2024年12月11日

元検事正性的暴行被害検事調査申し立て

 元大阪地検トップの検事正だった被告(65)による準強制性交事件で、被害者の女性検事が3日、取材に応じ、職場で誹謗中傷され、二次被害を受けてきたとして、現在所属する大阪地検に調査を申し立てたことを明らかにした。女性は「検察に何度も殺され続けている」と語った。と12月4日の読売が伝えている。

 部下の女性検事に性的暴行を加えたとして準強制性交罪に問われ、初公判で起訴事実を認めた元大阪地検検事正の被告の弁護人が10日、大阪市内で記者会見し、今後の大阪地裁の公判で被告が一転して無罪を主張することを明らかにした。これに対し、女性検事は同日、「どこまで愚弄すれば気が済むのか」と被告側の対応を批判するコメントを出した。と12月11日の読売が伝えている。


 元大阪地検トップの検事正だった男が部下の女性検事に性的暴行した容疑で逮捕され、起訴され、地裁の初公判ではっきり起訴事実を認めておきながら、弁護士が交代したからか、一転して無罪を主張することになったとメディアが伝えている。

 検察のトップで法律に精通しているであろう元検事正が一度は起訴事実を認めておきながら、一転無罪を主張することになったことを知り、元TBSの記者だった男がジャーナリスト志望の女性に酒などを飲ませ性的暴行しておきながら、権力の力で事件を起訴させないようにしたとされている事件を思い出した。

 結果的に、刑事裁判はともかく、民事裁判で男の容疑は晴れるどころか責任を認められ、損害賠償を命じられた。

 両者ともに、被告が被害者女性に性的暴行をした事実があったことは間違いない。というのは、同意があったから犯罪ではないと主張しているだけである。

 しかも、元検事正の男は公判で一度は起訴事実を認めていることから、いくら何でも裁判では有罪になることが予想される。

 酒を散々飲ませて、抗拒不能の状態で、同意があったなどと、いかに何でも往生際が悪すぎる。
 厳罰にせよ!

 被害者の女性検事が職場で「何度も殺され続けている」と記者会見で訴えている。
 女性の社会進出を邪魔しているのは、件のジャーナリストや元検事正のような男たちだ。

 許せない。

 女性が活躍しなければ、社会はよくならない。
 被害者の女性検事にエールをおくる。権力を持った男に負けるな!

2024年12月10日

「農の学校」ボランティア養成

 高齢化に伴う人手不足に悩む農家を支えるため、東京日野市が農業ボランティアを養成する講座「農の学校」を始めてから、まもなく20年を迎える。修了生たちは援農NPO法人にスタッフとして登録され、現在も約120人が市内の各農家で作業を手伝うなど、地域の農業を支える上で欠かせない存在となっている。と12月3日の読売(久保拓記者)が伝えている。

 11月20日、1年間の講座を締めくくる「収穫祭」が開催され、収穫した野菜を食材にした豚汁を味わいながら参加者は1年間の講座を振り返った。

 日野市が「農の学校」を始めたのは2005年1月。市内の農地を手放して住宅地に転用しようとする農家が相次いだことから、地域農業の新たな担い手を育てようと、JA東京みなみ(日野市)などと協力して開講を決めた。
 受講者は市が借り上げた畑での実習や座学で、講師役の農家たちから野菜の育て方や農薬の使い方などを約1年かけて学ぶ。受講は無料だが、修了後にNPO法人「日野人・援農の会」に農業ボランティアとして登録し、市内で活動することを条件としている。昨年までの修了生は計316人に上り、現在125人が登録。今年度も市内の農家44軒がボランティアの力を借りたという。


 東京の日野市と言っても、失礼ながら知名度は高くないかもしれない。
 新選組の土方歳三の生家がある街だと言えば、『燃えよ剣』で栗塚旭の土方歳三を視聴していた自分は無論のこと、頷く人は少なくないのではないか。
 その日野一帯は江戸期に「多摩の米蔵」と評されるほど昔から農業が盛んであった。(日野市農業振興課)  
 ところが、高齢化で農家の担い手が減る一方、若年層は少なく、歴史ある農業が衰退しつつあるそうな。

