能登半島地震に続く9月の集中豪雨で絶望的な状況にある「能登に生きる人たちの希望への道筋を一緒に探していきたい」と1月6日の読売が「展望2025」というタイトルで村井正美地方部長の決意表明を掲載している。
「復興とは、全ての被災者が明日への希望を持てるようになること」という東日本大震災の被災地で支援活動をしていた人の言葉を紹介し、報道に力を入れていく姿勢を明らかにしていた。
奥能登は過疎化、高齢化が急速に進む。時間はない。国や自治体は、ハード面の復旧だけでなく、住民を絶望から希望へ導く支援策を早急に打ち出す必要がある。
ために、生きる意欲を取り戻すには、農業など「なりわい」の再生が欠かせない。
しかし、なかなか支援が行き届かない。
「奥能登の人にとって、農業は原風景であり、生活の一部」だから、もっと支援が必要なのだ。
間もなく1月17日がやってくる。
1995年のこの日、阪神淡路大震災が起きた。偶々、鳥羽の水族館、スペイン村に家族で行き、帰宅した翌日のことだったから覚えている。
あれから30年になるが、2011年3月11日の東日本大震災、2016年4月14日の熊本地震、そして2024年の正月元日に能登半島地震が起き、9月には奥能登を襲った豪雨で能登地方は絶望的な光景があちこちで展開されている。
道路が壊れたからライフラインの復旧、この地域の復興が遅れているような報道がなされているが、事実は政府自民党から見放されてしまったことが絶望的な状況がなかなか改善されない一番の理由である。
当時の岸田首相は地震直後、現地に行きもしなかった。
経団連など経営者と金持ちのためにだけ顔が向いている自民党だから、復旧が進まない。
れいわ新撰組の山本太郎代表があれほど国会で「能登を助けて!」と質問しているにもかかわらず、地元からの要請がないと自衛隊は派遣できないなどと言っている有様で、国家の総力を挙げて復興に取り組む姿勢がみられない。
読売新聞は、これまでに全国から延べ400人を超える記者を能登半島に派遣し、被災地の「今」を報じてきたそうな。
購読しているわけだから、能登地震の報道に力が入っていることは認める。
しかし、新聞とTVはオールドメディアと批判されるようにフジテレビの女子アナ性接待事件の報道をしていないなど問題があることを認識し、ジャーナリストして、これからも伝えるべきは伝える姿勢をなくしては信頼されないことを肝に銘じるべきだ。
2025年01月11日
2025年01月10日
現代の女衒 女性を風俗に沈め70億円か
女性を風俗店に紹介したとして、警視庁は9日、スカウトグループ「アクセス」リーダーの男の被告(33))を職業安定法違反(有害業務への職業紹介)容疑で再逮捕したと発表した。ホストクラブに借金を抱えた女性客らを全国約350の風俗店に紹介し、組織が約70億円の紹介料を得たとみて、同法違反事件では異例の特別捜査本部を設置して全容解明を進める。と1月9日の読売が夕刊で伝えている。
アクセスは、ホストクラブにツケ払いの借金を抱えるなどした女性客らをX(旧ツイッター)で勧誘。LINEを通じて顔写真や本人確認書類の画像のほか、身長、体重、年齢などの情報を送らせていた。
女性の個人情報は、島根県を除く46都道府県の約350の風俗店側とLINEで一斉共有し、好条件を提示した風俗店に女性をあっせんしていたという。
女性が風俗店で稼いだ収入のうち15%は「スカウトバック」と称する紹介料として、レターパックなどを使って現金で回収していた。
アクセスは遠藤被告を頂点に、知人の紹介などで集められた大学生や飲食店経営者ら約300人で構成。「マネジャー」「チーフ」「プレーヤー」などの役職があり、昇格で報酬が増えるなど組織化されていた。被告は紹介料の約3割を得ていたという。
フジテレビが女子アナに性接待をさせ、させられた女子アナがPTSDで退職せざるを得なくなった。
その和解金が9000万円だという。
女子アナに性接待の名のもとに性加害をした男が所属タレントに性加害をし続けた男の事務所の稼ぎ手だったタレントだという因縁があると文春砲がさく裂した。
文春砲は第2弾では、被害者の女子アナが事件のことを上司に伝えたにもかかわらず、会社は何もしなかったことで会社ぐるみの女子アナ性接待事件であることを伝えている。
精神科医の和田秀樹さんがYOUTUBEに女子アナが仕事を定年まで続けられたらその間の収入は9000万どころではない。和解金が安すぎると訴えていた。
性加害に対する和解金が安すぎる。被害者女性がPTSDに苦しめられるのは死ぬまでだとも指摘し、示談金が安すぎることを指摘していたことが自分と同じ考えだったから、紹介させてもらった。
客の女性を騙し、借金漬けにして風俗に沈める手口の男たちは性加害の男たちと同類で昔なら女衒と呼ばれた男たちだ。
女衒のことを忘八ものだと以前書いたことがある。仁・義・礼・智・信・孝・悌・忠の8つの「徳」を忘れたもののことで、いわゆる人でなしのことだ。
人でなしだから、破れ傘刀舟先生にみつかれば、「やかましいや!この野郎!」「許せねぇ!」「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」と殺されてしまう屑どもだ。
和田秀樹さんの指摘同様、性犯罪や人身売買に対する刑罰が軽すぎて話にならない。
もっと、厳罰にすべきである。
アクセスは、ホストクラブにツケ払いの借金を抱えるなどした女性客らをX(旧ツイッター)で勧誘。LINEを通じて顔写真や本人確認書類の画像のほか、身長、体重、年齢などの情報を送らせていた。
女性の個人情報は、島根県を除く46都道府県の約350の風俗店側とLINEで一斉共有し、好条件を提示した風俗店に女性をあっせんしていたという。
女性が風俗店で稼いだ収入のうち15%は「スカウトバック」と称する紹介料として、レターパックなどを使って現金で回収していた。
アクセスは遠藤被告を頂点に、知人の紹介などで集められた大学生や飲食店経営者ら約300人で構成。「マネジャー」「チーフ」「プレーヤー」などの役職があり、昇格で報酬が増えるなど組織化されていた。被告は紹介料の約3割を得ていたという。
フジテレビが女子アナに性接待をさせ、させられた女子アナがPTSDで退職せざるを得なくなった。
その和解金が9000万円だという。
女子アナに性接待の名のもとに性加害をした男が所属タレントに性加害をし続けた男の事務所の稼ぎ手だったタレントだという因縁があると文春砲がさく裂した。
文春砲は第2弾では、被害者の女子アナが事件のことを上司に伝えたにもかかわらず、会社は何もしなかったことで会社ぐるみの女子アナ性接待事件であることを伝えている。
