2024年11月10日

「自由」を求めて ベルリンの壁崩壊から35年

 ベルリンの壁崩壊から35年、当時、東側陣営の民主化運動に先べんをつけ、壁の崩壊の原動力ともなったと評価されるのがポーランドの自主管理労組「連帯」で、その活動をいまに伝える地元の博物館の館長で政治学者のベイゼル・ケルスキ氏が8日、NHKのインタビューに応じた。とNHKマイあさラジオが伝えている。
  
 ケルスキ氏は、壁が崩壊した歴史的な意義をあらためて強調した上で自国第一主義を掲げ、多様性などを否定する極右政党がヨーロッパで台頭している現状を取り上げ「残念ながらいま私たちはまったく別の世界に生きている」と懸念を示した。

 トランプ氏が大統領選挙で勝利したアメリカについて「人権の尊重や国際的な連帯も重要な問題ではなくなる」と述べた上で、ウクライナ侵攻を続けるロシアのプーチン大統領については「NATOの結束が安定しているかを見極めようとするだろう」としてアメリカが世界を不安定化させるおそれがあると危機感を募らせた。

 「私たちはいっそう無秩序な状況の中にいる。自由や民主主義に基づく秩序を構築したい側と、世界を勢力圏に分けることに関心を持つ大国との分裂が生じている。私たちは、なぜ人権や平和を重んじるのかを再び説いていかなければならない」と述べ、ベルリンの壁の崩壊が広めた民主主義や自由な価値観を守り続ける重要性を強調した。


 毎日、飽きもせず発信しているのは「自由」のためにである。
 政党名にその「自由」を置いている自由民主党はといえば、反日、反社の韓国の旧統一教会の影響を受けた安倍派の議員たちがリーダーが健在のうちは、メディアも全くこのことを批判できなかったが、旧統一教会の被害者の怒りの銃弾に倒されると、ようやくメディアも旧統一教会の反日反社の姿勢を明らかにする報道をするようになった。

 次いで、政治資金を集め、政治資金規正法に反し、このカネを裏金とし、税金も申告せずに逮捕もされないということで、有権者の怒りを買い、衆議院議員選挙で裏金議員と呼ばれた人たちが苦戦し、与党の過半数割れという事態を招いた。
 一言でいうなら、自由の意味をはき違えている。
 保守派と自分たちのことを主張しているくせに反日の韓国のカルト教団の手先みたいになってしまって恥ずかしくないのか。

 その一番大事な自由が奪われていたのが、米ソ冷戦構造下の東欧の人たちだった。
 その筆頭が東西に分断されたドイツで、その象徴がベルリンの壁である。

 ベルリンの壁を崩壊させる原動力となったのが隣国ポーランドの民主化組織連帯で、その指導者がワレサさんだった。
 ポーランドは1939年にソ連に侵略され、ナチスドイツの時代はドイツ軍に、戦後はソ連軍にということでソ連軍に酷い目に遭わされてきた。
 カティンの森事件で将来を嘱望されたポーランドの人たちがソ連軍に拉致され、虐殺されたことから反ソ感情はゆるぎないものがあるのだ。

 ベルリンの壁が崩壊したことで、東西ドイツは統合され、元通り一つの国になり、その後、欧州は欧州連合(EU)として国境、通貨など自由と民主主義体制の連合体として一緒になった。
 旧ソビエト連邦の共和国の一員にさせられていたウクライナは自由と民主主義を求め,EU加盟、その防衛組織NATOに加盟を目論んでいたことが気に入らなかったロシアのプーチンに侵略され、自由と民主主義井、国土防衛のために戦っている。

 自由を人びとから奪った象徴がベルリンの壁なのである。
 自由は油断しているとすぐに権力によって奪われてしまうから要注意だ。

2024年11月09日

未曽有の被曝治療「やるしかない」と全力で立ち向かう

 「いま風 金曜日」「言葉のアルバム」というタイトルで、東京大学名誉教授の前川和彦さんが未曾有の被曝者治療を経験したことについて、11月8日の読売(編集委員増渕浩志)で語っているのを読み、原発に反対してきた自分の立場が正しかったことが証明されたので書いておく。