 市の講座を修了すると、NPO法人「日野人・援農の会」に農業ボランティアとして登録し、市内で活動することを条件に講座の参加費は無料だという。

 食料自給率を向上させることが何より重要だと訴えてきたから、東京は市部の三多摩の日野市での試みは他の都市でも参考になりそうだ。

 断言するが、やがて、食料難の時代がきっとやってくる。
 都市部と言えども、ために、今ある農地は貴重になってくるはずだ。
 歴史は繰り返されることになっている。

 毎日、発信している原動力は「自由」のためであるが、生きていくときは、何と言っても食料が一番重要である。
 その食料を生産する担い手が高齢化と後継者難で人手不足だという。
 だからと言って、外国人移民に安易に頼ることに絶対反対の立場としては、地域の住民によるボランティアは大変心強い存在である。
 農業の担い手不足には、農福連携や刑務所や少年院の出所者や出院者などから養成することも何回となく発信してきた。

 ボランティアが農業に勤しむことで、新規就農者になる可能性だってあるだろう。
 国を挙げて、一次産業の農林業を盛りたて何とか食料危機に備えていく必要がある。
posted by 遥か at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 農業、林業振興

2024年12月09日

人生3度生きた 堀田力さんを悼む

 戦後最大の疑獄といわれるロッキード事件を捜査した元東京地検特捜部検事で、退官後は公益財団法人を設立して福祉活動に尽力した堀田力さんの訃報をメディアが伝えている。

 12月4日の読売によれば、司法の世界で30年、福祉の世界で30年−−。「人生を2度生きた」といわれるが、「3度生きた」のではないか。評伝として日記などから紹介されている。

 3度目の人生は、2022年暮れに脳梗塞を患い、左側の視野を失い、右目で文字を読んでも意味が認識できない症状に見舞われてから始まった。自分では何もできず、妻の姿が見えないと不安で仕方ない。

 日記の一部によれば、戦争と神の話や、生きていても迷惑をかけるばかりと全身を押し潰す<黒い感情>、<絶望→自死直行の黒く強固なかたまり>のことも出てくる。

 一方、黒い塊を不思議にとかす妻の抱擁や、抱擁から得られる生きる力こそ、赤ん坊や今の子どもたちに必要ではないかという考察もつづられている。

 5回にわたる脳梗塞や持病の心臓病に苦しみながら、字を読む訓練を重ね、読書を楽しめるまでに回復した。リハビリへの努力と執念は周囲が驚くほど。


 繰り返される冤罪事件、大阪の検察のトップによる女性検事に対する性的暴行事件で、名張の毒ぶどう酒事件で冤罪を訴え、再審開始請求を支援している立場から、司法、とりわけ警察と検事に対する心証は極めて悪い。
 検事が正義の味方でなくなり、国家権力の代行者として、全く信用できなくなっている。

 それでも、堀田さんが東京地検特捜部でロッキード事件の捜査に当たったことと、退官後、弁護士かつ福祉の世界で「時代をよくしたい」「社会の役に立ちたい」という生き方はそれは見事なもので称賛していた。

 人生最後の大仕事ととして子育て支援の充実に乗り出したとき病魔に倒れた時のことは以前書いたことがあるが、これほどの人物でも自死を考えたと伝えられている。
 その危機を救ったのが連れ合いの明子さんの抱擁だったそうな。
 絶望し、自死直行の黒く強固なかたまりを不思議にとかす抱擁は生きる力が得られ、この生きる力こそ赤ん坊や子どもたちに必要ではないか。と考察しているところに非凡な人物像を垣間見た。
 掲載されている堀田さんと明子さんの笑顔の写真には激しく心を揺さぶられた。

 つくづく結婚って大事なことだと痛感した。佳き伴侶に恵まれたからこそ、社会の役に立つ仕事ができたのだと改めて連れ合いの持つ力を実感した。

 後期高齢者になる前から、不調に悩まされるようになり、後期高齢者になった2024年は歯茎の痛みなどで、鬱状態、すなわち、自死ということが頭を過った。
 死ということをこれほど真剣に考えたことはなかった。
 乗り越えられたのは、やはり、連れ合いの持つ力、明るさに救われたからである。
 畑の持つ力も大きかったこともある。

 連れ合いが先に逝ってしまった西部邁さんが自死を選択したのも支えてくれる肝心な伴侶がいなかったからだとみている。

 男は強がりを言っても、弱いのだ。
 無論、高倉健みたいな強い男もいることはいる。
 堀田さんが社会の役に立つ仕事で活躍できたのはご自身の努力は無論のこと、連れ合いの力が大きかったのだろうと勝手に推察している。
 自分も改めて連れ合いに「これまでありがとう」と感謝したくなった。

