「いま風 金曜日」「言葉のアルバム」というタイトルで、東京大学名誉教授の前川和彦さんが未曾有の被曝者治療を経験したことについて、11月8日の読売(編集委員増渕浩志)で語っているのを読み、原発に反対してきた自分の立場が正しかったことが証明されたので書いておく。
1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで「臨界事故」が発生した。
大量被曝した3人のうち、被曝線量が最も高い患者を受け入れた東大病院の救急医療チームを率いていた前川さんは、未曽有の被曝治療に「やるしかない」と最善と考えた治療を試み、やれることをやり尽くし、12月21日患者は臨終となった。
全く勝ち目のない戦いだったとは思っていなかった。
翌2000年4月、2人目の作業員が亡くなり、司法解剖に立ち会った時だった。「メスが入ると皮下組織が鎧のように硬化していた。とても現代の医学では敵わない。というのが実感だった。
核エネルギーのすさまじい威力その使い方を誤ってはならないと、人一倍強く思う。
核兵器使用で脅すロシアの指導者らには怒り心頭だそうな。
23年に永井隆平和記念・長崎賞を受賞された前川和彦先生。
語り継ぐ戦争で2009年8月24日、被爆地ナガサキを訪れたとき、永井隆医学博士の記念館に立ち寄り、その偉業の一端を知ることができた。
自ら被爆しながらも、患者と向き合ってくれた永井隆先生。
お二人の共通点は、被曝と被爆という治療の経験がない患者と向き合い、全力で治療にあたってくれたこと。
毎朝、仏壇と神棚に手を合わせ、ご先祖様に感謝と願いことが実現するように祈っているが、炎症性腸疾患クローン病という持病については治癒については、あまりお願いしたことがない。
理由は、ご先祖様や神様にお願いして病気が治ることがあるわけがないからだ。
病気はお医者の先生に診てもらうしかないわけで、被曝、被爆治療とて同じこと。
ところが、被曝、被爆を治療する先生方も治療にあたった経験は少ないのが現状である。
そこで、放射能から身を護るためにも原発の設置、稼働には反対するということになるわけだ。
東京電力の福島第一原発で事故が起きる前、原発は安全だというつくられた神話があった。
このことは願望にしか過ぎず、事故が起きなければという前提がつく。
しかし、何をやっても、事故を起こさないというわけにはいかず、人間がやっている以上事故はつきものである。
原発に反対する所以である。