精神科医の和田秀樹さんがYOUTUBEに女子アナが仕事を定年まで続けられたらその間の収入は9000万どころではない。和解金が安すぎると訴えていた。
性加害に対する和解金が安すぎる。被害者女性がPTSDに苦しめられるのは死ぬまでだとも指摘し、示談金が安すぎることを指摘していたことが自分と同じ考えだったから、紹介させてもらった。
客の女性を騙し、借金漬けにして風俗に沈める手口の男たちは性加害の男たちと同類で昔なら女衒と呼ばれた男たちだ。
女衒のことを忘八ものだと以前書いたことがある。仁・義・礼・智・信・孝・悌・忠の8つの「徳」を忘れたもののことで、いわゆる人でなしのことだ。
人でなしだから、破れ傘刀舟先生にみつかれば、「やかましいや!この野郎!」「許せねぇ!」「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」と殺されてしまう屑どもだ。
和田秀樹さんの指摘同様、性犯罪や人身売買に対する刑罰が軽すぎて話にならない。
もっと、厳罰にすべきである。
2025年01月09日
「東京大空襲・戦災資料センター」記憶を次代に
読売の「東京春秋 314」という囲み記事の1月5日に「東京大空襲の記憶 時代に」という見出しで(江原桂都記者)が「東京大空襲・戦災資料センター」で開催された東京大空襲の悲惨さを伝える講座で、学芸員の石橋星志さんの言葉にハッとさせられたと書いている。
1945年3月10日未明の東京大空襲で約10万人が犠牲になり、大きな被害が出た墨田区、江東区が自分の所属している江東支局の取材テーマだという。
空襲の体験があまりに悲惨だったためか、残された体験記の数は被害を受けた人の数に遠く及ばず、東京を離れた人も多いとみられる。
「一人でも多くの人の声を記録したい。空襲の記事を全国版にも書くことで、体験者とつながるきっかけを作ってほしい」と願う石橋さん。
私自身も含め、戦争の惨禍を知らない戦後生まれが9割に迫っている。できるだけ多くの方の秘めてきた思いを記事にし、平和の大切さを伝えたい。
江原記者は35歳だという。団塊の世代の一員で後期高齢者になってしまった自分と較べ、父親の年齢も大きな差があるだろう。
明治生まれの自分の父親は南方の戦地に行き、復員したのは宇品港だったから、原爆投下後のヒロシマもしっかり見ているはずである。
父親が召集され、戦地に赴いて殺し合いに否応なく加えられているから、団塊の世代としては語り継ぐ戦争になるのだ。
ところが団塊ジュニアより若い記者が仕事とはいえ、「東京大空襲・戦災資料センター」の講座に参加し、学芸員に教えられたにしても、平和の大切さを伝えたい。というのだから、嬉しく
なってしまう。
戦争になれば、間もなく退場する団塊の世代と較べ30代ともなれば男も女もなく戦争の矢面に立たされる。
だからこそ、アジア太平洋戦争に関してもっと視野を広げて学んでもらいたい。
東京大空襲を伝えるだけでは不十分で、満蒙開拓団であったり、シベリア抑留であったりはたまたヒロシマ・ナガサキの被爆の惨状であったりとしっかり学び、語り継いでもらいたい。
1945年3月10日未明の東京大空襲で約10万人が犠牲になり、大きな被害が出た墨田区、江東区が自分の所属している江東支局の取材テーマだという。
空襲の体験があまりに悲惨だったためか、残された体験記の数は被害を受けた人の数に遠く及ばず、東京を離れた人も多いとみられる。
「一人でも多くの人の声を記録したい。空襲の記事を全国版にも書くことで、体験者とつながるきっかけを作ってほしい」と願う石橋さん。
私自身も含め、戦争の惨禍を知らない戦後生まれが9割に迫っている。できるだけ多くの方の秘めてきた思いを記事にし、平和の大切さを伝えたい。
江原記者は35歳だという。団塊の世代の一員で後期高齢者になってしまった自分と較べ、父親の年齢も大きな差があるだろう。
明治生まれの自分の父親は南方の戦地に行き、復員したのは宇品港だったから、原爆投下後のヒロシマもしっかり見ているはずである。
父親が召集され、戦地に赴いて殺し合いに否応なく加えられているから、団塊の世代としては語り継ぐ戦争になるのだ。
ところが団塊ジュニアより若い記者が仕事とはいえ、「東京大空襲・戦災資料センター」の講座に参加し、学芸員に教えられたにしても、平和の大切さを伝えたい。というのだから、嬉しく
なってしまう。
戦争になれば、間もなく退場する団塊の世代と較べ30代ともなれば男も女もなく戦争の矢面に立たされる。
だからこそ、アジア太平洋戦争に関してもっと視野を広げて学んでもらいたい。
東京大空襲を伝えるだけでは不十分で、満蒙開拓団であったり、シベリア抑留であったりはたまたヒロシマ・ナガサキの被爆の惨状であったりとしっかり学び、語り継いでもらいたい。
2025年01月08日
竹工芸の美 米専門家公募展を開催
大分県で2024年5月、竹工芸の米国人専門家2人が若手作家を対象とした公募展を初めて開催した。竹工芸が海外で芸術作品として人気を集めていることを象徴する事例。
活気ある日本の竹工芸界をリードする大分県では10月、県内2人目となる竹工芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)岐部笙芳さん(73)も誕生した。と12月25日の読売(井上裕介記者)が伝えている。
公募展の審査は、米国のメトロポリタン美術館やサンフランシスコ・アジア美術館の学芸員らが務めた。
日本の竹工芸を欧米に紹介してきた専門家ロバート・コフランドさんは、大分で開催した理由を「若い志望者からベテランの作家までが多く集まっている。県が運営する授業料無料の竹工芸訓練センターで基礎を学ぶことができ、美術館などで先輩作家の作品を観る機会も多い」と語る。
大分県は竹工芸で主に用いられる真竹の生産量が全国1位。籠などの生活用品や温泉地の土産品として作られてきた歴史は古く、室町時代に遡る。
1967年には竹工芸を「用の美」から芸術の域に高めたとされる生野祥雲齋がこの分野で初めて人間国宝に認定された。
今回受賞した中臣一さん(50)は「時代に流されない原始的な手作業が魅力。限られた人しか作っていない竹工芸のオリジナリティーが、海外では評価される」と実感しているそうな。
中学生の時、修学旅行列車で京都、奈良に行った。
後年、京都は何回か行っている。当時、竹林で知られる嵯峨野に行ったかどうか定かでないが、土産に買い求めた竹工芸作品が60年後の現在も棚にある。
1975(昭和50)年ごろ、仕事で行った福井で越前竹人形を2体土産に買い求めた。
虚無僧と芸妓を模った作品で、芸妓の竹人形はあれから50年経った今も、棚に在って、自分を見つめてくれているが、虚無僧は知人にプレゼントしてしまった。