2024年12月08日

気候変動 地球沸騰

 約200の国・地域の首脳らが地球温暖化対策を話し合う国連の気候変動枠組み条約第29回締約国会議(COP29)が11月11日〜22日、アゼルバイジャンの首都バクーで開かれた。
 世界各地で干ばつや大雨などの気象災害が頻発した。気候変動の現状と会議の見通しを11月8日の読売が「基礎からわかるCOP29」というタイトルで解説していた。

 さらに、11月27日から上、中、下3回に亘り、「地球沸騰 COP29」のタイトル、「サボテンしか育たない」「気候変動 命のリスク」「伝染病蔓延」「災害激甚化」、「干上がる水 紛争1・5倍」「枯れる水田 農家苦境」「洪水、干ばつ 増加傾向」、[EV失速「脱炭素」に暗雲」「原発回帰 世界の潮流」「再稼働や新設 相次ぐ」というそれぞれ見出しで気候変動が人々の暮しに及ぼす影響について取材した結果を伝えている。


 12月4日、アフガンで人道支援に取り組んだ中村哲医師が殺害されてから5年となることから、12月4日の読売が現地住民の感謝の気持ちを伝えている。
 中村医師が井戸を掘り、農業用水路を整備した「死の砂漠」は今、オアシスのように緑地や農場が広がる。

 医師でありながら、病気の元は栄養失調が原因となっている例が少なくないと見抜き、食料を自給できるようにすることが健康に直結すると、医師でありながら「死の砂漠」に灌漑用水路を敷設したことは気候変動、地球沸騰化対策にも通じるものがある。

 わが家の畑は通称6尺道とか赤道とか呼ばれている狭い道路しかなくて、住宅は建築できない、従って利用価値が低い土地であった。
 ところが、運が向いてきたというのか、緑住ミニ区画整理だとかで、地主がそれぞれ土地を提供することで上下水道、道路などが整備され、買い求めた住民がそこに住むようになったのが20数年前のことだ。

 畑で野菜など作物を生産するにはどうしたって水がいる。
 自宅の井戸から赤いポリ缶やペットボトルで運ぶのは容易なことではない。
 水道が敷設されてから、個々の土地にメーターボックスが設置されたので、立ち上げて水道が使えるようになって、水を一番欲しがる里芋の出来が一気によくなった。

 地球沸騰では、世界的な干ばつは、水資源が豊富なわが国でさえ、新潟の米作りに水が不足し、農家を悩ませていることが伝えられている。
 その一方で、線状降水帯というのか、わが国でも降り出した雨が猛烈で驚かされているが、スペインでの濁流などで人々を恐怖に陥れている。
 化石燃料を抑制しなければということで、再生可能な自然エネルギーだけでは不足するからと原発回帰が世界の潮流になりつつあるという嫌なニュースも流れている。

 気候変動、地球沸騰を心配しながら、夏も冬もエアコンなど冷暖房機器に頼り、その一方で神宮の森の樹木を伐採するというのだから矛盾ばかりが目立つ。人間のやることは。

 米が出回らなくなったのか、一時令和の米騒動が起きたが、新潟での水不足で考えさせられるのはいずれ、戦後の飢餓の時代がやってくるような気がする。

 狭い面積であるが、有機無農薬で野菜を作っていることを継続していけば、食料不足の時代がやってきたとき、何とかなりそうだ。耕作放棄地を尻目に食料を自給できない多くの人々は暴動を起こすしかない。
 そんな時代が来なければいいがなと願っている。
posted by 遥か at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題

2024年12月07日

2023年ノーベル平和賞受賞モハンマディさん一時釈放

 イランの首都テヘランの刑務所から一時釈放中の5日、本紙の単独インタビューに応じた人権活動家でジャーナリストのナルゲス・モハンマディ氏(52)の言葉は、ノーベル平和賞受賞後、刑務所外で発する初の肉声となった。モハンマディ氏は日本の女性にも連帯を呼びかけた。と12月6日の読売(吉形祐司記者)が伝えている。
 
 21日間限定で、療養のためテヘランのエビン刑務所から釈放されたモハンマディ氏。反国家プロパガンダ罪などで累計30年以上の禁錮刑やむち打ち刑の判決を受けた政治犯だ。ただ、今回の一時釈放中の行動について、政権からの規制は特になかったという。
 「受賞は私だけでなく、イランの女性と国が民主主義を達成し、女性の権利を勝ち取る機会をつくった」と評価した。
 「様々な社会の女性が対話を持つことが互いの社会の成長につながる。イランと日本の女性にも対話の機会が生まれてほしい」と期待した。
 98年に政府批判の記事を書いて以降、逮捕と投獄が繰り返され、累計30年以上の禁錮、154回のむち打ちの判決を受けたモハンマディさん。