 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで「臨界事故」が発生した。
 大量被曝した3人のうち、被曝線量が最も高い患者を受け入れた東大病院の救急医療チームを率いていた前川さんは、未曽有の被曝治療に「やるしかない」と最善と考えた治療を試み、やれることをやり尽くし、12月21日患者は臨終となった。
 全く勝ち目のない戦いだったとは思っていなかった。
 翌2000年4月、2人目の作業員が亡くなり、司法解剖に立ち会った時だった。「メスが入ると皮下組織が鎧のように硬化していた。とても現代の医学では敵わない。というのが実感だった。

 核エネルギーのすさまじい威力その使い方を誤ってはならないと、人一倍強く思う。
 核兵器使用で脅すロシアの指導者らには怒り心頭だそうな。

 
 23年に永井隆平和記念・長崎賞を受賞された前川和彦先生。
 語り継ぐ戦争で2009年8月24日、被爆地ナガサキを訪れたとき、永井隆医学博士の記念館に立ち寄り、その偉業の一端を知ることができた。
 自ら被爆しながらも、患者と向き合ってくれた永井隆先生。
 お二人の共通点は、被曝と被爆という治療の経験がない患者と向き合い、全力で治療にあたってくれたこと。

 毎朝、仏壇と神棚に手を合わせ、ご先祖様に感謝と願いことが実現するように祈っているが、炎症性腸疾患クローン病という持病については治癒については、あまりお願いしたことがない。
 理由は、ご先祖様や神様にお願いして病気が治ることがあるわけがないからだ。

 病気はお医者の先生に診てもらうしかないわけで、被曝、被爆治療とて同じこと。
 ところが、被曝、被爆を治療する先生方も治療にあたった経験は少ないのが現状である。

 そこで、放射能から身を護るためにも原発の設置、稼働には反対するということになるわけだ。

 東京電力の福島第一原発で事故が起きる前、原発は安全だというつくられた神話があった。
 このことは願望にしか過ぎず、事故が起きなければという前提がつく。

 しかし、何をやっても、事故を起こさないというわけにはいかず、人間がやっている以上事故はつきものである。
 原発に反対する所以である。
posted by 遥か at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題

2024年11月08日

新米出ても高値続く

 スーパーの棚が空になり「令和の米騒動」と称されたこの夏のコメ不足。新米が出回り、品薄は解消した後も価格は高止まりし、消費者の負担感は増している。国は「食料安全保障の確保」をうたうが、高齢化やコスト高に直面する農家からは「耐えられない」との声も。持続可能なコメ政策とはどうあるべきか。と10月30日の東京新聞(西田直晃、山田祐一郎記者)が伝えている。

 コメの生産量、作付面積はともに減少の一途をたどる。元農水官僚でキヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹によると、今秋の新米は需要を先食いしており、来夏の端境期もコメ不足が深刻化し、高騰する可能性があるという。「生産量を減らすことで米価を調整する、今の生産者保護の政策では、需要に対し供給が不足しても手の打ちようがない。供給量が減れば、そのまま価格に転嫁される」

 国による生産調整(減反)は2018年に廃止されたが、政府はコメ需要を毎年10万トン減と見通し、水田を畑に転換した農家への補助金制度などを維持してきた。山下氏は事実上の減反政策として、「予想された以上の高騰が続く。今こそ減反をやめて、米価を下げることが重要では。国民の負担は減り、価格が下がれば輸出増も実現できる」と提案する。

 コメを生産する農家の状況も厳しい。農林水産省のデータでは、水稲の作付けを行う農業経営体のうち、個人経営は2005年に140万戸だったのが、2020年は70万戸弱と半減した。個人経営は経営体の大半を占め、年齢構成をみても50歳以下が11.3%と高齢化が顕著となっている。

