「再審制度のほころび」という見出しの囲み記事に「とれんど」というタイトルで11月30日の読売(足立大論説委員)が冤罪が繰り返される日本の司法に再審制度のルール作り、検察の証拠開示に関する規定を整備せよと訴えていることに賛同したので書いておく。
人が裁判を司れば、間違いも起きる。無実の罪を着せられる冤罪は典型であり、誤った罪をすすぐのも司法の責任である。無辜の救済をうたう再審制度にほころびがあるとしか思えない。
1966年に静岡で起きた一家4人殺害事件で、袴田巌さん(88)半世紀を獄中で過ごし、死刑執行の恐怖に苛まれ続けた。
検察が、後に再審無罪につながる重要な証拠を開示した時、袴田さんが裁判のやり直しを申し立ててから30年経っていた。
10月、1986年に福井で起きた女子中学生殺害事件の再審が決まった。検察が証拠を開示するまで20年かかっている。
法律には再審手続きの規定がほとんどなく、進行は裁判官に委ねられている。検察が証拠を開示するルール作りが急務なのは明白である。
作家石牟礼道子さんの句〈祈るべき天と思えど天の病む〉を取り上げている。
名張の毒ぶどう酒事件で冤罪を訴え、再審開始請求を求めつつも、八王子の医療刑務所で亡くなった奥西勝さんの再審開始請求を妹の岡美代子さんが引き継ぎ、再審開始請求を支えるサポーターになっている。
袴田巌さんの冤罪が晴れたことは大いに喜ばしいことだが、10月下旬に再審開始請求が認められた福井中3殺害事件の再審開始が確定したことに関し、11月27日の読売が「論点スペシャル」で元裁判官の水野智幸さんと甲南大学の笹倉香奈教授、神奈川県警鳴海達之捜査1課長がそれぞれの立場から再審に関して論じている。
中で、元裁判官の水野さんがご自身の経験上から検察の証拠開示が重要だと指摘している。
論説委員の足立さんも指摘しているが、再審手続きの規定の整備、検察の証拠開示に関するルール作りに政府が腰を上げないのは困ったことだ。
物事が歪んでいないか見張るのが天網で、人間の社会に例えれば、司法がその役目を担うとは足立さんである。
その司法が明らかにおかしくなっている。特に、警察、検察が真実の追求をないがしろにし、事件解決さえすればいいと、誰かをスケープゴートにし、事件が解決したかのように見せかける構図が怖ろしい冤罪を生む。
水俣病で患者に寄り添い、『苦界浄土』等の著作などで患者の苦しみを訴えて来られた石牟礼道子さんの句は全くその通りで、国家権力も代行する人間によっては怖ろしい結果を招く。
真実を追求するのが刑事ドラマ『相棒』の杉下右京だけでは本当に困ってしまう。