2024年10月02日

少年院の葡萄 寄り添う誰かと共に

 「少年院でブドウを育てた少年たち…外の世界で「寄り添う人」との出会いを願いたい」という趣旨の記事が9月29日の読売の「広角 多角」というタイトルで(石浜友里記者)掲載されていた。

 犯罪被害者支援を訴えてきたが、究極の犯罪被害者支援は出所者や出院者の更生だと気づかされて、彼ら、彼女らの支援を呼びかけてきた。

 2年前というから2022年の春、茨城県牛久市の少年院、「茨城農芸学院」で少年たちがブドウの苗を植える様子を取材した。
 そのうちの18歳の少年に話を聞くと、詐欺に加担し、保護観察処分を受けるも、その間に万引きをして少年院に入っていた。
 ブドウを育てる意味が分からなかった記者はこの取り組みに懐疑的であったという。
 「水や栄養をあげた分、ブドウは成長する。自分も努力した分、成長できるのかなと思って…」と照れ臭そうに話した。
 記者は子どもの頃、愛読していた有島武郎『一房の葡萄』(岩波文庫)の主人公が友達の絵の具を盗み、女教師に諭されたとき、窓からブドウをもぎ取って主人公の膝の上に置いて女教師が去って行ったシーンを思い出した。

 元少年院院長に取材すると「少年院は優しい人たち、少年の味方しかいない」が、社会に出るとそうはいかない。
 「そばで寄り添う人の存在が絶対に必要だ」と出院後の支援者が不可欠であることを訴えた。

 本の主人公に寄り添ってくれた女性教師のその後の不在を描いて物語は閉じられたが、現実には、ブドウを育てていた少年が出院後、寄り添ってくれる誰かに出会えたであろうか。と結ぶ。


 子どもの頃読んだ本に描かれていた光景と今、職業柄、取材した少年院での出来事を対比させ、少年の更生を願う気持ちがよく描かれていて、心が温まった。
 欲を言えば、更生を祈るだけでなく、一歩前に進め、少年のその後も取材することと、寄り添う誰かなんて簡単には見つからないから、手助けするくらいの気持ちがあればなお嬉しい。
 ただ、記者の仕事は伝えることで、支援するのは仕事ではないことは承知の上のことだ。

 犯罪被害者支援を訴え、出所者の更生を願っている自分は、受刑者が所内での作業で携わった製品を買い求めて支援してきたので、ふだん、持ち歩いている布製の手提げなどは受刑者の作品であることも付言しておきたい。

 人にはそれぞれ立ち位置があり、己の立ち位置でできることをやるというのが自分のスタイルというか流儀である。

 闇バイトの仕業かなどと報道されているが、東京国分寺などで住宅に押し入り、家人に暴力を加え、金品を強奪する所謂急ぎ働き犯が横行し、一部は捕まっている。捕まえたら、みせしめのために死刑、それも、鬼平の時代のように貼り付け、獄門にすべきだという意見もあるだろう。

 実行犯は悪いが、彼らを操っている人間こそワルだから、このワルを捕まえて厳しく処罰しなければ犯罪は減らせない。

 少年は、犯した罪によって、更生は十分にできるはずだから、何としても更生させたい。
 
 ブドウを育てることは、出院者にとっての仕事として十分に考えられることだ。
 農業に従事することは更生に役立つはずである。
 是非とも、ブドウを育てた何人かは農業の道に進んでほしいと願う。