20代の終わり頃、尺八を始めた。当時、25万円もした尺八を買い求め現在も吹いているが、竹製品は何だか不思議な縁を感じないわけにはいかない。
語り継ぐ戦争で宇佐海軍航空隊の跡地を訪れた時、湯布院に泊まって宇佐までタクシーで行ったときのこと。
温泉の老舗別府に対し、今や観光地としてよく知られた湯布院の土産物店には竹細工がそれこそ多量に販売されていた。
ということで、大分が竹工芸の一大産地であることは知っていた。
しかも、竹工芸で使われるのが真竹だというではないか。
実は尺八も真竹でつくられているのだ。
「竹工芸は海外での評価が高く、浮世絵が19世紀に西洋でジャポニズムを巻き起こした現象に近い」と公募展のコーディネーター米山佳子さんが指摘していることと自分の考えは一致している。
さらに、認知症への予防対策として、竹工芸を筆頭に手工芸を学校教育、社会教育に取り入れることを提案したい。
認知症が滅茶苦茶増えているが、指先と頭を使う竹工芸や手工芸、織物などを続けている人は認知症にならないのだ。
断言できる。
指先を使わない人間はボケることが少なくない。
竹工芸は海外の富裕層をターゲットに輸出すれば、浮世絵の再来の時代がやってくる。
活気ある日本の竹工芸界をリードする大分県では10月、県内2人目となる竹工芸の重要無形文化財保持者(人間国宝)岐部笙芳さん(73)も誕生した。と12月25日の読売(井上裕介記者)が伝えている。
公募展の審査は、米国のメトロポリタン美術館やサンフランシスコ・アジア美術館の学芸員らが務めた。
日本の竹工芸を欧米に紹介してきた専門家ロバート・コフランドさんは、大分で開催した理由を「若い志望者からベテランの作家までが多く集まっている。県が運営する授業料無料の竹工芸訓練センターで基礎を学ぶことができ、美術館などで先輩作家の作品を観る機会も多い」と語る。
大分県は竹工芸で主に用いられる真竹の生産量が全国1位。籠などの生活用品や温泉地の土産品として作られてきた歴史は古く、室町時代に遡る。
1967年には竹工芸を「用の美」から芸術の域に高めたとされる生野祥雲齋がこの分野で初めて人間国宝に認定された。
今回受賞した中臣一さん(50)は「時代に流されない原始的な手作業が魅力。限られた人しか作っていない竹工芸のオリジナリティーが、海外では評価される」と実感しているそうな。
中学生の時、修学旅行列車で京都、奈良に行った。
後年、京都は何回か行っている。当時、竹林で知られる嵯峨野に行ったかどうか定かでないが、土産に買い求めた竹工芸作品が60年後の現在も棚にある。
1975(昭和50)年ごろ、仕事で行った福井で越前竹人形を2体土産に買い求めた。
虚無僧と芸妓を模った作品で、芸妓の竹人形はあれから50年経った今も、棚に在って、自分を見つめてくれているが、虚無僧は知人にプレゼントしてしまった。
20代の終わり頃、尺八を始めた。当時、25万円もした尺八を買い求め現在も吹いているが、竹製品は何だか不思議な縁を感じないわけにはいかない。
語り継ぐ戦争で宇佐海軍航空隊の跡地を訪れた時、湯布院に泊まって宇佐までタクシーで行ったときのこと。
温泉の老舗別府に対し、今や観光地としてよく知られた湯布院の土産物店には竹細工がそれこそ多量に販売されていた。
ということで、大分が竹工芸の一大産地であることは知っていた。
しかも、竹工芸で使われるのが真竹だというではないか。
実は尺八も真竹でつくられているのだ。
「竹工芸は海外での評価が高く、浮世絵が19世紀に西洋でジャポニズムを巻き起こした現象に近い」と公募展のコーディネーター米山佳子さんが指摘していることと自分の考えは一致している。
さらに、認知症への予防対策として、竹工芸を筆頭に手工芸を学校教育、社会教育に取り入れることを提案したい。
認知症が滅茶苦茶増えているが、指先と頭を使う竹工芸や手工芸、織物などを続けている人は認知症にならないのだ。
断言できる。
指先を使わない人間はボケることが少なくない。
竹工芸は海外の富裕層をターゲットに輸出すれば、浮世絵の再来の時代がやってくる。
2025年01月07日
医師の父と息子で礼文の医療守る
「孤島の若先生と大先生」「父子 礼文の医療守る」という見出しで1月5日の読売が社会面に「継ぐつなぐ」という連載の2回目で稚内からフェリーで2時間という礼文島で頑張る医師の親子を紹介している。
日本海最北の離島にある「礼文町国民健康保険船舶診療所」所長升田晃生さん(39)と現在は嘱託医師である升田鉄三さん(70)父子が島の医療を支える。
小学校卒業後、島を離れて旭川医科大学を卒業し、秋田の病院で働いていた頃、悪性リンパ腫を患った父が治療のため秋田に来た。
数年後、定年を控えていた父に「礼文に帰る」と伝えた。父は嬉しそうな顔をしていた。
父から「医者になれ」と言われたことは一度もない。しかし、幼い頃から見てきたその背中は大きかったのだと思う。「医者は世界に何十万人といるけれど、礼文の医療を知っているのは自分しかいない」と息子は心を決めた。
離島の医療はどんな病気やけがにも対応できなければならない。専門の消化器外科だけでなく、内科や整形外科の指導医にも離島での医療を前提にした助言を求めた息子。
2020年の夏、島に戻り診療所を受け継ぐも、島民に馴染んでもらうのに時間がかかったが、次第に理解を得られた。
実家の横にあるアパートで暮らし、緊急の電話が入れば、昼夜を問わずすぐに駆けつける。
礼文島の人口は約2500人だそうな。
TVや映画で視聴したり、観た『ドクターコトー診療所』のコトー先生こと五島健助医師と升田晃生医師が重なってしまう。
近年、カネが儲かる、収入が多いからと美容整形の医師になり手が多く、医師の診療科目の偏りが目立つと報じられている。
一方で、アフガンで医師でありながら灌漑用水路を敷設し、食料事情をよくした中村哲先生のような歴史に名前を刻み、長く称えられる医師もいる。
余計なお世話だが、コトー先生には彩佳という看護師がいて、映画では夫婦で島の医療を支えてくれた。
晃生先生だって、いつまでも一人では行く末が心配でならない。
礼文島には娘たちはいないのか。看護師になって晃生先生を支えようという女性はいないのか。
いなければ、全国の若い女性に呼びかけたい。
島には島の物語があるもので、古くは壷井栄『二十四の瞳』の舞台となったのはオリーブの島小豆島だった。
ハンセン病患者の収容を描いた小川正子『小島の春』は岡山県瀬戸内市の瀬戸内海の離島の長島愛生園だった。
島民のために働く人たちにエールをおくりたい。
日本海最北の離島にある「礼文町国民健康保険船舶診療所」所長升田晃生さん(39)と現在は嘱託医師である升田鉄三さん(70)父子が島の医療を支える。