 1978年のイラン革命でパーレビ朝が倒され、イスラム教シーア派の指導者ホメイニ体制に代わったイラン。
 医師の中村哲さんが灌漑用水を作ったことで広く知られているアフガンでもソ連、米国と戦ったイスラム原理主義のタリバンが勝利し、両国ともに、政権によって民主主義と女性の自由が奪われてきた。
 イランが米国と対立することは理解できるものの、女性の自由を奪うことには断固反対である。
 同じことがアフガンのタリバンにも言えることだ。
 アフガンの女性に教育を受けさせないなど論外である。

 人権活動家でジャーナリストのナルゲス・モハンマディさんが訴えているのは、自由と民主主義のことで、イランには教条主義はあっても、肝心な自由と民主主義がないから、人権が抑圧されない自由と民主主義の社会を目指そうとしているだけで、政府批判を理由に口封じのために投獄するという政権は、傍目から見てもノーサンキューである。

 モハンマディさんのことを他人事ととても思えないのは、日本の社会もイランと較べ、自由と民主主義がはるかに進んでいるとはとても思えないからだ。
 中国や韓国でさえとっくの昔から夫婦別姓が確立されているにもかかわらず、夫婦別姓に反対する勢力。日本国憲法で国の象徴とされている天皇の後継者が男系でなければならないなどと愚かな主張をしている勢力が少なくない。
 男女が平等という世界の趨勢にあって、寝ぼけたことを言っている勢力がいるのだ。
 夫婦別姓などは好きなように選択できるようにすればいいだけのことである。反対する理由が理解できない。

 病気で闘病中の経済アナリスト森卓さんこと森永卓郎さんが政府に批判的な発言をしているとスポンサーで成り立っているTVには出演できなくなると言っていた。

 先般、2024年を振り返って、2月にロシアの北極圏の刑務所で殺害された反体制の指導者ナワリヌイさんのことを書いたばかりである。
 21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンは自分の反対するナワリヌイさんが目障りで、結局、手下の者に手をまわして殺害させてしまった。

 森卓さんは日航機の事故は自衛隊による撃墜だったと衝撃的なことを発信していることはすでに書いたが、日本では発信するまではできても、そのことをメディアが取り上げようとはしない。
 つまり、日本のメディアからは権力を批判する自由ということが守られていないということになる。

 だからこそ、モハンマディさん投獄のことを遠いイランの出来事だなどと思ってはならない。 

2024年12月06日

ペリリュー島に日本兵1000人埋葬地 8日から遺骨収集

 太平洋戦争の激戦地・パラオのペリリュー島で、米軍が日本兵の遺体を埋めた集団埋葬地が確認され、厚生労働省は8日から現地で本格的な遺骨収集に乗り出す。米側の資料に1086人を埋葬したとの記録があり、1000人規模の埋葬地からの遺骨収集は極めて異例だ。元兵士の遺族らは、遺骨の帰還に期待を寄せる。と12月3日の読売(波多江一郎、大井雅之記者)が伝えている。

 同島の集団埋葬地を巡っては、駐留していた水戸歩兵第二連隊の戦友や遺族でつくる慰霊会が2013年、米カリフォルニア州にある「米海軍設営隊博物館」に保管されていた地図を入手し、同省に提供。その後の同省の調査で、1086人を埋葬したとする米軍資料などが見つかった。

 これらの情報に基づき、同省から事業者として指定された「日本戦没者遺骨収集推進協会」(東京)が調査を始め、2023年7月から現地で10か所以上を試掘。同10月、島中央部の密林で、30メートル四方を等間隔で囲うように鉄くいが打たれている一帯を見つけた。

 日本兵約1万人が戦死した同島では、いまだ約2400柱が眠る。
  
 太平洋戦争で名だたる激戦地ペリリュー島。44年9月15日以降米軍が4万人以上の兵力で上陸し、1万人の日本軍は洞窟を拠点に抵抗するも組織的な戦闘は11月24日に終わった。日本軍の生存者はわずか約450人だと紙面に解説がある。
 ペリリュー島の戦没者を追悼する慰霊祭が11月23日、水戸市の茨城県護国神社で営まれ、遺族ら約50人が参列したと同じ紙面で伝えていた。