 10月26日の読売も「衆院選 課題の現場」というタイトルで、食料をいかに安定的に確保するかが世界的課題となっている。2024年5月、「農政の憲法」とされる「食料・農業・農村基本法」が改正され、「食料安全保障の確保」が新たに基本理念に加えられたが、日本の23年度の食料自給率(カロリーベース)は38%と、主要先進国で最低水準だ。小麦18%、大豆26%と食に欠かせない穀物は輸入依存度が高い。と伝えている。


 「令和の米騒動」とカロリーベース38%の食料自給率は他人事だとはとても考えられない。
 語り継ぐ戦争だから、戦前、戦中、戦後、特に、敗戦後の食料難の時代は、食べられればまだいい方で、戦災孤児などは生きていくことだけでも大変な時代だった。

 戦後続いてきた、自民党、途中から公明党との連立政権では、2018年まで減反政策が続き、米価をコントロールしてきたが、今回の米騒動で、減反政策とは異なる農家を保護する施策、具体的には補助金を出すなりして、食料自給率をアップすることと連動して食料供給の安定化をはかるべきではないか。

 コロナ禍では、飲食店や観光業者にばかり、補助金が使われたが、食料を安定供給するためなら、農家を補助して行くことは必要なことだと断言できる。

 米の需要が減っているからと言って、国の食料の根幹をなす米作りを粗末にしていていいわけがない。
 米は食さず、パンや麺類を食べるから、という向きがあるかもしれないが、小麦粉の自給率の低さを考えれば、その考え方は危険である。

 米さえあれば、自給できれば、何とか食べていけるはずだから、米作りが重要なのだ。

 飢餓ということがどれほど怖ろしいことか、食べられる今、考えておいた方がいい。 
posted by 遥か at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 農業、林業振興

2024年11月07日

絶望の作戦 特攻 開始から80年

 太平洋戦争で劣勢となった1944年10月、日本軍は爆弾を抱いた航空機で敵艦に体当たりをする「特別攻撃」(特攻)を始めた。
 戦局が悪化し、追いつめられる中で始めた絶望の作戦は常態化し、「全軍特攻」に突き進んでいく。 
 あれから80年、第1陣で出撃した搭乗員の親族は「後に続いた搭乗員の一人ひとりに母親がいた。その悲しみを思えば、残酷な戦争は繰り返してはいけない」と語る。と11月3日の読売(川畑仁志記者)が伝えている。

 「絶望の作戦 20歳の便り」「特攻開始80年」「家族思い 自画像など100通」「甥『命』の尊さ語り継ぐ」という見出しで紹介されているのは京都府舞鶴市の「明教寺」で、同寺で育った特攻隊員谷暢夫さんの100通以上の手紙が保管されていることである。
 
 暢夫さんが予科練生になったのは1942年4月、同年6月のミッドウェー海戦で空母4隻を撃沈させられ、44年6月のマリアナ沖海戦では米空母の攻撃に向かった航空隊が壊滅。追い詰められた海軍の首脳が選択したのが特攻だった。
 44年10月20日、レイテ沖海戦で「神風特別攻撃隊」が編成され、その5日後、暢夫さんが所属する「敷島隊」の零戦5機がマニラ郊外のマバラカット基地を飛び立つ。レイテ沖で米空母「セント・ロー」に突入して撃沈する。

 戦後、明教寺では暢夫さんの命日にあたる10月25日に法要を営む。


 暢夫さんの母親一枝さんは2000年に96歳で亡くなった。長寿を保った理由を「のんちゃんの命をもらって生きているから」と話していたそうな。
 わが息子を特攻隊員として20歳で亡くした母親の哀しみは想像を超えるであろう。
 命令した側は生き残って、若者たちが戦争で死ぬように命じられたことは何としても教訓にしなければならない。

 自民党など保守派の国会議員が靖国神社にお参りはするが、千鳥ヶ淵の国立戦没者墓苑にお参りする様子が伝えられてこない。
 A級戦犯が合祀されている靖国神社にばかり行きたがる国会議員のことをみていると、何か魂胆がありそうだ。

 特攻隊が組織され、敵空母に突入して搭乗員が亡くなったとき、当時の新聞は「空の壮士」「五勇士の偉勲」とあがめられたということで、いつの時代もプロパガンダというのか、自分たちに都合のよいことを権力者たちは叫んでいる。

