2024年10月08日

「人間宣言」二人の女性の生き方に学ぶ

 NHKこころの時代ライブラリーその言葉が道をひらく、「人間宣言」を視聴する機会に恵まれた。

 「国立ハンセン病療養所『多磨全生園』で暮らす山内きみ江さん(90)にお話を伺う。差別や偏見から多くを失い、諦めざるを得なかったきみ江さんにとって転機となったのが67歳のとき、当時、高校を卒業したばかりの真由美さんを養女に迎えたことだった。さらに、社会復帰を目指し、園の外での生活も体験した。人権を踏みにじられながら生きてきたきみ江さんに、人間とは何か、そして次代に伝えたいメッセージを伺う。」と㏋にある。

 公益財団法人東京都人権啓発センターTOKYO人権第59号(2013(平成25)年8月30日発行)に「ハンセン病を生きてこの世に生を受けて良かったなと思う」ということで山内きみ江さんの講演が紹介されている。
 
 この時のプロフィールによれば、1957年、国立療養所多磨全生園に入所。同年、入所者の定と結婚。2001年、養女を迎える。2005年、全生園近くのマンションに転居。定は持病悪化のため園に残る。2010年、孫誕生。2011年、定、死去。同年、全生園内に戻る。多磨全生園に入所してから、漢字をおぼえるために俳句を始め、その後、知人の勧めで五行歌を書いている。毎月専門誌に投稿している。


 熊谷博子監督『かづゑ的』で、監督とスタッフが8年間伴走してドキュメンタリー映画として紹介された1928(昭和3)年生まれの宮崎かづゑさんを観て、ハンセン病患者への差別がどれほど酷かったか教えられた。
 当事者のかづゑさんは、瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園で「できるんよ、やろうと思えば」とどんなことにも挑戦した女性である。その前向きな生き方に敬意を表しながら、スクリーンに映るかづゑさんの人生の一コマを見つめた。

 山内きみ江さんは1934(昭和9)年生まれで、東京東村山の国立ハンセン病療養所多磨全生園で生活されていたということで、宮崎かづゑさんより自分にとっては身近な存在といえるかもしれない。
 というのも、多磨全生園には2016年6月に訪問したことがあり、納骨堂の前で、亡くなった方への供養ということで尺八を吹いたことがあるからだ。
 さらに園内を散策した時、居住者の住宅の近くを歩いたので、園内で生活していた拠点というか、居住の実態を少しばかり知ることができた。

 人と較べるなんてことが大嫌いな自分としては、かづゑさんときみ江さんを較べるようなバカなことは考えたことはないが、人間の数ほどドラマがあるように、同じ女性で世代も比較的近い女性の人生もそれぞれだなと思った次第である。 
 まず、海が見える明るい長島愛生園と東京とはいうものの、埼玉県県境に近い場所だからか、あるいは隠すためか、園内に樹木がたくさんある多磨全生園という施設のロケーションに大きな違いを見た。
 二人とも、結婚されているが、病気を理由とする問題故か、子どもを持つことが許されなかった。
 きみ江さんは養女を迎え、孫がいるとのことである。
 二人が食べるために、食材を調理する場面が撮られていたが、病気の後遺症で指先が使えないから、包丁を使うとき、工夫しながら、使いこなしていたのを見て、なんて、前向きな生き方なんだろうと感心した。
 同時に生きるって大変なんだと痛感させられた。

 後期高齢者になって、心身共に急激に衰え、一時鬱状態に近くなったが、かかりつけ医の処方する薬と畑に通い、大自然の力で少しばかり元気を回復しつつある自分と較べ、国立の療養所に入所させられているときは自由を奪われていた二人にとって、弱音を吐く暇がなかったであろう。

 人間が生きるということの大変さを教えてくれた二人であるが、苦労の少なかった自分は意気地なしで、苦労続きの二人は気合が入っている。
 それにつけても、ハンセン病というのは怖ろしい病気であるが、そのことを多くの人が知り、差別がなくなる社会になるように願う。