元検事、刑法学者の土本武司さんが2024年5月、逝去されたことに伴い、2月6日の読売が夕刊「追悼抄」で取り上げている。
岐阜市出身で、博士号を持つ検事から筑波大教授に転身。28年間の検事時代「公害問題の刑事責任に追及に新たな道を開いた」と評される「熊本水俣病事件」の刑事裁判。新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病と並ぶ「四大公害事件」で唯一、企業トップの刑事責任が問われた。
熊本地検は1976年、10年以上前の工場排水で胎児性水俣病患者らを死傷させたとして企業トップを業務上過失致死傷罪で起訴したが、胎児への傷害が罪になるのか、公訴時効(3年)は成立しないのかという法的なハードルがあった。
次席検事として公判を指揮し、新生児の先天異常を引き起こしたドイツの所謂サリドマイド薬害事件などを参考に従来の判例にない新たな法解釈を導き出し、1審で有罪を勝ち取った。
上告審では、時効の起算点を犯罪の「発生」ではなく「結果」とする最高裁の初判断が示された。
土本といえば、土本武司さんと同じ土本姓で、同じく岐阜で生まれたという映画監督土本典昭さんがいた。
水俣病の映画といえば、土本典昭さんというくらいで、『水俣の子は生きている』と『水俣病―その20年』を観ている。
単なる偶然かもしれないが、二人は映画で水俣病の悲惨さを世界に発信し、裁判で検事として水俣病の原因者の企業トップとしての刑事責任を追及したことで知られている。
司法関係者の中で、冤罪事件多発で、強引な取り調べで自白を引き出す警察と証拠を隠す検事の評判がすこぶる悪い。
特に、無実、冤罪を訴え、再審請求を繰り返してきたが、八王子の医療刑務所で獄死した名張の毒ぶどう酒事件の死刑囚奥西勝さんの再審請求を支援している立場としては、検事に佳い印象はない。
語り継ぐ戦争をメインに犯罪被害者支援を訴えてきた立場でもあるから、重大事件が起きるとテレビや新聞からコメントを求められる立場だった土本武司さんが被害者の立場を考えた加害者に厳しいコメントがあって、信頼してきたところである。
水俣病のことを知れば知るほど、企業トップの刑事責任を追及しないではいられない。
この点も、土本武司さんが被害者の立場に立って、追及してくれたことは高く評価できる。