 2022年2月24日未明、ロシアがウクライナに侵略を開始したが、ロシア、ウクライナ共に特攻攻撃なるものはない。
 どうも、特攻攻撃なる自殺攻撃は日本だけのものらしい。

 特攻開始から80年。
 平和の有難みを特攻隊員の皆さんのお陰だと感謝申し上げる。

2024年11月06日

ホストクラブ経営9社 ホスト30人 20億円所得隠し

 業界大手とされるホストクラブグループを巡り、多額の税逃れが東京国税局の調査で明らかになった。運営会社など9社とホスト約30人を合わせ、指摘された所得隠しは約20億円。大半のホストは店側から発行された報酬記録を破棄するなど、税務申告をしていなかったといい、納税意識の希薄さが鮮明になっている。と10月31日の読売(加藤哲大記者)が伝えている。

 関係者の話やホームページなどによると、FGは2011年設立で、グループは新宿・歌舞伎町を中心に大阪・ミナミ、名古屋・栄など各地の繁華街でホストクラブを運営。店員の中には、年間億単位の売り上げを記録するホストも複数いるとされる。

 ホストクラブを巡っては近年、「ツケ払い」にして客の支払い能力を超えた飲食代を請求し、女性客が返済のために売春を強要されるなどの問題が相次いだ。警察庁によると、各地の警察は2023年1月〜2024年6月、悪質な営業などで83件・計203人を摘発した。

 同庁の有識者検討会は2024年に入り、料金の虚偽説明や、恋愛感情に乗じた悪質請求を規制する方向で議論を進めている。年内にも報告書がまとまる見通しで、同庁幹部は「風俗営業法の改正も含めて対策を進めていく」と語った。


 ホストクラブとホストが悪質な営業で客の女性を騙したも同然の手口で高額な飲食代金をつけ払いにし、支払えないと風俗に売り渡し、売春をさせるという一昔前の女衒以上の悪質な人身売買をやっている。
 その上で、得た高額な収入を税務申告していないということで、この業界で働く者たちの法律を遵守する姿勢が全くないことに対し、当局は一日も早く風俗営業法の改正をすべきである。

 やり方が阿漕すぎて、女衒や遊廓の楼主の血が流れているのかと思ったほどである。
 風俗業界は売春防止法で、人身売買並びに管理売春を禁じられているはずだから、ホストから風俗に身を沈められる女性を雇用するなら、営業許可を取り消すべきである。
 本人の意思で働くならともかく、騙し同然のやり方で多額の借金を拵え、身売りさせるのは、戦前、戦中、戦後と貧しい農家の娘たちが身売りさせられたことと変わらない。

 そもそも不正に得た不労所得というか収入であっても、税金を申告する必要があるが、自民党安倍派の人たちを主に政治献金を集めたカネを政治資金規正法で定められた収支報告をせずに裏金とし、税務申告しなかったにもかかわらず、明確な処罰が為されなかったことがあった。

 ホストだけに税金の申告逃れは許されないと言うつもりはないが、政治家もホストも脱税せず、きちんと税金を納めるところから、人としての評価が始まる。

 税金をきちんと納めようとはしない企業、個人共に許されることではないと肝に命じるべきだ。

2024年11月05日

少年院から通信制高校へ 再犯防止・就職後押し

 少年院にいながら自習が基本の通信制高校に入学して学べるようにする取り組みが広がっている。法務省は今年度から、取り組みの対象を全国すべての少年院43か所に拡大。少年らに「学びの場」を提供して高校卒業につなげることで、少年院を出た後の再犯や再非行を防ぐ狙いがある。と10月30日の読売が伝えている。

 非行少年らに学習の機会を与える必要性は大きい。法務省によると、2022年に少年院に入った1332人のうち、2割が中学卒業、4割が高校中退だった。

 仕事や学びの場があることは、再犯や再非行を防ぐ上でカギになる。少年院を出た後の保護観察期間中に再び保護処分や刑事処分を受けた割合は、無職が30%だったのに対し、職を得ていた場合は14%、学生・生徒は12%にとどまった。