小学校卒業後、島を離れて旭川医科大学を卒業し、秋田の病院で働いていた頃、悪性リンパ腫を患った父が治療のため秋田に来た。
数年後、定年を控えていた父に「礼文に帰る」と伝えた。父は嬉しそうな顔をしていた。
父から「医者になれ」と言われたことは一度もない。しかし、幼い頃から見てきたその背中は大きかったのだと思う。「医者は世界に何十万人といるけれど、礼文の医療を知っているのは自分しかいない」と息子は心を決めた。
離島の医療はどんな病気やけがにも対応できなければならない。専門の消化器外科だけでなく、内科や整形外科の指導医にも離島での医療を前提にした助言を求めた息子。
2020年の夏、島に戻り診療所を受け継ぐも、島民に馴染んでもらうのに時間がかかったが、次第に理解を得られた。
実家の横にあるアパートで暮らし、緊急の電話が入れば、昼夜を問わずすぐに駆けつける。
礼文島の人口は約2500人だそうな。
TVや映画で視聴したり、観た『ドクターコトー診療所』のコトー先生こと五島健助医師と升田晃生医師が重なってしまう。
近年、カネが儲かる、収入が多いからと美容整形の医師になり手が多く、医師の診療科目の偏りが目立つと報じられている。
一方で、アフガンで医師でありながら灌漑用水路を敷設し、食料事情をよくした中村哲先生のような歴史に名前を刻み、長く称えられる医師もいる。
余計なお世話だが、コトー先生には彩佳という看護師がいて、映画では夫婦で島の医療を支えてくれた。
晃生先生だって、いつまでも一人では行く末が心配でならない。
礼文島には娘たちはいないのか。看護師になって晃生先生を支えようという女性はいないのか。
いなければ、全国の若い女性に呼びかけたい。
島には島の物語があるもので、古くは壷井栄『二十四の瞳』の舞台となったのはオリーブの島小豆島だった。
ハンセン病患者の収容を描いた小川正子『小島の春』は岡山県瀬戸内市の瀬戸内海の離島の長島愛生園だった。
島民のために働く人たちにエールをおくりたい。
2025年01月06日
性的偽画像 法に限界 対策も追いつかず
生成AI(人工知能)を悪用した性的な偽画像の被害は、国内でも深刻化しつつある。自身の偽画像を拡散された女性は「将来にも影響が出るのでは……」と不安を募らせる。現行法による規制の限界も指摘される中、規制の強化を求める声が強まっている。と12月29っ隊の読売(シンシア由美子、鈴木貴暁記者)が伝えている。
2020年頃からSNSやネット掲示板をパトロールしている民間団体「ひいらぎネット」の永守すみれ代表では、被害に遭った人物が所属する学校や団体などが特定できれば、個別に通報したり、SNSやネット掲示板の運営事業者に削除を依頼したりしている。永守代表は「被害者側の負担はかなり大きく、支援体制を拡充させる必要がある」と訴える。
海外では被害拡大を受け、性的な偽画像の作成や所持、共有を規制する動きが広がる。韓国は2024年9月、作成に加え、視聴、所持なども処罰対象とする法案が可決。米国の複数の州では今年、性的な偽画像の共有などを規制する州法が成立した。
デジタル性被害に詳しい工藤洋治弁護士によると、名誉毀損罪の従来の解釈では「名誉=社会的な評価」と定義され、被s者の社会的評価が低下した場合に「名誉の毀損」があったと判断される。だが、投稿された画像などが明らかに偽物とわかる場合は「被害者の社会的な評価を低下させているとは言いにくい」との理由で、立件が見送られるケースもあるという。
工藤弁護士は「刑法が制定された当初には想定されていなかった事態が起きており、立法の不備としか言いようがない。国は早急に法整備の検討を進めるべきだ」と話す。
若い頃、SNSの時代なんて想像することすらできなかった。まして、AIともなればなおのことである。
スマートフォンやAIを使えない時代遅れの自分は退場するよりない。
ただし、負け惜しみではなく、性的偽画像を作るような下劣かつ卑怯な真似は絶対しない。
学生時代、全共闘運動の全盛期で、ロックアウトで学校が休みだったことなどで学力が身についていないにもかかわらず、卒業はさせてもらったので、学卒ということが恥ずかしくてならなかった。
50半ばを前に、自由になりたいと退職し、時間ができたので、大学の通教に入学し、還暦の頃には何とか卒業論文を書いて目出度く卒業と相成った。
法律が専攻だったから論文を書いて合格すると試験を受けられる制度だった。
ある時、インターネットで調べて書いたら、「何のために勉強しているのだ」と担当教官が激怒したことが忘れられない。
コピペなんぞ教官はお見通しだった。
以降、参考図書を基に自分で考えて論文を書いた。
卒論の口頭試問で教授から自分で考えることの大事さを示唆してもらった。
SNSは便利であるが、性的偽画像がよい例で自らの品性のなさ、馬鹿さ加減を世間にさらすだけではないか。
愚か者が多すぎて嫌になる。
恥を知れと言いたい。
法律で罰するようにせよ。
2020年頃からSNSやネット掲示板をパトロールしている民間団体「ひいらぎネット」の永守すみれ代表では、被害に遭った人物が所属する学校や団体などが特定できれば、個別に通報したり、SNSやネット掲示板の運営事業者に削除を依頼したりしている。永守代表は「被害者側の負担はかなり大きく、支援体制を拡充させる必要がある」と訴える。
海外では被害拡大を受け、性的な偽画像の作成や所持、共有を規制する動きが広がる。韓国は2024年9月、作成に加え、視聴、所持なども処罰対象とする法案が可決。米国の複数の州では今年、性的な偽画像の共有などを規制する州法が成立した。
デジタル性被害に詳しい工藤洋治弁護士によると、名誉毀損罪の従来の解釈では「名誉=社会的な評価」と定義され、被s者の社会的評価が低下した場合に「名誉の毀損」があったと判断される。だが、投稿された画像などが明らかに偽物とわかる場合は「被害者の社会的な評価を低下させているとは言いにくい」との理由で、立件が見送られるケースもあるという。
工藤弁護士は「刑法が制定された当初には想定されていなかった事態が起きており、立法の不備としか言いようがない。国は早急に法整備の検討を進めるべきだ」と話す。
若い頃、SNSの時代なんて想像することすらできなかった。まして、AIともなればなおのことである。
スマートフォンやAIを使えない時代遅れの自分は退場するよりない。
ただし、負け惜しみではなく、性的偽画像を作るような下劣かつ卑怯な真似は絶対しない。
学生時代、全共闘運動の全盛期で、ロックアウトで学校が休みだったことなどで学力が身についていないにもかかわらず、卒業はさせてもらったので、学卒ということが恥ずかしくてならなかった。
