個人や企業から寄付で集めた食品を経済的に困窮している人らに無償提供するフードバンクが苦境に立たされている。物価の高騰などで十分な食品を確保できず、活動に支障が出ており、支援に乗り出す動きも出てきた。と10月5日の読売(金来弘美記者)が伝えている。
その要因は、個人は物価高により、生活に余裕がなく、企業は在庫を減らす調整で、寄付にまわせるものが減っているとはNPO法人フードバンク仙台の理事川久保尭弘さんだ。
農林水産省によれば、国内のフードバンクは年々増え、10月1日時点で278。
支援を強化する動きとして、長野県では、2022年、「県フードサポートセンター(ふーさぽ)を設立。フードバンクへの寄付が乏しい時の食料購入費や配送費などを県が負担することになった。
農水省は9月、政府備蓄米無償交付の運用を改めた。申し込みを通年、窓口を全都道府県に拡充した。
消費者庁は寄付を促すため指針作りを始めた。
欧米には寄付や団体の活動を円滑に進めるための仕組みがある。
米国では善意で提供された食品の自己責任は問わない。「善きサマリア人の法」が施行されている。
イタリアでは食品廃棄規制法で関連事業者が余剰食品を寄付する場合、税制上の優遇措置を受けられる。
善意というものは価値のあることで、住みよい社会には人々の善意がしばしばみられるものだ。
小さな親切運動が公益法人化され、「小さな親切」運動本部というのがあるくらいである。
戦災から戦後、人々の努力で復興を成し遂げ、70年代の一時期は1億総中流ということで、誰しもが自分は中流かなという意識を持つことができた時代があった。
しかし、派遣労働が導入され、労働者が非正規雇用化されるや、わが国で戦後間もなくの時代に遡ってしまったかのように貧富の格差が大きな社会問題となり、シングルマザーなどの家庭の子どもが貧困で学校給食だけが頼りというおかしな時代がやってきた。
見かねた心ある人たちが立ち上がり子ども食堂を作り、子どもたちに食べられる機会をつくってくれた。
子どもたちだけでなく、貧困家庭に食料を寄付するフードバンクも設置されたのである。
本来は、政治がやるべきことであるはずだが、現実に困っている人がいて、政治がやろうとしない以上、誰かがやるよりないわけである。
善意というものは、自分一人でもできることではあるが、皆で力を合わせることで、大きな力にすることができるものだ。
利益追求のためにあるのが企業であるが、同時に企業には社会的責任というものがついてまわる。
その企業が余剰食料をフードバンクに寄付したら、税制上の優遇を受けられるのもまた当然のことだ。
さらに、余剰食料であるから、万が一事故が遭ったとき、その責任を問われないということもまたとても重要なことである。
学校給食の関係者から小耳にはさんだ夏休みとか学校が休みの時、ふだん、昼の給食で食いつないできた子どもが食べられなくなると知り、「えっ!」と驚かされた。
語り継ぐ戦争では、戦後の食料不足の時代、孤児たちが生き延びるために必死で食料を手にしようとしたことを書いた。
物価高で個人の寄付が減った。企業の在庫調整で寄付が減った。
こういうことは、TVがもっととりあげるべきことだ。
2024年10月09日
2024年10月08日
「人間宣言」二人の女性の生き方に学ぶ
NHKこころの時代ライブラリーその言葉が道をひらく、「人間宣言」を視聴する機会に恵まれた。
「国立ハンセン病療養所『多磨全生園』で暮らす山内きみ江さん(90)にお話を伺う。差別や偏見から多くを失い、諦めざるを得なかったきみ江さんにとって転機となったのが67歳のとき、当時、高校を卒業したばかりの真由美さんを養女に迎えたことだった。さらに、社会復帰を目指し、園の外での生活も体験した。人権を踏みにじられながら生きてきたきみ江さんに、人間とは何か、そして次代に伝えたいメッセージを伺う。」と㏋にある。
公益財団法人東京都人権啓発センターTOKYO人権第59号(2013(平成25)年8月30日発行)に「ハンセン病を生きてこの世に生を受けて良かったなと思う」ということで山内きみ江さんの講演が紹介されている。
この時のプロフィールによれば、1957年、国立療養所多磨全生園に入所。同年、入所者の定と結婚。2001年、養女を迎える。2005年、全生園近くのマンションに転居。定は持病悪化のため園に残る。2010年、孫誕生。2011年、定、死去。同年、全生園内に戻る。多磨全生園に入所してから、漢字をおぼえるために俳句を始め、その後、知人の勧めで五行歌を書いている。毎月専門誌に投稿している。
熊谷博子監督『かづゑ的』で、監督とスタッフが8年間伴走してドキュメンタリー映画として紹介された1928(昭和3)年生まれの宮崎かづゑさんを観て、ハンセン病患者への差別がどれほど酷かったか教えられた。
当事者のかづゑさんは、瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園で「できるんよ、やろうと思えば」とどんなことにも挑戦した女性である。その前向きな生き方に敬意を表しながら、スクリーンに映るかづゑさんの人生の一コマを見つめた。
山内きみ江さんは1934(昭和9)年生まれで、東京東村山の国立ハンセン病療養所多磨全生園で生活されていたということで、宮崎かづゑさんより自分にとっては身近な存在といえるかもしれない。