 自民党や保守派、右寄りの勢力がA級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝に拘っているが、彼らが遺骨収集に熱心かといえば、全くそうはみえない。
 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国の慰霊碑を周ってきたが、千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑にお参りしたとき、保守派、右寄りの勢力どころか、お参りする人影はまばらだった。
 保守派、右寄りの勢力は戦没した人たちのことを口先では英霊だとか言っていても、本当に敬っているなら、遺骨収集を手伝う。A級戦犯とは関係ない全国の慰霊碑に折々お参りできるはずだ。
 遺骨収集を手伝えないなら、資金提供するなりできることをやればいい。

 というわけで、太平洋戦争の激戦地ペリリュー島で上陸して来た4万人以上の米軍に対峙し、約1万人の日本兵が洞窟に立て籠もり、抵抗するも生存者がわずか約450人だというのだから、1000人もの将兵の遺骨が葬られている場所が特定できたなら、遺骨収集するのは当然のことである。
 
 2024年も師走。年の瀬を迎えるとどうしたって行く年を振り返ってみたりする。
 15年戦争、大東亜戦争、アジア太平洋戦争と立場によって、呼び名も異なる先の大戦であるが、300万人以上もの人々が犠牲となったとされている戦争で激戦地と呼ばれていた地域は数あれど、ペリリュー島は有数の激戦地だったことで知られる。

 2019年8月4日の読売によれば、ノンフィクション作家早坂隆『ペリリュー島玉砕』を取り上げ、その苛烈な日米の死闘を紹介している。

 パラオの守備は第十四師団があたることになり、ペリリュー島の守備は歩兵第二連隊が中心となった。この部隊を率いた守備隊長が中川州男陸軍大佐だった。

 中川が徹底した三つの戦術
 第一に、島をまるごと要塞化した。島の鍾乳洞などを利用して壕と壕とを直角を交えた通路で縦横に結ぶ壕「地下複郭陣地」を造り上げた。
 第二に、住民を他の島に強制疎開させた。
 第三に、「日本万歳」を叫んで敵陣に突っ込む突撃を禁じた。
 中川はサイパン島での玉砕を教訓にし、硫黄島の栗林忠道中将も、中川の戦術を教訓にしたとされている。

 米軍が上陸してきた44年9月15日、サイパンはすでに玉砕していたことから、持久戦を命じられた中川は抵抗を続け、日本軍の戦死者は1万22人、負傷者は446人にのぼり、11月24日、中川は自決。最後まで生き抜いたのはわずか34人。彼らが投降したのは1947(昭和22)年のことだった。

 飢餓地獄で苦しみながらも、玉砕せず、持久戦に持ち込めと命令する側は安全地帯にいて、自決、すなわち玉砕を許さないとはいいながら、勝てる見込みのない戦さだから、兵士たちは気の毒この上ない。

 これが戦争の実態で、生き抜いた34人は運も味方したかもしれないが、その生命力に感嘆する。

2024年12月05日

再審制度のほころび 検察が証拠を開示するルールを作れ!

 「再審制度のほころび」という見出しの囲み記事に「とれんど」というタイトルで11月30日の読売(足立大論説委員)が冤罪が繰り返される日本の司法に再審制度のルール作り、検察の証拠開示に関する規定を整備せよと訴えていることに賛同したので書いておく。

 人が裁判を司れば、間違いも起きる。無実の罪を着せられる冤罪は典型であり、誤った罪をすすぐのも司法の責任である。無辜の救済をうたう再審制度にほころびがあるとしか思えない。

 1966年に静岡で起きた一家4人殺害事件で、袴田巌さん(88)半世紀を獄中で過ごし、死刑執行の恐怖に苛まれ続けた。
 検察が、後に再審無罪につながる重要な証拠を開示した時、袴田さんが裁判のやり直しを申し立ててから30年経っていた。

 10月、1986年に福井で起きた女子中学生殺害事件の再審が決まった。検察が証拠を開示するまで20年かかっている。

 法律には再審手続きの規定がほとんどなく、進行は裁判官に委ねられている。検察が証拠を開示するルール作りが急務なのは明白である。

 作家石牟礼道子さんの句〈祈るべき天と思えど天の病む〉を取り上げている。


 名張の毒ぶどう酒事件で冤罪を訴え、再審開始請求を求めつつも、八王子の医療刑務所で亡くなった奥西勝さんの再審開始請求を妹の岡美代子さんが引き継ぎ、再審開始請求を支えるサポーターになっている。