50半ばを前に、自由になりたいと退職し、時間ができたので、大学の通教に入学し、還暦の頃には何とか卒業論文を書いて目出度く卒業と相成った。
法律が専攻だったから論文を書いて合格すると試験を受けられる制度だった。
ある時、インターネットで調べて書いたら、「何のために勉強しているのだ」と担当教官が激怒したことが忘れられない。
コピペなんぞ教官はお見通しだった。
以降、参考図書を基に自分で考えて論文を書いた。
卒論の口頭試問で教授から自分で考えることの大事さを示唆してもらった。
SNSは便利であるが、性的偽画像がよい例で自らの品性のなさ、馬鹿さ加減を世間にさらすだけではないか。
愚か者が多すぎて嫌になる。
恥を知れと言いたい。
法律で罰するようにせよ。
2025年01月05日
最高検「適正取り調べを「地検に通知
2023年の1月下旬から痛み出した歯茎の治療をしてくれる口腔外科がなかなか見つからず、近くのかかりつけの内科のクリニックで抗生剤を出してもらって凌いでいたが、不定期ではあるが時々痛んで困っていた。
2024年夏、このことが原因で鬱状態になってしまい、師走になって、かかりつけの先生から口腔外科に行った方がいいとまで言われてしまった。仕方なく、年末の25日、予約なしで診てくれて歯茎の治療もしてくれるという歯科クリニックを見つけることができ、歯茎の腫れているところから膿を出してもらったことで、かなり楽になったのだが、前歯の痛みが取れず、正月早々、これから歯医者に行くので憂鬱でしかたない。
さて、最高検「適正取り調べを」地検に通知、自白に固執せずというニュースがメディアで伝えられている。
12月28日のNHKによれば、東京地検や大阪地検の特捜部などが捜査した事件で不適正な取り調べが相次いでいることを受け、最高検察庁が各地の検察庁に自白に固執せず、適正な取り調べを徹底するとともに、事案に応じて任意の聴取も録音・録画することなどを求める通知を出したことが関係者への取材でわかった。
検事の取り調べをめぐっては5年前の2019年、大阪地検特捜部が捜査した横領事件の取り調べで検事が机をたたき、「検察なめんなよ」などと強い口調で迫っていたことや2021年、東京地検特捜部が捜査した詐欺事件でも担当検事が「検察庁を敵視するってことは、反社や、完全に」などと自白を迫り、大声を出すなど、不適正な取り調べが相次いで明らかになり、いずれも最高検察庁が不適正と認定している。
国家権力の怖ろしさを証明しているかのような東京地検や大阪地検特捜部の不適正な取り調べにはぞっとする。
警察の取り調べで自白に固執するかのようなことが冤罪事件の温床となってきたとされていることはよく知られたことだ。
取り調べで机を叩き、「検察なめんなよ」などと脅しともとれるかのような態度は奢りそのものである。
証拠に基づいて被疑者を訊問すればいいので、机を叩く必要はない。
ただし、被疑者にはしたたかな者だっているから、高飛車に出たくなる気持ちも理解できなくはない。
怖ろしいのは冤罪事件で、電車内の痴漢を疑われて、冤罪と戦っている人の身になれば、冤罪だと訴えても聴く耳を持たない検察の取り調べ程怖ろしいものはない。
もう一度、取り調べの原点に立ち返り、真実を追求し、冤罪をなくしてもらいたい。
事案に応じて任意の聴取も録音・録画することなど、録音・録画をもっと活用してほしい。
2024年夏、このことが原因で鬱状態になってしまい、師走になって、かかりつけの先生から口腔外科に行った方がいいとまで言われてしまった。仕方なく、年末の25日、予約なしで診てくれて歯茎の治療もしてくれるという歯科クリニックを見つけることができ、歯茎の腫れているところから膿を出してもらったことで、かなり楽になったのだが、前歯の痛みが取れず、正月早々、これから歯医者に行くので憂鬱でしかたない。
さて、最高検「適正取り調べを」地検に通知、自白に固執せずというニュースがメディアで伝えられている。
12月28日のNHKによれば、東京地検や大阪地検の特捜部などが捜査した事件で不適正な取り調べが相次いでいることを受け、最高検察庁が各地の検察庁に自白に固執せず、適正な取り調べを徹底するとともに、事案に応じて任意の聴取も録音・録画することなどを求める通知を出したことが関係者への取材でわかった。
検事の取り調べをめぐっては5年前の2019年、大阪地検特捜部が捜査した横領事件の取り調べで検事が机をたたき、「検察なめんなよ」などと強い口調で迫っていたことや2021年、東京地検特捜部が捜査した詐欺事件でも担当検事が「検察庁を敵視するってことは、反社や、完全に」などと自白を迫り、大声を出すなど、不適正な取り調べが相次いで明らかになり、いずれも最高検察庁が不適正と認定している。
国家権力の怖ろしさを証明しているかのような東京地検や大阪地検特捜部の不適正な取り調べにはぞっとする。
警察の取り調べで自白に固執するかのようなことが冤罪事件の温床となってきたとされていることはよく知られたことだ。
取り調べで机を叩き、「検察なめんなよ」などと脅しともとれるかのような態度は奢りそのものである。
証拠に基づいて被疑者を訊問すればいいので、机を叩く必要はない。
ただし、被疑者にはしたたかな者だっているから、高飛車に出たくなる気持ちも理解できなくはない。
怖ろしいのは冤罪事件で、電車内の痴漢を疑われて、冤罪と戦っている人の身になれば、冤罪だと訴えても聴く耳を持たない検察の取り調べ程怖ろしいものはない。
もう一度、取り調べの原点に立ち返り、真実を追求し、冤罪をなくしてもらいたい。
事案に応じて任意の聴取も録音・録画することなど、録音・録画をもっと活用してほしい。
2025年01月04日
げに怖ろしきは都会のネズミ
秋葉原や有楽町などの繁華街を抱える東京都千代田区でネズミに関する苦情が急増し、区は来年度、ネズミの餌とならないよう、可燃ごみを出す際のルールを厳格化する方針を固めた。関連条例を改正し、家庭ごみか事業系ごみかを問わず、蓋付きの容器に入れることなどを定める方向だ。区によると、ネズミ対策を目的としたごみ出しに関する条例は異例だ。と12月26日の読売(石坂麻子記者)が夕刊で伝えている。
ネズミに関するトラブルは全国的に増えている。駆除業者などでつくる日本ペストコントロール協会(東京都)によると、害虫・害獣の相談窓口に全国から寄せられたネズミの相談件数は、2014年度は4525件だったが、23年度は9948件と、10年で2倍以上となった。
同協会の谷川力理事によると、特に繁華街のドブネズミが増加しているという。
子どもの頃、わが家ではネズミの天敵である猫を飼っていたからか、庭に同じく天敵の青大将がいたこともあったからか、ネズミで困った記憶はなかった。
