い〜」を視聴することができたので語り継ぐ戦争の立場から書いておく。

 「去年、ノーベル平和賞を受賞し、「抵抗し続ける力の象徴」と賞された日本被団協。その闘いはいかなるものだったのか。初代事務局長を務めた藤居平一は120時間に及ぶ音声記録の中で、被団協結成から運動分裂に至る経緯、そして救済を巡って生まれた日本政府との軋轢など、知られざる内実を語っていた。被爆者たちは何と闘い続けたのか、そしていかにして世界を動かす力を得ていったのか、日本被団協の歩みに迫る。」


 山陰の温泉町で置屋の女将かつ芸妓でもある夢千代子こと永井左千子は胎内被爆者で、彼女の日記に綴られた人間模様を描いた『夢千代日記』を視聴したことで胎内被曝の大変さを教えられた。

 胎内被爆といえば、偶々、知人に胎内被爆者がいて、定年退職後、彼が被団協の活動をしていることを知った。
 知人はあの日のことを調べたかして、綴ったものを読ませてくれたことがある。
 あの日の朝、出勤した父親は原爆で遺品どころか跡形もなくなったそうな。  
 あの日、あの時、母の胎内にいたから彼に詳しいことはわかるわけがないが、父親が亡くなれば、どこの家庭でも生活は厳しい。年の離れた兄の尽力があったらしいが、それでも厳しい人生であったろうと推察する。
 
 2009年、2015年と広島を訪れているが、語り継ぐ戦争だから家族も同行した2015年の訪問時、平和記念公園内にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で知人の名前、家族のあの日、あの時の様子が記録されているのを家族が見つけた。

 「救うことで救われる」の冒頭、ノーベル平和賞を授与されたノルウェーのオスロの会場の客席に彼の姿を見つけ、少しばかり興奮した。
 似た人などいくらでもいるだろうが、どうも知人に間違いないようだった。

 被団協がノーベル平和賞を受賞したと耳にしても、興奮することはなく、他人事というか遠い世界の出来事のような感は否めなかった。
 しかし、自分の知人が活動に参加しているなれば、身近なものになってくるではないか。

 池田勇人、岸田文雄と戦後、広島出身の首相が二人もいたにもかかわらず、核兵器禁止条約に関し、宗主国米国の顔色を窺いながらという植民地の傀儡政権みたいな態度をとり続けてきた。

 反米ということで態度を明らかにしている自分としては、いくら戦争に敗れたからと言っても、戦後80年も経つのだから、米国に隷従するのを改めてもらいたいところだ。

 核兵器をなくすという理想は崇高なものである。
 被団協のやることはまだまだある。