2025年02月02日

被爆ピアノで原爆の犠牲者への追悼と平和への祈り

  「戦後80年 被爆2世の調律師が『被爆ピアノ』の音色で伝える平和 広島」というタイトルで、広島テレビが放送したものを2月2日のWEBで伝えてくれたのを見つけたので語り継ぐ戦争の立場から書いておく。

 戦後80年の2025年の正月元日、広島の平和記念公園で、 被爆2世の調律師が「被爆ピアノ」の音色で、犠牲者を追悼し平和を訴えた。
 企画したのは調律師の矢川光則さん(72)。被爆ピアノを修復、広島から国内だけでなく、海外までピアノを運び、コンサートを通して平和を訴える活動を続けてきた。
 被爆80年を前に、矢川さんが新たに原爆犠牲者の慰霊碑の前で、被爆ピアノを演奏するという取り組みを始めた。
 慰霊碑は市が認定しているものだけで207ある。
 演奏に使われたのは、爆心地から2.6キロの場所で、爆風を受けたピアノ。17歳で被爆したカズコさんという女性から矢川さんが譲り受け修復したピアノである。


 語り継ぐ戦争ではあるが、人の命にに限りがあるように、被爆者がどんどん退場していく。
 ために、次世代が被爆体験を聞き取り、語り継ぐことを受け継いでいる。
 この点、被爆ピアノを筆頭に楽器は次世代にそのまま受け継ぐことができるから、演奏者が志を受け継いでくれれば、ずっと音色で犠牲者の供養と平和への祈りをささげることが可能だ。

 音色で供養といえば、平和記念公園内にある原爆供養塔、土饅頭型の所謂無縁仏で犠牲者の供養を祈って尺八を吹いたことを思い出した。
 尺八といえば、知覧特攻平和会館に出撃した特攻隊員が吹いていた尺八が展示されていた。

 ピアノといえば、1993年に公開された『月光の夏』という実話を基にした映画があった。
 1945年の初夏、大刀洗の陸軍飛行学校分校から始まった目達原基地から特攻隊員が佐賀県の鳥栖小学校にやってきて、出撃前の最後の思い出にグランドピアノでヴェートーヴェンの『月光』を弾くのだ。

 あれから80年を前に、近年ではNHKが放送してくれたのが契機となったのか「街角ピアノ」とか「駅ピアノ」ということで、ピアノが弾ける人が世界中で楽しんでいる様子が伝えられている。

 悔やまれるのは、尺八はレッスンを受けてきたのにピアノは習わなかったことである。
 ところがよくしたもので、連れ合いは嫁入りに持参したのがピアノと自分が乗っていた中古車だけということでピアノが弾けたのである。

 医家オケのメンバーになっている姪は絶対音感というのか、音を聞き分けられるらしいが、連れ合いもそれに近いくらいらしいので音楽大好き人間なのである。
 一緒になってから、ピアノと箏、三絃、十七絃とレッスンを受け、合奏団にも入っているから多忙を極めているが、偶にリクエストしてピアノをお願いすることもある。
 自分がピアノで弾けるのは、子どもの頃視聴していた「快傑ハリマオ」の主題歌を右手で弾くくらいであるのが残念でならない。
 YOUTUBEで街角ピアノを楽しむ人を見るに羨ましくなってしまう。

 ピアノは楽器の王様みたいなものだ。欠点は持ち運びは難しいところにあるが、都庁とか駅など街角にセットしておけば、誰でも弾けるし、誰の思いつきか知らないが、素晴らしい試みである。

 そのピアノが被爆し、調律師が手を加え、息を吹き返して、追悼と平和のために音色で訴えることをぜひ続けてほしい。