猫から番犬として柴犬を飼うようになったからか、近年はネズミが物置にいるようで、駆除するための粘着シートを置いているが、一度も捕まえることができていない。
ネズミといえば、畑にも野ネズミというのかクマネズミというのか大きなネズミがいるのを目撃したことがあり、駆除するための粘着シートを置いたら、ムクドリとスズメが犠牲になり、後味が悪いので現在はおいていない。
鳥に詳しいわけではないので、ムクドリだろうと思うが確証はない。
わが家ではネズミの餌になるものは屋外には置いていないが、畑では、ほぼ毎日、所謂生ごみを埋めているので、ネズミに掘り返されにように注意している。
畑の作物では、ネズミの好物はサツマイモではないか。収穫前に土の中でかじられてしまう数があまりにも多い。質が悪いのは次から次とかじってしまうからで、かじられたサツマイモはバッチくて捨てるしかない。
対策としては、ネズミ捕り用の粘着シートが考えられるが、ネズミは頭がよくて捕まらなくて、スズメなどが掛かってしまうので設置しづらい。
都会のネズミ、ドブネズミを退治するのは至難の業で、まず、第一歩として、餌になる所謂生ごみの出し方を注意するのは当然のことである。
さらに、ネズミの通り道に粘着シートを置き、一匹でも多く捕まえることである。
兵糧攻めが一番効果があるはずで、本気で取り組まない限りネズミとの戦いに勝てない。
ネズミに関するトラブルは全国的に増えている。駆除業者などでつくる日本ペストコントロール協会(東京都)によると、害虫・害獣の相談窓口に全国から寄せられたネズミの相談件数は、2014年度は4525件だったが、23年度は9948件と、10年で2倍以上となった。
同協会の谷川力理事によると、特に繁華街のドブネズミが増加しているという。
子どもの頃、わが家ではネズミの天敵である猫を飼っていたからか、庭に同じく天敵の青大将がいたこともあったからか、ネズミで困った記憶はなかった。
猫から番犬として柴犬を飼うようになったからか、近年はネズミが物置にいるようで、駆除するための粘着シートを置いているが、一度も捕まえることができていない。
ネズミといえば、畑にも野ネズミというのかクマネズミというのか大きなネズミがいるのを目撃したことがあり、駆除するための粘着シートを置いたら、ムクドリとスズメが犠牲になり、後味が悪いので現在はおいていない。
鳥に詳しいわけではないので、ムクドリだろうと思うが確証はない。
わが家ではネズミの餌になるものは屋外には置いていないが、畑では、ほぼ毎日、所謂生ごみを埋めているので、ネズミに掘り返されにように注意している。
畑の作物では、ネズミの好物はサツマイモではないか。収穫前に土の中でかじられてしまう数があまりにも多い。質が悪いのは次から次とかじってしまうからで、かじられたサツマイモはバッチくて捨てるしかない。
対策としては、ネズミ捕り用の粘着シートが考えられるが、ネズミは頭がよくて捕まらなくて、スズメなどが掛かってしまうので設置しづらい。
都会のネズミ、ドブネズミを退治するのは至難の業で、まず、第一歩として、餌になる所謂生ごみの出し方を注意するのは当然のことである。
さらに、ネズミの通り道に粘着シートを置き、一匹でも多く捕まえることである。
兵糧攻めが一番効果があるはずで、本気で取り組まない限りネズミとの戦いに勝てない。
2025年01月03日
「終戦 守られた命」女性医師の証言
2025年はアジア太平洋戦争の敗戦から80年、昭和で100年になる。
2024年回顧で、読売がくらしの紙面の「ぷらざ」に寄せられた投稿の中から、女性医師の証言に反響が多かったと12月30日に伝えていた。
1945年9月、満州(現中国東北部)で生まれ、誕生直後に命を絶たれそうになった医師、東京目黒区の弘岡順子さん(79)。
当時、ソ連兵による略奪や女性への性的暴行が横行しており、日本人は、赤ちゃんが生まれると産声を上げる前に命を絶つことにしていた。泣き声で隠れ家が見つかったり、日本への引き揚げの妨げになったりする恐れがあるためだ。
弘岡さんが生まれた日は外出禁止令が出され、手にかける役目の助産師が来られなかった。父親が代わりに息を止めようとしたが、とてもできなかった。
命拾いした弘岡さん。「学業を両親が応援してくれ、小児科医となったのはしっかり生きていける力を身につけてほしいと考えたのだろう」と両親の気持ちを慮る。
「いとこの戦没を思い涙」「不穏な今こそ伝えたい」というような多くの反響が寄せられている。
命が守られた奇跡。その奇跡を活かし小児科医になった弘岡さんは、4年前、第一線から退いたが、今も、週1回児童相談所の一時保護所で虐待などに遭った子どもの診察に当たるなど人助けをしている。
戦争では、満州ばかりでなく、沖縄戦でも、ガマと呼ばれる自然壕の中で、子どもが泣くと居場所が分かってしまうと日本兵から、子どもを殺せと銃を突きつけられたと住民が証言している。
戦地では女性は敵兵から性的暴行されたり、赤子は味方から殺害されてしまう。
弱い立場の女性と子どもが生き残るのは戦地では奇跡であることも少なくなかった。
運、不運で片付けてよいとは思わないが、戦地で生き残るには奇跡とが運、あるいは生命力がものをいうなんてこともあるのではないか。
せっかく生かされた命だから、その命を小児科医という人助けの仕事で活かすことは素晴らしい。
れいわ新選組の山本太郎代表は「生きているだけで素晴らしい」ことなんだと発信してきた。
あれから80年、戦争がなかったお陰で後期高齢者になるまで生かされた。
ところが、あれから80年、何だかきな臭いどころか、いつ戦争に巻き込まれないとも限らない不安定な状態にあると言っても過言ではない。
生かされた命だから、戦争をやらない、戦争に巻き込まれないように次世代にバトンをわたしていきたい。
2024年回顧で、読売がくらしの紙面の「ぷらざ」に寄せられた投稿の中から、女性医師の証言に反響が多かったと12月30日に伝えていた。
1945年9月、満州(現中国東北部)で生まれ、誕生直後に命を絶たれそうになった医師、東京目黒区の弘岡順子さん(79)。
当時、ソ連兵による略奪や女性への性的暴行が横行しており、日本人は、赤ちゃんが生まれると産声を上げる前に命を絶つことにしていた。泣き声で隠れ家が見つかったり、日本への引き揚げの妨げになったりする恐れがあるためだ。
弘岡さんが生まれた日は外出禁止令が出され、手にかける役目の助産師が来られなかった。父親が代わりに息を止めようとしたが、とてもできなかった。
命拾いした弘岡さん。「学業を両親が応援してくれ、小児科医となったのはしっかり生きていける力を身につけてほしいと考えたのだろう」と両親の気持ちを慮る。