 紙面では、東京八王子市にある多摩少年院で通信制高校で学ぶ若者に取材し、「退学したことを後悔した。自分で学んで、人生を変えたい」と、2024年4月から通信制高校に入学、卒業後は専門学校へと希望をふくらませる様子が伝えられている。


 首都圏で凶悪な強盗、殺人、拉致監禁事件が連続して発生して治安が急速に悪化している。
 いずれも、首謀者が自らは安全地帯にいて、SNSで実行役を集め、指示役に命令して凶悪犯罪を次々と犯させている。
 SNSでの実行役の募集に応じた若者たちは、身上書を渡してしまい、これを脅しの道具にされ、犯行を断れなかったと捕まった実行犯が話している由。

 鬼平犯科帳の火付け盗賊改め方の長官長谷川平蔵によれば、急ぎ働きということで犯行の悪質さ、市民を恐怖に陥れた罪として、首謀者はもとより実行犯も含めて獄門ということにしなければならないが、生憎、罪刑法定主義で、刑法の規定では首謀者や指示役は死刑に処せても、実行犯まで全て死刑にすることは難しい。

 ということで、この種の犯罪を根絶やしにするのは難しいが、警察は一番のワル、首謀者を逮捕できなければ、犯罪は繰り返される。

 実行犯にさせられてしまう人間の愚かさについて、書いておきたい。
 
 SNSでの募集で、ホワイト案件、高額のバイト、短時間で稼げるなどと勧誘する手口に騙されるのは愚か者である。というのも、上手い話があった例がないだけでなく、あるはずがないからだ。
 大概の者は、生活が苦しかったから一攫千金ではないが、危ない橋を渡るかもしれないと思いつつ、ワルの誘いに乗ってしまったのだろう。
 しかし、強殺をやれば、まず、人生が終わりで、やり直しはできないくらいのことがわからなくてはどうにもならない。
 振り込め詐欺と強殺では刑罰が雲泥の差であることくらいわかるはずだ。

 犯罪者に少年も青年もあるわけはないが、少年法があるくらいだから、道を踏み外した少年のうち、本人に立ち直る意思があれば、社会が応援してやらなければならない。
 ために、通信制高校に行き、専門学校に行きということで、安定した職業に就けるようになれば、立ち直りの近道であることは言を俟たない。

2024年11月04日

日本軍は捕虜に過酷生活を強いた!

 日本軍は捕虜に過酷な生活を強いた。資料は終戦直後に焼却。「ふたをされた負の歴史」を掘り起こした女性に聞く【つたえる 終戦79年】というタイトルでWEBの47NEWSが興味深いことを伝えてくれたので書いておく。

 太平洋戦争中、日本軍は捕虜にした連合国軍の兵士らを日本国内に連行した。彼らは各地の収容所で強制的に働かされ、その数は約3万6千人に上るとされる。過酷な労働や栄養不足が原因で多くの死者が出たが、実態はあまり知られていなかった。

 捕虜はどこで、どんな扱いを受けていたのか。そんな疑問に向き合い、仲間と一緒に20年以上にわたって調査を続けた女性がいる。元捕虜たちの声に耳を傾け、記録をまとめた事典を刊行した笹本妙子さんに話を聞いた。(聞き手 共同通信=福島聡)ということで、とかく、戦争の被害者の面ばかりが強調されてきた日本であるが、その加害者としての側面も忘れてはならない。

 捕虜収容所は国内に約130カ所もあった。その他に日本に住む連合国籍の民間人が、スパイ活動防止などを理由に約30カ所の抑留所に収容されていた。この事実を「捕虜収容所・民間人抑留所事典」(すいれん舎)にまとめて2023年末に刊行した。

 出発点は横浜市の自宅近くにある英連邦戦死者墓地。墓碑を見ると、死亡したのは1942年から45年にかけてだった。なぜ英国やオーストラリアの兵士の墓がここにあるのか、と疑問を持ったこと。