 袴田巌さんの冤罪が晴れたことは大いに喜ばしいことだが、10月下旬に再審開始請求が認められた福井中3殺害事件の再審開始が確定したことに関し、11月27日の読売が「論点スペシャル」で元裁判官の水野智幸さんと甲南大学の笹倉香奈教授、神奈川県警鳴海達之捜査1課長がそれぞれの立場から再審に関して論じている。
 中で、元裁判官の水野さんがご自身の経験上から検察の証拠開示が重要だと指摘している。

 論説委員の足立さんも指摘しているが、再審手続きの規定の整備、検察の証拠開示に関するルール作りに政府が腰を上げないのは困ったことだ。

 物事が歪んでいないか見張るのが天網で、人間の社会に例えれば、司法がその役目を担うとは足立さんである。
 その司法が明らかにおかしくなっている。特に、警察、検察が真実の追求をないがしろにし、事件解決さえすればいいと、誰かをスケープゴートにし、事件が解決したかのように見せかける構図が怖ろしい冤罪を生む。

 水俣病で患者に寄り添い、『苦界浄土』等の著作などで患者の苦しみを訴えて来られた石牟礼道子さんの句は全くその通りで、国家権力も代行する人間によっては怖ろしい結果を招く。

 真実を追求するのが刑事ドラマ『相棒』の杉下右京だけでは本当に困ってしまう。

2024年12月04日

『海の沈黙』

 月に一度の映画館行き、12月は倉本聰脚本、若松節朗監督、本木雅弘、小泉今日子、中井貴一など出演の『海の沈黙』を観てきた。
 月に一度の映画館行き、いつも一緒に行ってもらう連れ合いが滅茶苦茶に忙しくて、とうとう10月、11月と行かれなくて久し振りに観ることができたので満たされた気分である。
 月に一度映画館に行くというのは自分の流儀かつ、自分に課していることであるが、非日常の世界に浸るというのは日々の生活に欠かせなくなっている。

 さて、ドキュメンタリー作品などを観ることが多く、エンターテイメント作品を観る機会がほとんどないので偶には文芸作品というのか、倉本作品を観るのも悪くない。
 倉本聰といえば、自分にとっては高倉健の代表作で、大好きな『駅 STATION』の脚本を書いた人だから、期待して観ることにした。
 北海道富良野に移り住み、北海道の佳さを知るだけに冬の留萌、増毛、雄冬などを舞台に『駅 STATION』を書いてくれた。あの時の光景が忘れられず、感動の余韻に浸って、現地を訪れてしまったほどである。

 さて、『海の沈黙』である。
 高名な画家の展覧会で起こった贋作騒動。必然的に描いた作家のことが追及され、浮かび上がってきたのが、若き天才画家と呼ばれながらも、突然、姿を消した津山竜次。
 高名な画家の妻となっている安奈は、かつてその竜次の想い人だった。
 竜次の番頭スイケンの助力で小樽で再会を果たす二人。
 しかし、この時竜次は肺を病んでいたのである。
 興趣を削ぐから物語のあらすじはこの辺でやめておく。

 団塊の世代かつ、映画好きとはいいながら、エンターテイメント作品を観る機会が少なかったので、主演の本木雅弘、小泉今日子のことはよく知らず、「サラメシ」で見事なナレーションを聞かせてくれている中井貴一のことは少しは知っている程度だった。
 小泉今日子は失礼ながら、「いい女だな」とスクリーンを眺めていたら、連れ合い宛に送られてくる通販の「ハルメク」の宣伝で見たことを思い出した。50代の女性として、輝いていたあの女性だった。
 本木雅弘はお茶の宣伝で見ていただけでなく、『おくりびと』に出ていたことを思い出した。
 入れ墨の女性を演じた清水美砂は『海は見ていた』だったかで観ているので知っていた。

 映画で一貫して描かれているテーマは美術品の価値ということである。
 多くの人々は美術品の贋作などと言っても見抜くことなどできるわけがない。
 贋作だとされる前、絶賛されてきた作品が贋作だとわかると途端に価値が下がってしまう。
 美術品の価値とは何ぞや?ということに尽きる。

 このことは映画作品などが海外で評価されると途端に日本での評価が上がる事例とそっくりである。
 つまり、人々は自分で美術品の価値などわからないのではないかということ。

 買い求めたプログラムにも書かれていたが、美術品の贋作、美術品の価値などに興味関心がある向きには大いにお薦めした映画である。

 男と女が抱く過去の恋愛の思い出は同じではないと思うが、男の立場から見ると、若い頃好きだった女性のことは忘れがたいような気がしてならない。
 女性の立場からはどうだろうか。
 願わくば、同じであってもらいたいが・・・。

