2025年01月17日

硫黄島で戦没者追悼式

 太平洋戦争末期に激戦地となり、2万人を超す日本兵が戦死した硫黄島(東京都小笠原村)で16日、都主催の戦没者追悼式があった。2024年は、島の沖合で噴火が起きた影響で都庁で開かれたが、戦後80年となる今年は、再び現地で遺族ら42人が平和への祈りをささげた。と1月17日の東京新聞のWEBが伝えている。

 慰霊施設「鎮魂の丘」での式典では、硫黄島戦を指揮した栗林忠道中将の孫の栗林快枝さん(65)=昭島市=が遺族代表で追悼の言葉を述べた。栗林中将が家族に残した手紙に触れ「平和を守り続け、尊い命を奪い、ただただ深い悲しみだけを残す戦争を絶対に繰り返さないために、事実を風化させないよう、永く後世に正しく伝えていかなければ」と語った。

 式典は1983年に始まり、42回目。参列した遺族は戦没者の子や孫が中心で、80代や50代が多かった。参列者は式典後に島内の慰霊碑などを巡り、花を手向けた。


 なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。
 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション酒井聡平『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。
 未読で取り上げるのは心苦しいが、硫黄島の慰霊祭のことを書いているので知らん顔できない。

 「なぜ『手榴弾と遺骨』が一緒に出てくるのか…硫黄島『全長50メートルの地下壕』での困難」というタイトルで1月10日の現代ビジネスに北海道新聞記者で著者の酒井聡平さんが書いた内容が紹介されている。

 クリント・イーストウッド監督、渡辺謙、二宮和也『硫黄島からの手紙』が公開されたのは2006年だった。
 詳しく知らなかった硫黄島の戦いをこの映画で教えてもらった。

 実は職場の上司の父親が硫黄島で戦死していることを知り、退職後、手紙を出したら、しっかり返信を頂戴した。
 上司は語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚をしている自分に対し、硫黄島で開催された慰霊祭に息子を連れて行ったことがあることを教えてくれた。

 自分の父親は召集され、南方のスマトラ島に送られたが、何とか無事帰国しているから、団塊の世代の一員である自分が生まれることができた。
 上司は、硫黄島で父親が戦死し、未亡人となった母親に育てられたからか、上司となった時、接した限りでは穏やかな人物で印象はよかった。
 硫黄島という名前からして硫化水素というか、有毒な硫黄の危険なイメージを抱くが、戦死しても遺骨収集がなかなか進まないことはこの島の独特な地勢が関係しているからかもしれない。
 しかし、戦後80年ということで、滑走路の下に遺骨がありそうだという話であるなら、米軍に要請し、遺骨を収集すべきである。
 戦死者をもっと敬うべきだ。