2024年11月15日

ポーランド独立記念日に日本の独立を考える

 11月11日のポーランド独立記念日にあたり、同国のパベウ・ミレフスキ駐日大使が寄稿したと11月13日の読売が伝えている。

 1918年11月11日、第1次世界大戦が終結した。ポーランドを分割支配していたドイツ、ロシア、オーストリア・ハンガリーという3帝国が同時に崩壊した。それ以来、この日をポーランドの独立記念日として祝っている。

 この独立は「民族自決の権利」の象徴でもあり、この権利は国際秩序の基本原則として定着していった。
 現在、民族自決の権利を行使しようとする意志が、世界史を形作る大きな力であることが広く認識されている。かつて帝国とは、軍事力と中央集権によって様々な民族を支配する体制を意味していたが、この考え方は時代遅れとなった。この変化は、植民地主義が徐々に崩壊した過程に反映されており、最終的には91年のソ連の解体へとつながる。ソ連もまた植民地支配の性質を持っていたことは忘れてはならない。

 自由を求める民族の意志は物理的に消滅させる以外に抑え込む方法はなく、その忍耐力と自由への願望は尽きることがない。


 明治維新以降、帝国主義、植民地主義に捉われた日本政府と軍部は、1937(昭和12)7月7日、中国大陸で日本軍が起こした盧溝橋事件で中国との事実上の戦争状態となり、満州国に傀儡政権を作る一方、1941(昭和16)年12月8日、ハワイ真珠湾の米軍を攻撃し、日米戦争に突入する。
 所謂15年戦争、大東亜戦争、アジア太平洋戦争の始まりである。
 国力に著しい差がある米国に戦争を仕掛けてしまった日本は、1942年6月4日から始まったミッドウェ―海戦で大敗をし、1944年10月23日から始まったレイテ沖海戦でも敗北し、サイパン、硫黄島、沖縄そして本土への空襲、空爆、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下と続き、1945(昭和20)年8月15日、天皇が無条件降伏し、同年9月2日降伏文書に調印したことで戦争は終わった。
 敗戦後、沖縄を統治し、日米安保、日米地位協定で沖縄ばかりか本土にも首都圏だけで、横田に空軍、厚木と横須賀に海軍、座間に陸軍司令部というように米軍基地を設置し、首都東京の制空権を横田の米軍が支配している。
 米国の要人は横田にやってきて、ヘリで目的地に行く。
 これで日本が独立国家と言えるのか。
 戦争を終結させるとき、国体護持と天皇制を維持することだけに腐心した政府と軍部。敗戦後、東京裁判でA級戦犯が、横浜裁判などでB級戦犯がその責任を問われるや、米国に対し、最早、何も言えなくなってしまった。
 1972年5月、沖縄の統治権は日本に返還されたが、日本の官僚の多くは米国に留学し、米国に阿る政治が続く。

 ポーランド大使は、第一次世界大戦後のポーランドの独立だけに言及しているように見えるが、その後の欧州では、ソ連とドイツの戦争を含む第二次世界大戦が起き、ポーランドはソ連、ドイツに支配され、戦争終結後は、ソ連の東欧圏に組み込まれ、自由を奪われてきた歴史がある。
 1991年のソ連解体を契機にワレサさんをリーダーとする連帯が主となって、ソ連からの解放、再び独立を果たし、欧州が連合(EU)に統合されるや、その一員になり、北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、ソ連の後継のロシアがもう手を出せないようにしてきた。

 然るに日本はといえば、日米同盟などと米国の保護領よろしく米国の言うことは何でも聞くという、独立国家とは言えない状況が続く。

 日本の保守派、右寄りとされている人たちは、この状態を批判する人がほとんど見当たらない。
 米国に寄りすぎだというのは、れいわ新選組の山本代表くらいではないか。

 治外法権の米軍基地横田に米国の大統領など要人がやってくることをなぜ、疑問に思わないのか。
 沖縄で、本土で米兵に日本人女性が性的暴行されても、基地に逃げ込み、米国に帰ってしまえば、捕まえることさえできないのはおかしくないか。

 ポーランドは独立国家だけど、日本は独立国家ではないのではないか。