「いとこの戦没を思い涙」「不穏な今こそ伝えたい」というような多くの反響が寄せられている。
命が守られた奇跡。その奇跡を活かし小児科医になった弘岡さんは、4年前、第一線から退いたが、今も、週1回児童相談所の一時保護所で虐待などに遭った子どもの診察に当たるなど人助けをしている。
戦争では、満州ばかりでなく、沖縄戦でも、ガマと呼ばれる自然壕の中で、子どもが泣くと居場所が分かってしまうと日本兵から、子どもを殺せと銃を突きつけられたと住民が証言している。
戦地では女性は敵兵から性的暴行されたり、赤子は味方から殺害されてしまう。
弱い立場の女性と子どもが生き残るのは戦地では奇跡であることも少なくなかった。
運、不運で片付けてよいとは思わないが、戦地で生き残るには奇跡とが運、あるいは生命力がものをいうなんてこともあるのではないか。
せっかく生かされた命だから、その命を小児科医という人助けの仕事で活かすことは素晴らしい。
れいわ新選組の山本太郎代表は「生きているだけで素晴らしい」ことなんだと発信してきた。
あれから80年、戦争がなかったお陰で後期高齢者になるまで生かされた。
ところが、あれから80年、何だかきな臭いどころか、いつ戦争に巻き込まれないとも限らない不安定な状態にあると言っても過言ではない。
生かされた命だから、戦争をやらない、戦争に巻き込まれないように次世代にバトンをわたしていきたい。
2025年01月02日
正月に家族について考える
正月二日は若い頃から箱根駅伝の追っかけ応援をしていたが、コロナ禍と加齢で行かれなくなってしまった。
何しろ50回大会から2019年の95回大会まで45年続いていたのだから、よく続いたものである。
さて、NHKドキュメント72時間の2024年放送のセレクトからベストテンの3位以下から、昨日、「命」について書いたので、書いていなかったベストテン1位について書いておきたい。
順位などどうでもいいことだが、視聴者としての自分の心を激しく揺さぶられたことは確かである。
4号国道は福島の二本松にある眠らないドライブインを舞台に、ここに集う人々の人生模様が伝えられた。
駅伝大好きだった自分が子どもの頃から応援してきた青森、東京間、通称青東駅伝のコースだったのが4号国道である。
「顔を写さないで」という訳ありの女性が二人。
若い頃、子どもと二人で食べに来た時、カネがなくて一人分だけしか注文できず、店の女将の気配りで二人分の器を用意してくれたこと。ごはんはお替り自由だったことに救われた。今は娘と来て、二人分の注文ができるようになったので、これからもあのときの感謝の気持ちを忘れずに店に通いたいという。
もう一人、猫の写真をスマホで見せてくれた青年。
ペットショップの店員をしているが、将来、自分の店を持つ夢があるのだという。
小学校1年の時、「大きくなったら会おうね」と別れた母親とまだ一度も会えない。「経営者になって、少しでも名が知られるようになれば、母親と会えるかもしれない」というのだ。
連れ合いと子ども3人で来ていた男性は父親がトラック運転手で、子どもの頃、店に連れてきてもらったことを懐かしみ、自身もトラック運転手になり、親になって子どもを連れて店を訪れたとのこと。
父親がトラックの運転席で亡くなったことも明かし、家族のために頑張ってくれた父親への感謝の気持ちを抱いていることが伝わってきた。
ドライブインに集う人々の人生を垣間見るような72時間。
印象に残ったのは、シングルで娘を育てた女性の窮状と店の女将の気配り。女性の女将に対する感謝の気持ち。
小学校1年生で母親に捨てられた息子が、社会人になって母親に会いたいとペットの猫に癒されながらも、ペットショップの店員から経営者になる夢を語る光景。
トラックドライバーだった父親が連れてきてくれた店に、家族を連れてきたトラックドライバー。運転席で亡くなったという父親に育ててくれた感謝の気持ちを語りながらも、自身も家族のために懸命に頑張る姿をみせてくれる。
共通にあるのは「家族」ということになる。
シングルで娘を育てる女性、店では一人分しか注文することができず、取り皿が欲しい時、女将が察してくれて何も言わずに渡してくれるのだ。店ではごはんのお替りが自由というサービスもしてくれていた。
娘を育て、今は二人でやってきて、二人分注文できるようになったが、あの時の女将の思いやりを忘れずに感謝している姿に顔出しはできなくともエールをおくりたくなった。
小学校1年生で母親に捨てられた青年が、ただ母親に会いたいと、少しでも自分の名前が世間に知られるようになれば、母親に会えるかもしれないと店員から経営者になりたいという夢が実現するように応援したくなるではないか。
トラックドライバーが店に家族でやってきて、トラックドライバーとして家族のために頑張ってくれた父親が運転席で亡くなったことを明かすのだ。
家族のために頑張ってくれた父親をお手本に自分も家族のために頑張っている姿を伝えてくれた。
ドライブインは80代の母親と二人の娘という家族で営んでいた。
建物も古くなったので、閉業も考えなくはないけれどという母親。
2025年は昭和100年、語り継ぐ戦争ではあれから80年ということになる。
昭和は遠くなり、家族の形もどんどん変わっていく。
それでも、人の気持ちはそれほど変わるものではない。
箱根駅伝をラジオで聴きながら、家族について考えをめぐらした。
何しろ50回大会から2019年の95回大会まで45年続いていたのだから、よく続いたものである。
さて、NHKドキュメント72時間の2024年放送のセレクトからベストテンの3位以下から、昨日、「命」について書いたので、書いていなかったベストテン1位について書いておきたい。
順位などどうでもいいことだが、視聴者としての自分の心を激しく揺さぶられたことは確かである。
4号国道は福島の二本松にある眠らないドライブインを舞台に、ここに集う人々の人生模様が伝えられた。
駅伝大好きだった自分が子どもの頃から応援してきた青森、東京間、通称青東駅伝のコースだったのが4号国道である。
「顔を写さないで」という訳ありの女性が二人。
若い頃、子どもと二人で食べに来た時、カネがなくて一人分だけしか注文できず、店の女将の気配りで二人分の器を用意してくれたこと。ごはんはお替り自由だったことに救われた。今は娘と来て、二人分の注文ができるようになったので、これからもあのときの感謝の気持ちを忘れずに店に通いたいという。
もう一人、猫の写真をスマホで見せてくれた青年。
ペットショップの店員をしているが、将来、自分の店を持つ夢があるのだという。
