太平洋戦争中の1943年、大学生らが兵士として動員された「学徒出陣」の壮行会から81年の21日、犠牲者の追悼式典が国立競技場(東京都新宿区)の敷地内にある石碑「出陣学徒壮行の地」の前で開かれた。遺族ら約20人が参列し、学業半ばでなくなった学徒らを悼んだ。と10月21日の毎日新聞のWEBが伝えている。
41年12月の開戦後、大学生や高等学校の生徒らは徴兵を猶予されていた。だが政府は43年9月、兵力不足を補うため理工医学系や教員養成学校などを除く在校生らの徴兵猶予を停止した。満20歳に達した学生・生徒は徴集され、12月に陸海軍いずれかに入ることになった。
同年10月21日、国立競技場の前身である明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」が開かれ、77校の学生約2万5000人が参加。5万人以上の観衆に見守られながら、雨でぬかるむ地面を小銃を担いだ学生たちが行進する姿が映像で残されている。
碑は出陣から50年にあたる93年、有志によって国立競技場敷地内に建てられた。碑は同競技場建て替えで2014年に近隣の秩父宮ラグビー場(港区)へ移設されていたが、同競技場の完成にともない現在の地に移った。
碑の前でほぼ毎年、追悼式が営まれてきた。かつては元学徒が集っていたが、高齢化が進み昨年に続き、出席者はいなかった。
1966年10月21日、日本労働組合総評議会(総評)がベトナム反戦統一ストを実施。世界の反戦団体にベトナム戦争反対を呼びかけたことを契機に国際反戦デーが記念日となった。
1968年のこの日、新宿でベトナム戦争に反対する学生や労働者による騒乱事件が起きている。
1943年のこの日、学徒出陣壮行会が行われてから25年後のことだった。
団塊の世代の一員かつ、全共闘世代の一員である自分は、16歳の時、父親が病死してしまったので、今でいうシングルマザー、当時では母子家庭で自分たちを必死に育ててくれた母親のことを思えば、学生運動で国家権力に捕まるわけにはいかなかった。
というのは表向きだが、実は暴力が嫌いで、暴力の行きつくところは死ということで、戦争にも反対だった。
学徒が明治神宮外苑競技場で降りしきる雨の中を行進させられている姿を映像で何回も見ているが、戦争を始めた連中は、初めから、この日のことを考えていたはずで、1945年8月15日、戦争が終わってみれば、戦争を始めた軍の幹部たちは相当数が生き残り、戦地に送られた若者は死んだ。
この生き残った戦争犯罪人がA級戦犯として、東京裁判で裁かれ有罪とされた一部が処刑されている。
その人たちを戦死者を祀ってきた靖国神社が合祀したから、天皇も靖国神社に行かなくなった。
戦死者だけが祀られているなら、千鳥ヶ淵にある国立戦没者墓苑と一緒にお参りすればいいのだが、自民党など右寄り保守派の政治家が、戦死者ではない、戦犯を一緒に祀っている靖国神社にばかり行きたがるのは、どう考えてもおかしなことである。
だから、若い人には好戦的な自民党など右寄り政治家に警戒感を持つ必要がある所以である。
戦争が始まれば、戦わされるのは若い人だからだ。
学徒出陣は他人事ではないのである。