 2002年に「POW(Prisoner 0f War=戦争捕虜)研究会」をつくって全国的な調査を始めた。
 日本側は関係資料を終戦直後に焼却している。戦犯裁判で連合国に追及される恐れがあるので「ふたをしたい歴史」だったのであろう。米国の国立公文書館などで資料を探し、施設があった地元で証言や資料を集めた。メンバーで手分けをして米国、英国、オーストラリア、オランダなどを訪ね、元捕虜らの話も聞いた。

 捕虜虐待の問題は今も世界で起きている。戦争の一断面として知らなければならないことではないか。特に若い世代に読んでほしいとのこと。


 新潟県上越市の平和記念公園にある「直江津捕虜収容所」で死亡したオーストラリア兵捕虜の碑、と捕虜虐待の罪で死刑になった8人の日本人所員の碑。離れて立つ2つの慰霊碑の間には収容所跡地を示す碑(中央)も建てられていると写真が添付されていた。

 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚を始める前、新潟の上越に行ったことがあったが、春日山城址跡の上り口まで行った。しかし、平和記念公園の慰霊碑のことは全く知らなかったし、当時はまだ戦争のことに詳しくなかった。

 横浜の保土ヶ谷にある英連邦戦死者墓地のことは知っていたが、GIベイビーを巡る問題の方に関心があったので根岸にある外人墓地には行き、GIベイビーの墓とされている場所でお参りしている。

 笹本妙子さんに英連邦捕虜が葬られている保土谷の外人墓地のことを思い出させてもらったので、語り継ぐ戦争の立場から一度訪ねてみたい。

 捕虜虐待に関しては、731石井部隊が中国人捕虜をマルタと呼んで人体実験したことがよく知られている。
 九州大学医学部における、米兵捕虜の生体解剖実験や、空襲空爆の責任を問い米兵を処刑したことの責任を問われた岡田資陸軍中将などの事件については書いてきた。

 語り継ぐ戦争だから、戦争の被害者としての面ばかり強調するつもりなどなく、加害者としての面もきちんと取り上げてきた。

 笹本妙子さんとその仲間の人たちが、戦争の捕虜に向き合ってこられたことに敬意を表し、エールをおくりたい。

2024年11月03日

皿洗いや食器で節水技術追求 高野雅彰さん

 様々な分野で頑張っている人物を紹介する読売の「顔 Sunday」の10月27日は、「水不足解決はキッチンから」という見出しで、皿洗いや食器で節水技術を追求している高野雅彰さん(46)が取り上げられている。

 「水不足から生じるあらゆる社会問題を節水技術で解決していきたい」と水問題に着目。
 空気を含ませ粒状にした水をマシンガンの弾のように噴出させ、わずかな水で汚れを落とす。そんなノズルを開発し、2008年に起業した。
 最大9割の節水を実現し、洗浄力も向上させたこの製品は、大手レストランチェーンの8割が導入した。

 次いで、目指したのは、少しの水ですすぐだけで油汚れも落ちるような食器だ。
 表面にナノレベルの親水加工を施すことで、皿と汚れの間に水がするりと入り込み、汚れが流れる皿に仕上がった。5年の試行錯誤の末のことだった。
 予洗い程度の水で汚れを落とせる「メリオールデザイン」として23年に販売を始めた。

 今、挑むのは、中東サウジアラビアでの排水循環システムだ。
 台所の排水や食べ残しを液体肥料にし、農業や砂漠の緑化に再利用するためのシンクの開発に取り組む。

 
 2024年の元旦、能登半島地域に大地震が起きた。地震列島だから、どこに住んでいても大きな地震が起きる可能性がある島国日本。
 問題は地震が起きた後である。
 電気、ガス、水道に道路とライフラインに被害が出た後の復旧がどうなるかということになる。
 ライフラインというくらいだから、どれも生活に困ることだが、飲料水、トイレと何と言っても水道の復旧が急がれる。
 能登半島では肝心な水道の復旧が遅れているため、住民は大変な状況にある。
 とりあえず、飲料水は水道局や自衛隊が運んでくれるとして、道路が通行できなくなっているところには自動車トイレをもっていくことができない。
 飲料水は食器を洗うほど運ぶのは大変だから、なるたけ食器は使わないようにするだろう。
 災害時、高野さん考案のメリオールデザインの食器ならその機能を存分に発揮するはずだ。

