樹齢70年前後のスギやヒノキなどが生い茂る森林。檜原村で持続可能な林業に取り組む「東京チェンソーズ」の社有林。地面に降り注ぐ日光が、この森林がよく管理されていることを物語る。と1月19日の読売、「ホットぷれいす東京」(大金史典記者)が伝えている。
東京チェンソーズは2006年、青木亮輔代表(48)が、当時所属していた地元森林組合から独立する形で仲間とともに創業した。約20ヘクタールの社有林を擁し、植樹と伐採、丸太の販売といった通常の林業に取り組む傍ら、子どもたちに木製の学習机作りを体験してもらったり、木の幹から抽出したアロマオイルを販売したり、大学と連携して木製玩具を作ったり、多岐にわたる活動を展開している。
いずれも東京産の木材をもっと使ってもらうための取り組みだが、中でも特徴的なのが、「1本まるごと販売」だ。
村内にある木材の乾燥場には、二股に分かれた丸太や巨大な根株などが並んでいた。商品化が難しく、従来は山に捨てられていたこれらの木材を「森のヘンテコ素材」と名付け、伐採した木を余すところなく販売している。市場に流通しにくいユニークな素材として、設計士や内装デザイナーらに評判だという。
輸入木材に押されるなどして国内の林業は苦境に立たされている。森林が放置されると、土砂災害が増えたり、二酸化炭素吸収量が少なくなったりするリスクも指摘されている。
大都会東京に未だに村があること自体俄かには信じられないが、村どころか林業が成立するほど豊かな森林があるのだ。
考えてみれば、利根川水系からの水を頼りにしている都民。東京の水がめである奥多摩湖の水はいざというときのために普段使わないようにしているなどと耳にしたことがあるが、奥多摩湖というか小河内ダムだって確か、住所は東京奥多摩町だった。
日原の鍾乳洞、秋川渓谷、そして、都民の森など皆東京だから、東京は狭いようで実は広いということか。
林業の振興については、一次産業の農業と共に幾度となく取り上げてきた。
具体的には、輸入木材の使用禁止とまでは言わなかったが、国内産の木材を使えと何回も訴えている。
語り継ぐ戦争の立場から見れば、戦後80年だから、樹齢70年といえば、米軍の空襲、空爆で焼け野原にされた東京で将来の木材とするため植林が奨励された時代の産物ではないか。
「お山の杉の子」という歌があった。
小学校で分校に行っていたが、4年生になって本校に行き、担任の先生が産休になった時、代替えでやってきた眼鏡をかけた若い女性のY先生が何とか生徒と親しくなろうとしたかして、一緒に歌った歌が「お山の杉の子」だったり、「サラスポンダ」などだった。
団塊の世代だったら、歌詞を知っているのではないか。はげ山に杉の木を育て、木材などにするという内容だったと記憶する。
杉は花粉症に悩まされている自分にとっては嬉しくない樹木であるが、林業の未来を切り開くためなら我慢する。
とにかく、森林は手入れしないと土砂災害の要因となってしまうし、二酸化炭素吸収量が少なくなる。
東京チェンソーズには大いに頑張ってもらいたいのでエールをおくりたい。
森林の樹木は木材になるばかりでなく、ウッドチップにして、公園に撒けば足を痛めないし、やがては肥料にもなる。
木工品のおもちゃを多用すれば、脱プラスチックにも役立つ。
脱プラスチックのためにも林業の振興を応援したい。