読売の「東京春秋 314」という囲み記事の1月5日に「東京大空襲の記憶 時代に」という見出しで(江原桂都記者)が「東京大空襲・戦災資料センター」で開催された東京大空襲の悲惨さを伝える講座で、学芸員の石橋星志さんの言葉にハッとさせられたと書いている。
1945年3月10日未明の東京大空襲で約10万人が犠牲になり、大きな被害が出た墨田区、江東区が自分の所属している江東支局の取材テーマだという。
空襲の体験があまりに悲惨だったためか、残された体験記の数は被害を受けた人の数に遠く及ばず、東京を離れた人も多いとみられる。
「一人でも多くの人の声を記録したい。空襲の記事を全国版にも書くことで、体験者とつながるきっかけを作ってほしい」と願う石橋さん。
私自身も含め、戦争の惨禍を知らない戦後生まれが9割に迫っている。できるだけ多くの方の秘めてきた思いを記事にし、平和の大切さを伝えたい。
江原記者は35歳だという。団塊の世代の一員で後期高齢者になってしまった自分と較べ、父親の年齢も大きな差があるだろう。
明治生まれの自分の父親は南方の戦地に行き、復員したのは宇品港だったから、原爆投下後のヒロシマもしっかり見ているはずである。
父親が召集され、戦地に赴いて殺し合いに否応なく加えられているから、団塊の世代としては語り継ぐ戦争になるのだ。
ところが団塊ジュニアより若い記者が仕事とはいえ、「東京大空襲・戦災資料センター」の講座に参加し、学芸員に教えられたにしても、平和の大切さを伝えたい。というのだから、嬉しく
なってしまう。
戦争になれば、間もなく退場する団塊の世代と較べ30代ともなれば男も女もなく戦争の矢面に立たされる。
だからこそ、アジア太平洋戦争に関してもっと視野を広げて学んでもらいたい。
東京大空襲を伝えるだけでは不十分で、満蒙開拓団であったり、シベリア抑留であったりはたまたヒロシマ・ナガサキの被爆の惨状であったりとしっかり学び、語り継いでもらいたい。