小学校1年の時、「大きくなったら会おうね」と別れた母親とまだ一度も会えない。「経営者になって、少しでも名が知られるようになれば、母親と会えるかもしれない」というのだ。
連れ合いと子ども3人で来ていた男性は父親がトラック運転手で、子どもの頃、店に連れてきてもらったことを懐かしみ、自身もトラック運転手になり、親になって子どもを連れて店を訪れたとのこと。
父親がトラックの運転席で亡くなったことも明かし、家族のために頑張ってくれた父親への感謝の気持ちを抱いていることが伝わってきた。
ドライブインに集う人々の人生を垣間見るような72時間。
印象に残ったのは、シングルで娘を育てた女性の窮状と店の女将の気配り。女性の女将に対する感謝の気持ち。
小学校1年生で母親に捨てられた息子が、社会人になって母親に会いたいとペットの猫に癒されながらも、ペットショップの店員から経営者になる夢を語る光景。
トラックドライバーだった父親が連れてきてくれた店に、家族を連れてきたトラックドライバー。運転席で亡くなったという父親に育ててくれた感謝の気持ちを語りながらも、自身も家族のために懸命に頑張る姿をみせてくれる。
共通にあるのは「家族」ということになる。
シングルで娘を育てる女性、店では一人分しか注文することができず、取り皿が欲しい時、女将が察してくれて何も言わずに渡してくれるのだ。店ではごはんのお替りが自由というサービスもしてくれていた。
娘を育て、今は二人でやってきて、二人分注文できるようになったが、あの時の女将の思いやりを忘れずに感謝している姿に顔出しはできなくともエールをおくりたくなった。
小学校1年生で母親に捨てられた青年が、ただ母親に会いたいと、少しでも自分の名前が世間に知られるようになれば、母親に会えるかもしれないと店員から経営者になりたいという夢が実現するように応援したくなるではないか。
トラックドライバーが店に家族でやってきて、トラックドライバーとして家族のために頑張ってくれた父親が運転席で亡くなったことを明かすのだ。
家族のために頑張ってくれた父親をお手本に自分も家族のために頑張っている姿を伝えてくれた。
ドライブインは80代の母親と二人の娘という家族で営んでいた。
建物も古くなったので、閉業も考えなくはないけれどという母親。
2025年は昭和100年、語り継ぐ戦争ではあれから80年ということになる。
昭和は遠くなり、家族の形もどんどん変わっていく。
それでも、人の気持ちはそれほど変わるものではない。
箱根駅伝をラジオで聴きながら、家族について考えをめぐらした。
2025年01月01日
年の初めに「命」を考える
加齢による急激な心身の衰えでピンチだった2024年が行き、明けて2025年を迎えることができた。
正月元旦に生きていることを実感するなんて、記憶にないが、有り難いことだとご先祖に感謝している。
年の瀬にNHKの「ドキュメント72時間」のセレクト2024年放送のベストテンというのか、印象に残っている作品が放送されたのでベスト3まで視聴した。
順位などどうでもいいことだが、別府温泉で貸間を湯治場よろしく長逗留する99歳の男性がいた。
一方で、連れ合いがガンで顔色が土気色というご夫婦がこの貸間にやってくる。
放送後、連れ合いが亡くなったと知らせる夫からの手紙を読む女性タレントが涙を流す。すると自身原発不明ガンで闘病中だと言う山田五郎も身につまされたかして涙ぐむ。
件の99歳の男性はめでたく100歳を迎えたという。
明らかに若い方が先に逝き、めでたく長寿の人は100歳を数えることができたのだ。
さらに、中国のガン病棟のある病院には、家族が患者のために調理するキッチンがあり、そこでも、ドラマが患者の数だけあった。
連れ合いをガンで亡くした男性が生きる支えを失った様子は気の毒で掛ける言葉もみつからない。
鳥取にある墓地で盂蘭盆会に松明をかざして、死者を迎える家族の様子で死者のことを忘れてはいけないということをドキュメントしてくれたのも忘れ難い光景だった。
2024年は正月元旦早々、能登半島を襲った地震で多くの大事な命が奪われた。
世界に目を転じれば、ウクライナに侵略したロシアが北朝鮮の援軍を得て、攻勢に転じ、ウクライナの苦戦とさらなる犠牲者増が伝えられている。
中東のパレスチナでは、イスラエルがハマスへの攻撃を続け、ガザ地区の犠牲者は増えるばかりだ。
正月を無事に迎えたはずでも、10代に富士五湖の本栖湖にキャンプに行った仲間が2024年の夏に亡くなった。
一緒だったもう一人は、3月から人工透析を始めたという。
それでも、2025年が明けて、この1年家族や近しい人たちだけでなく、大事な命が災害、戦争や犯罪、事故、そして、病気などで失われることが少なくなるように願っている。
正月元旦に生きていることを実感するなんて、記憶にないが、有り難いことだとご先祖に感謝している。
年の瀬にNHKの「ドキュメント72時間」のセレクト2024年放送のベストテンというのか、印象に残っている作品が放送されたのでベスト3まで視聴した。
順位などどうでもいいことだが、別府温泉で貸間を湯治場よろしく長逗留する99歳の男性がいた。
一方で、連れ合いがガンで顔色が土気色というご夫婦がこの貸間にやってくる。
放送後、連れ合いが亡くなったと知らせる夫からの手紙を読む女性タレントが涙を流す。すると自身原発不明ガンで闘病中だと言う山田五郎も身につまされたかして涙ぐむ。
件の99歳の男性はめでたく100歳を迎えたという。
明らかに若い方が先に逝き、めでたく長寿の人は100歳を数えることができたのだ。
さらに、中国のガン病棟のある病院には、家族が患者のために調理するキッチンがあり、そこでも、ドラマが患者の数だけあった。
連れ合いをガンで亡くした男性が生きる支えを失った様子は気の毒で掛ける言葉もみつからない。
鳥取にある墓地で盂蘭盆会に松明をかざして、死者を迎える家族の様子で死者のことを忘れてはいけないということをドキュメントしてくれたのも忘れ難い光景だった。
2024年は正月元旦早々、能登半島を襲った地震で多くの大事な命が奪われた。
世界に目を転じれば、ウクライナに侵略したロシアが北朝鮮の援軍を得て、攻勢に転じ、ウクライナの苦戦とさらなる犠牲者増が伝えられている。
中東のパレスチナでは、イスラエルがハマスへの攻撃を続け、ガザ地区の犠牲者は増えるばかりだ。
正月を無事に迎えたはずでも、10代に富士五湖の本栖湖にキャンプに行った仲間が2024年の夏に亡くなった。
一緒だったもう一人は、3月から人工透析を始めたという。
それでも、2025年が明けて、この1年家族や近しい人たちだけでなく、大事な命が災害、戦争や犯罪、事故、そして、病気などで失われることが少なくなるように願っている。