能登半島地震で割れた被災者の家の陶磁器を、東京の美術家ナカムラクニオさん(53)が伝統の技法「金継ぎ」で無償で修復し、新たな命を吹き込む。
「壊れた器をつなぎ合わせ、地震の記憶を受け継ぎたい」と伝統工芸を通じて見守る。と2月4日の読売(深井陽香記者)が伝えている。
金継ぎは割れたり、欠けたりした花瓶やつぼ、茶わんなどを漆でつなぎ合わせ、金粉で飾る日本の伝統技法。ナカムラさんは東京杉並区でブックカフェを経営し、金継ぎ作家としても活動している。
輪島塗や珠洲焼など「伝統工芸の聖地」でもある能登半島にも制作の場をと古民家を手に入れていた。被災で食器が何十枚も割れていた。ほどなく金継ぎで修復を始めたが、被災したみんなの器を再生するのが自分の使命では」と思い直し、SNSで呼びかけた。
器の修復だけでなく、能登の漆林育成も夢に描く。金継ぎした自らの器を販売し、売り上げで漆の木を輪島に植えるというものだ。
「直せるものなら、大切なものが壊れても落ち込むことはない『直す』作業で人の心を元気にしたい」とナカムラさん。
陶磁器を眺めるのが好きだ。
益子で修業したという自分より一回り上の陶芸家の教室をみつけ、連れ合いと通ったことがあるし、自治体や大学の市民向け講座にも参加したことがある。
生来の不器用な手先で抹茶の茶碗づくりにチャレンジしたが、モノにはならなかった。同じ土いじりの畑が忙しくて続かなかったが、師匠が参加している益子焼の陶器市に連れあいの運転する車で行ったのは楽しい思い出となっている。
語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で北は北海道稚内から南は沖縄の摩文仁まで周っているので、慰霊碑の近くに陶磁器の資料館や窯元、店などがあれば、立ち寄ったりして、土産に抹茶碗や酒器などを買い求めてきた。
知覧特攻平和会館に行ったときは、薩摩焼の沈壽官さんの資料館に立ち寄ったこともある。
さて、金継ぎの常識程度のことは当然知っていたが、修復を依頼したことはまだない。
手作りの湯飲み茶わんを愛用していたのだが、家族の不注意で割れてしまったときは落胆したが、陶器は割れるものと決まっているので、すぐに諦めるよりなかった。
韓国に行ったとき利川の陶磁器村だったと記憶する。青磁の湯飲み茶わんを土産に買い求めてきたが、使っていた母親が貫入をひび割れと思い、もう使わないと捨てようとしたので、捨てたことにして、しまってある。
金継ぎという伝統工法は編み出した職人の匠の技は素晴らしい。
本来、割れて使い物にならなくなってしまった陶磁器が修復できるのだから嬉しいことではないか。
さらに、金継ぎで漆を使うということで、同じく漆を使う輪島塗の能登に漆の木を植えるというナカムラさんにエールを送らないわけにはいかない。
藤沢周平『漆の実のみのる国』(文春文庫)で米沢藩主上杉鷹山が藩の財政を立て直すべく殖産事業として漆の木を植える話だったと記憶する。
日本各地では、輪島塗のような漆器の生産があり、漆は貴重な収入源になるはずだった。
能登半島では、輪島塗があるくらいだから、漆は必需品でもあるが、震災で割れてしまった陶磁器などはいくらでもあるだろうから、金継ぎの材料としての漆も必要になってくると植林に目を付けたのは流石である。
手作りのものは二つと同じものはないわけで、それだけに価値があることを考えれば金継ぎでの修復もまた価値がある。