2024年12月03日

食品ロス削減 食べ残し 持ち帰ろう

 外食で食べ残した料理の尾持ち帰りを促進するため、厚生労働省がルール作りに乗り出した。
 まだ食べられるのに捨てられる「食品ロス」の削減に向けた取り組みの一つ。少く中毒の懸念から持ち帰りを禁じる店は多く、衛生面の留意点をまとめた指針を年内にも打ち出す。と11月28日の読売(野口恵里花記者)が伝えている。

 食品ロスは貴重な資源の消費であることに加え、焼却処分する際に温室効果ガスが排出されるため、地球温暖化につながる。
 近年は製造工程の見直しなどにより、加工食品の賞味期限を延ばす取り組みが広がる。コンビニなどでは販売期限の迫る食品を手前に置いて買ってもらう「てまえどり」が浸透した。
 こうした対策で2000年度に980万dだったのが22年度、472万dと半減した。
 それでも外食産業の食費ロスは60万dに上る。
 さらなる食費ロスの削減を目指し、厚労省は持ち帰りを推進するため、2024年7月、有識者検討会を設置。衛生指針の作成に向けた議論を始めた。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国を周っていたとき、大都市では便利なので駅の近くのホテルを利用することが多かった。
 ホテルだと朝食がモーニングビユッフェ、所謂バイキング方式で自分の食べたいものだけ食器に取り、残さず食べるのだ。
 コロナ禍で2020年から2023年までどこにも出かけられず、2024年になって、語り継ぐ戦争で大変お世話になったボランティアガイド氏の訃報を頂戴したので、線香を手向けに10月下旬に大阪に行ったときのこと。
 やはり、ホテルは大阪駅にあるホテルに泊まったのだが、ここでも、朝食は上述のとおりだった。
 この時も、食べ残したものはどうするのかななどと余計なお世話だが気になった。

 というのは、わが家では野菜などの残菜、所謂生ごみは毎日、畑に埋めているため、今ではもったいなくて捨てることができなくなっている。つまり、肥料になるのに捨ててしまうことがである。

 人の集まりが苦手で、親族の結婚式や法事など冠婚葬祭も失礼することの方が多く、会食時の食べ残しなどを考える機会がほとんどない。

 それでも、月に一度の映画館行きで、偶々昼食の時分時になって食べているとき、自分より年長者の女性が食べ残しを持ち帰ろうとしている現場を目撃したことがある。
 
 高齢者だから、一人分食べきれずもったいないから、持ち帰ろうとしていると勝手に解釈したが、食品ロスを削減することに協力しているので、偉いなアと思った。

 貧しくて食べられない人がいる一方で、食べられるものを捨てるということは天に唾することと同じで罰当たりにも程がある。

 食品ロスを削減しなければならない。
posted by 遥か at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題

2024年12月02日

就活セクハラ防止義務 厚労省方針

 学生らが就職活動中に受ける性的な嫌がらせ「就活セクハラ」を巡り、厚生労働省は企業に防止対策を義務付ける方針を決めた。立場の弱い就活生の被害が相次いでおり、面談時のルール策定や相談窓口の設置を求める。26日の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)で了承を得た。と11月27日の読売が伝えている。

 職場のセクハラについては、男女雇用機会均等法に基づき、防止措置の実施が企業の義務となっている。だが、雇用関係にない就活生は対象外で、女子学生がOB訪問の際、わいせつな行為をされるなど深刻な被害も出ている。

 厚労省はこれまで、同法に基づく指針で企業に対策を求めていたが、被害が後を絶たないため強化が必要と判断。就活生を従業員に準ずる立場と位置付け、OB・OG訪問時の場所や時間などについてルールを設けることや、相談窓口を整備して就活生に周知することなどを義務化する。