 日本にある資源は森と水ということになるが、世界を見渡せば、深刻な水不足に悩む、国、地域は多い。
 中東サウジにおける排水循環システムの完成が待たれる所以である。

 高野さんに水で困っている人たちと共にエールをおくりたい。

2024年11月02日

抑留伝える 孫世代 舞鶴で語り部

 祖父がシベリア抑留を体験した東京大田区の日本大学3年今野拓実さん(22)が舞鶴引揚記念館の語り部で唯一の東京在住者として抑留体験を語り継いでいる。と10月31日の読売(波多江一郎記者)が夕刊で伝えている。

 戦後79年というタイトルで、アジア太平洋戦争をさまざまな視点で伝えている読売が今回は、抑留者らが帰り着いた京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館で語り部をしている若者に着目している。

 舞鶴市にある舞鶴港は終戦直後の1945年10月から引き揚げ船の受け入れを始め、58年までに約66万人を迎え入れた。そのうち46万人がシベリア抑留者で、市民らは日本茶やふかした芋を振る舞い、帰国を歓迎したという。
 引き揚げの歴史を伝える拠点として、市は88年、港を見下ろす丘に舞鶴引揚記念館を建設。抑留体験者らから寄贈された1万6000点の資料を収集する。
 2015年には白樺日誌など570点が、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録されている。

 高校の課題で祖父のことを調べる機会があった今野さん。祖父の本籍があった宮城県に掛け合い、軍歴証明書を取り寄せた。結果、陸軍に所属し、北方領土択捉島の北方にあるウルップ島で終戦を迎え、間宮海峡沿岸のソビエツカヤカバ二の収容所などに連行され、3年半にわたり強制労働させられていた。
 同じ収容所にいた抑留者の手記を読み、酷寒の地でわずかな黒パンとカーシャと呼ばれるスープで食いつなぎながら、鉄道建設する元兵士の姿が祖父に重なった。

 戦争が終わったはずなのに氷点下30度の吹雪の中、折り重なるように斃れていった人たち。
 「その存在が忘れ去られてしまう。若い自分が語り継ぐ必要がある」と決意。舞鶴引揚記念館の学生語り部に応募した。東京から夜行バスと在来線を乗り継いで講習を受け、高校3年から本格的に語り部となった。


 シベリア抑留を取り上げるとき、紙面に解説が掲載されるが、57万5000人が抑留され、5万5000人が死亡したとされるといつも書いてある。
 2024年8月20日の読売、「捕虜で賠償」「戦利品扱い」という見出しで伝えたシべり抑留について、取り上げられた記事で、多摩大学准教授の小林昭菜さんが45年の12月の軍最終報告資料で61万1237人と現時点で一番正確な抑留者の数字を出している。
 紙面にも読売は反映させるべきだ。
 今野さんの祖父が抑留者だったことを調べることに父親は反対したそうな。

 実は、自分の父親が南方の戦地から無事に帰ってきたが、1965(昭和40)年の夏、病死した後、数年後、戦地での父親のことを知っているという東京は日野市の長谷川さん?だったかから手紙が届き、興味、関心を示したら、母親が「そんな人のことは聞いていない。亡くなった人のことを今さら、調べるのはやめろ」と止められ、父親の戦地でのことを調べることはやめた経緯があった。

 父親の反対を押し切って祖父のことを調べ上げた今野さんにエールをおくりたい。
 2013年10月31日、所用があって大阪に行った折、舞鶴に行き、引揚記念館に行ったが、語り部の話は聞くことができなかった。
 東京新宿にある東京都平和祈念展示資料館では体験者の講演を行っている。お薦めしたい。

