NHK首都圏情報ネタどり1月24日放送、「相次ぐ赤ちゃん遺棄事件 どうしたら命を守れるか」を視聴し思うことがあるので書いておく。
「生まれたばかりの赤ちゃんが遺棄される事件が後を絶たない。最新の統計ではおととし9人、この20年で185人の赤ちゃんが生後0日で亡くなった。背景に何があるのか。事件に関与した母親へのインタビュー、首都圏で起きた事件の裁判記録、女性支援団体の実情を取材。出産する女性の社会からの孤立、男性パートナーの無関心など課題が見えてきた。小さな命を守るために社会に何が必要なのか考える。」と㏋にある。
予期せぬ妊娠 相談窓口
▼特定非営利活動法人BONDプロジェクト
▼公益社団法人小さないのちのドア
▼全国のにんしんSOS相談窓口
1981年から1984年にかけて、NHKドラマ人間模様『夢千代日記』を視聴して激しく心を揺さぶられ、早坂暁の脚本が書籍化されていたので買い求めてしまった。
ついでに書くなら、影響されて、青山のシナリオ学校に通い、自分にも脚本が書けるかもしれないと思ったのは浅はかだったことにすぐに気づいた。続かなかったのである。
山陰地方の温泉町で置屋の女将かつ芸妓で、胎内被爆者でもある夢千代の日記に綴られた物語だった。
ヒロインは吉永小百合で、親切な医者をケーシー高峰が演じていたが、この医者が赤ちゃんのあっせんをしていた。
前置きが長くなってしまった。
1970年代に菊田昇産婦人科医師が赤ちゃんあっせん事件を起こした。「実子特例法」を提唱、現在の特別養子縁組制度の制定に大きな影響を与えた。
産婦人科医として中絶手術をする中で、たとえ望まない妊娠や経済的に困難な状況を抱えた中絶であったとしても赤ちゃんにも生きる権利があるのではないかと考え、赤ちゃんあっせんという当時は違法なことだったが、救われた命にとっては救世主ともいうべき立派な人物だった。
菊田昇医師のことはすでに書いているし、熊本の慈恵病院の赤ちゃんポストのことも何回となく書いているのは、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で訪れた福岡二日市の母子地蔵のことを知っているからだ。
1945年8月9日未明、満州(現中国東北部)に侵攻してきたソ連軍は逃げ惑う満蒙開拓団などの女性に激しく襲いかかり性的暴行を繰り返した。
ために、妊娠したり、性感染症の梅毒に罹患した女性が博多や佐世保に引き揚げてきたとき、妊娠中絶手術が行われた。その跡地の祠に母子地蔵が祀られているのだ。
この事実を知った自分は、赤ちゃんあっせんのための養子縁組や赤ちゃんポストのことを発信するようになったというわけである。
自分とおつき合いがあった女性。亭主がありながら、たった一度の見知らぬ男との関係で妊娠してしまい、亭主から捨てられるも、シングルで子育てしている女性のことを以前書いたときにも、赤ちゃんが育てられなければ社会が育てればいいだけのことだ発信したことがあった。
少子化ということよりも、せっかく授かったいのちを親の都合で奪っていいわけがない。
番組では、赤ちゃんポストが遠くて交通費がなかった。親に虐待されて育った家庭環境から親に知られたくなったというような理由で罰当たりにも赤ちゃんを遺棄している。
「ごめんね」じゃないだろう。
なぜ、赤ちゃんを助けようとしなかったのだ。
子どもは親なんかいなくとも育つ。
子どもを殺してはならん。
死んだ子どもの年を数えるというではないか。
後悔するに決まっている。
妊娠させ逃げる男は卑怯者で、こんな男のことは忘れて、生活保護を受けてでも育てるか、施設に預けるかすればいい。
各地の寺を周っていると水子地蔵をよくみかける。
中絶もやった人は後悔しているかもしれないが、生まれてきた命を殺めたら、幸せな人生なんか望めない。