 同省は、こうした方針を盛り込んだ同法改正案を来年の通常国会に提出する。


 セクハラは犯罪である。
 被害者を救済するため、悪質な加害者は逮捕しなければならない。
 殊に、就活生に対するセクハラは許されない。
 力関係の強い立場の人間が弱い立場の女子学生を相手にセクハラをするのは卑怯者のすることで、こんな輩は雇用している企業にとっても恥である。
 自分の娘、自分の付き合っている女性などがそんなに目に遭ったら怒るのが普通ではないか。
 雇用に関するチェックをするのは、昔なら労働省で現在なら厚生労働省だから、企業に防止を義務づけるのは当然のことである。
 元朝日新聞の鮫島さんの「SAMEJIMA TIMES」によれば、兵庫県知事選挙でマスコミ不信とアンチリベラルが公益通報者を血祭りにあげ、自殺に追い込んだ知事の勝因だったと指摘している。
 男女雇用機会均等法、女性活躍推進法などで、女性の社会進出を推し進める動き、あるいは女性管理職の登用など、国際社会から大きく後れを取っている後進国日本にあって、女性の昇進など面白くない男性社員がいる。 
 女性天皇に反対し、夫婦別姓に反対し、LGBTの人たちを差別することをなくす動きに反対する保守派、右寄り勢力がリベラルな女性候補を落選させようとする策略に扇動された人たちが多数いたと指摘している。

 男女平等でなければならない社会において、リベラルな女性に反感を持つ男たちが思ったより多いことが明らかになった。
 これでは、少子化対策といくらお題目を唱えてもどうにもならない。
 女性に子育てだけさせる時代などもうとっくの昔に終わっているにもかかわらず、子育ての大変さを理解しない勢力に限って、女性の社会進出や少子化を嘆いているように思えてならない。

 就活する女子学生に対し、セクハラする男たちを監督できない企業では女性の活躍する場所はないのではないか。
 カスハラは強要罪、脅迫罪に抵触する事例が少なくないが、パワハラはきちんと調べないと一概には断定できないことも少なくない。
 しかし、就活生へのセクハラは弁解の余地がない。
 絶対に許されない。

2024年12月01日

自由のために死す!ナワリヌイさんを称える

 「光陰矢の如し」、2024年も師走になってしまった。 
 いつも年末になると行く年を振り返ってみて、書くことになるが、今朝のマイあさラジオで、アレクセイ・ナワリヌイ『PATRIOT プーチンを追い詰めた男 最後の手記』(講談社)の訳者である斎藤栄一郎:星 薫子の一人斎藤栄一郎さんに著作について訊いていたので書かないではいられなくなった。
 読んでもいないのに取り上げるのは自分の生き方に反することで、心苦しいが、衰えてしまった高齢者の世迷言として理解してもらえればいい。

 Part1 NEAR DEATH 死の淵
―2020年 航空機内での毒殺未遂事件からドイツ療養まで
 Part2  FORMATION 原体験
―軍の町で育った青年が政治に目覚め政治に失望するまで
 Part3 WORK 目覚め
―無神論者が父になり、プーチン体制の罪と嘘を暴くまで
 Part4 獄中記
―2021年 帰国直後の逮捕から2024年 殺害まで
 
 ロシアの反体制派リーダー、人権活動家、政治活動家。2011年の下院選挙における不正疑惑に抗議、大規模なプーチン抗議集会を行い、一躍注目を集める。「反汚職基金」を立ち上げ、SNSを駆使して不正選挙の実態、政権中枢幹部および国営企業の腐敗と富の独占を告発し、国内外で大反響を呼ぶ。国際的評価も高く、欧州議会が人権擁護に貢献した人に贈る「サハロフ賞」、人権と民主主義のためのジュネーブ・サミット「勇気賞」(ともに2021年)、「ドレスデン平和賞」(2024年)など、多くの賞を得ている。と出版社の著者紹介がある。
 

 書いておきたかったのは、アレクセイ・ナワリヌイさんがドイツで治療していたのだから、そのまま亡命していれば殺されることはなかったにもかかわらず、ロシアに帰国して逮捕、投獄され、北極圏の刑務所で事実上殺害されてしまったことに対し、何故だ?とずっと考えていた。

 「自由」の有難みを訴えるために毎日書き続けてきた立場として、21世紀のヒトラー+スターリンこと悪魔殺人鬼のプーチンを怖れさせた男として歴史に名前が刻まれることになったナワリヌイさん。
 プーチンに殺されても、独裁者かつ悪魔殺人鬼に抵抗を呼びかけ、ウクライナへの侵攻、侵略戦争にも反対した人物として、今後も高く評価されることはまちがいない。

 人は何のために生きるのか。
 後期高齢者になるまで生かされた立場として、得た結論は人は死ぬために生きるということだった。
 死ぬためとは、自分が信じたことをやるということでもある。

 アレクセイ・ナワリヌイさんは自らの信念のために殺されることを怖れず、結果的に、プーチンに殺されてしまったが、彼がロシアで果たしたことは永遠に称賛されるだろう。
 ご冥福を祈りたい。