2024年11月17日

「日本人は忘れるな」 戦時の比市民殺害

「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞の授賞式が16日、マニラで開かれた。受賞したアニメ映画監督の宮崎駿氏(83)は式典を欠席。代わりに寄せたメッセージで、太平洋戦争時にフィリピンで日本による多数の市民殺害を「日本人は忘れてはいけない」と強調。そうした歴史がある中、フィリピンから贈られる賞を「厳粛に受け止めている」と述べた。と11月17日の共同通信が伝えている。

 メッセージは、2016年に当時の天皇皇后両陛下がマニラを訪れ「マニラの市街戦に触れながら、命を失った多くの戦没者を慰霊した」と指摘。「日本人は戦時中、ひどいことを散々した。民間人をたくさん殺した」と訴えた。

 Wikipediaによれば、マニラ市街戦とは、1945年において発生したとされる虐殺事件。日本軍による虐殺と、アメリカ軍の砲撃による犠牲者が多数発生し、最終的なマニラでの一般市民の犠牲者は10万人を超えるとされている。戦後マニラ軍事裁判において山下奉文が、極東国際軍事裁判において武藤章が責任を問われ有罪となった。

 NHKアーカイブスのシリーズ証言記録 兵士たちの戦争「フィリピン 絶望の市街戦 〜マニラ海軍防衛隊〜戦地:フィリピン(マニラ)」によれば、「1945年2月3日から1か月間、フィリピンの首都マニラで繰り広げられたマニラ市街戦。戦った「マニラ海軍防衛隊」は、急場しのぎで結成された部隊だった。
 米軍の無差別砲撃の中、ビルの地下室での持久戦を強いられ、一般人に銃が向けられる。
 わずかに生存する元兵士たちは、ようやくその重い口を開こうとしている。兵士たちの日記や記録なども交えつつ、元マニラ海軍防衛隊の兵士たちの証言を徹底して記録する。」と内容が説明されている。


 語り継ぐ戦争ではあるが、15年戦争とかアジア太平洋戦争と呼んでいる先の大戦において、自分の関心事は満州国や満蒙開拓団、シベリア抑留が最大の関心事となっていた。
 というのも、五味川純平『人間の條件』(三一書房)のTVドラマや映画などで戦争の影響を受けたことが大きい。

 フィリピン方面に関しては、大岡昇平『野火』(新潮文庫)の映画などの影響で、ようやくレイテ島での飢餓の問題に関心が向いてきたくらいで、フィリピン方面での戦いの勉強が足りないからマニラの市街戦のことも詳しいことは知らなかった。
 
 宮崎駿監督がフィリピンでの「日本兵による市民虐殺の歴史を忘れてはならない」と警鐘を鳴らしていることに対しては、同感である。
 保守派、右寄りとされている人たちが不都合な歴史はなかったことにする姿勢がある中、やったことはやったこととして、加害者でもあったアジア太平洋戦争における日本兵のことを記憶することも大事なことだ。 

 つくづく思うのは15年戦争、大東亜戦争、アジア太平洋戦争とそれぞれの立場を反映して呼ばれているが、日中、日米戦争に巻き込まれてしまった東南アジアの国の人は気の毒であるということ。

 このことは、中国が台湾に侵攻、侵略しようとしている今日、米国は自分たちの代わりに日本に戦いをさせようとしていることで巻き込まれる怖さを知るべきだ。

 ウクライナ、イスラエルの戦争における米国の態度をみていると、米軍基地がある日本は侵略される抑止力になっている部分があることは事実であるが、米軍の戦争に巻き込まれる公算も大きいのだ。