 ソ連のスターリンが戦後に労働力とした戦争捕虜は300万人超。欧州人捕虜のうち病人らの解放命令で70万人が解放されたとされている。

 ドイツの人々の戦後も悲惨だったが、シベリア抑留においても、日本人ばかりでなくドイツを主とした欧州の人たちも犠牲となっていることを忘れてはならない。

 そのスターリンのソ連があれから幾星霜プーチンのロシアになって2024年2月24日、ウクライナに侵略し、ウクライナの子どもを拉致し、洗脳していると伝えられている。

 スターリンとプーチン、さらにプーチンのロシアに戦闘要員として兵士を送った北朝鮮の独裁者金一族の頭領。

 日本人の多くがソ連,ロシア、北朝鮮が嫌いな所以である

2024年11月01日

敗戦国ドイツ さまよえる人々

 NHKバタフライエフェクト 「ふたつの敗戦国」が放送されたが、全く知らなかったこととはいえ、語り継ぐ戦争の立場から、アジア太平洋戦争における満蒙開拓団の人々の姿と重なったので書いておく。

 「大戦後、東欧には1500万のドイツ人がいた。ドイツ降伏はその運命を変えた。現地の人々のドイツ人への恨みは暴力となり、住み慣れた土地からは強制追放された。しかしドイツ本国に戻っても彼らの苦しみは終わらなかった。戦争責任を重く受け止める西ドイツでは、彼ら被害者の声はかき消され、東ドイツでは、そもそも語ることが許されなかった。シリーズ「ふたつの敗戦国」、前編はドイツ人の被害者としての側面をみつめる。」と㏋にある。


 語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚であるが、アジア太平洋戦争における日本の加害者、被害者両面について知ったことは書いてきたが、ドイツのことまで関心を持っていなかったので、NHKのスタッフのお陰で、語り継ぐ戦争の立場から知識を深められた。

 他国への侵略といえば、2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵略し、ウクライナの領土を奪い占拠している。
 アジア太平洋戦争では、満州や朝鮮半島などに侵略した日本軍は傀儡政権の満州国を建国。満蒙開拓団などの移民を送り込んだ。
 ところが、日中戦争にとどまらず、米国にまで戦争を仕掛けた日本は国力の差で次第に劣勢となったのを見計らったスターリンのソ連は1945年8月9日未明、その満洲や朝鮮半島などに侵攻し、満州在住の日本人に略奪、性的暴行を繰り返し、現地の中国人や朝鮮人も追随した。
 逃げ遅れ、満州の曠野を逃げ惑う満蒙開拓団などの人々は、ソ連軍に追い詰められ、次々と集団自決を余儀なくされた。
 ソ連軍は無抵抗の避難民を戦車で轢き殺したのだ。

 ドイツも、ヒトラーに騙された人たちは、近隣諸国である東欧に1500万人もの多数の人々が移り住んでいたが、満州同様、ヒトラーが自殺し、ドイツが降伏すると立場が逆転し、チェコスロバキアやポーランドの人たちから復讐のように惨劇が繰り広げられたのだ。

 敗戦後のベルリンではドイツ人女性は少女から老婆までソ連兵から性的暴行されたという証言もある。
 チェコやポーランドでも当然、支配者と被支配者の立場が逆転すれば、女性や子どもたち弱者にそのつけがまわる。

 さらに、ドイツは米国とソ連の力関係で西と東に分断されてしまい、ソ連が支配した東欧圏に属した東では、ドイツ人は何もしゃべることを許されなかった。
 米国に解放された西は戦争責任を追及される立場だったから、自分たちの被害者としての痛みを訴えられなかった。

 北海道の分断を企図したスターリンのソ連は、占守島の戦車11聯隊の人たちの毅然たる戦いに阻止された。
 ソ連の北海道占拠を遅らせ、米軍が先に北海道を占拠したことで、何とか分断されずにすんだ。

 戦争で勝利者は勝てば官軍で占領地で酷いことをするのが通例で、東欧圏でも同じだったかもしれない。
 少なくとも、満州では、現地の人々の土地を奪い、現地人に恨みを買っていたことは事実である。

 他国を侵略する戦争は絶対許されない。