というのも、多磨全生園には2016年6月に訪問したことがあり、納骨堂の前で、亡くなった方への供養ということで尺八を吹いたことがあるからだ。
さらに園内を散策した時、居住者の住宅の近くを歩いたので、園内で生活していた拠点というか、居住の実態を少しばかり知ることができた。
人と較べるなんてことが大嫌いな自分としては、かづゑさんときみ江さんを較べるようなバカなことは考えたことはないが、人間の数ほどドラマがあるように、同じ女性で世代も比較的近い女性の人生もそれぞれだなと思った次第である。
まず、海が見える明るい長島愛生園と東京とはいうものの、埼玉県県境に近い場所だからか、あるいは隠すためか、園内に樹木がたくさんある多磨全生園という施設のロケーションに大きな違いを見た。
二人とも、結婚されているが、病気を理由とする問題故か、子どもを持つことが許されなかった。
きみ江さんは養女を迎え、孫がいるとのことである。
二人が食べるために、食材を調理する場面が撮られていたが、病気の後遺症で指先が使えないから、包丁を使うとき、工夫しながら、使いこなしていたのを見て、なんて、前向きな生き方なんだろうと感心した。
同時に生きるって大変なんだと痛感させられた。
後期高齢者になって、心身共に急激に衰え、一時鬱状態に近くなったが、かかりつけ医の処方する薬と畑に通い、大自然の力で少しばかり元気を回復しつつある自分と較べ、国立の療養所に入所させられているときは自由を奪われていた二人にとって、弱音を吐く暇がなかったであろう。
人間が生きるということの大変さを教えてくれた二人であるが、苦労の少なかった自分は意気地なしで、苦労続きの二人は気合が入っている。
それにつけても、ハンセン病というのは怖ろしい病気であるが、そのことを多くの人が知り、差別がなくなる社会になるように願う。
「国立ハンセン病療養所『多磨全生園』で暮らす山内きみ江さん(90)にお話を伺う。差別や偏見から多くを失い、諦めざるを得なかったきみ江さんにとって転機となったのが67歳のとき、当時、高校を卒業したばかりの真由美さんを養女に迎えたことだった。さらに、社会復帰を目指し、園の外での生活も体験した。人権を踏みにじられながら生きてきたきみ江さんに、人間とは何か、そして次代に伝えたいメッセージを伺う。」と㏋にある。
公益財団法人東京都人権啓発センターTOKYO人権第59号(2013(平成25)年8月30日発行)に「ハンセン病を生きてこの世に生を受けて良かったなと思う」ということで山内きみ江さんの講演が紹介されている。
この時のプロフィールによれば、1957年、国立療養所多磨全生園に入所。同年、入所者の定と結婚。2001年、養女を迎える。2005年、全生園近くのマンションに転居。定は持病悪化のため園に残る。2010年、孫誕生。2011年、定、死去。同年、全生園内に戻る。多磨全生園に入所してから、漢字をおぼえるために俳句を始め、その後、知人の勧めで五行歌を書いている。毎月専門誌に投稿している。
熊谷博子監督『かづゑ的』で、監督とスタッフが8年間伴走してドキュメンタリー映画として紹介された1928(昭和3)年生まれの宮崎かづゑさんを観て、ハンセン病患者への差別がどれほど酷かったか教えられた。
当事者のかづゑさんは、瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園で「できるんよ、やろうと思えば」とどんなことにも挑戦した女性である。その前向きな生き方に敬意を表しながら、スクリーンに映るかづゑさんの人生の一コマを見つめた。
山内きみ江さんは1934(昭和9)年生まれで、東京東村山の国立ハンセン病療養所多磨全生園で生活されていたということで、宮崎かづゑさんより自分にとっては身近な存在といえるかもしれない。
というのも、多磨全生園には2016年6月に訪問したことがあり、納骨堂の前で、亡くなった方への供養ということで尺八を吹いたことがあるからだ。
さらに園内を散策した時、居住者の住宅の近くを歩いたので、園内で生活していた拠点というか、居住の実態を少しばかり知ることができた。
人と較べるなんてことが大嫌いな自分としては、かづゑさんときみ江さんを較べるようなバカなことは考えたことはないが、人間の数ほどドラマがあるように、同じ女性で世代も比較的近い女性の人生もそれぞれだなと思った次第である。
まず、海が見える明るい長島愛生園と東京とはいうものの、埼玉県県境に近い場所だからか、あるいは隠すためか、園内に樹木がたくさんある多磨全生園という施設のロケーションに大きな違いを見た。
二人とも、結婚されているが、病気を理由とする問題故か、子どもを持つことが許されなかった。
きみ江さんは養女を迎え、孫がいるとのことである。
二人が食べるために、食材を調理する場面が撮られていたが、病気の後遺症で指先が使えないから、包丁を使うとき、工夫しながら、使いこなしていたのを見て、なんて、前向きな生き方なんだろうと感心した。
同時に生きるって大変なんだと痛感させられた。
後期高齢者になって、心身共に急激に衰え、一時鬱状態に近くなったが、かかりつけ医の処方する薬と畑に通い、大自然の力で少しばかり元気を回復しつつある自分と較べ、国立の療養所に入所させられているときは自由を奪われていた二人にとって、弱音を吐く暇がなかったであろう。
人間が生きるということの大変さを教えてくれた二人であるが、苦労の少なかった自分は意気地なしで、苦労続きの二人は気合が入っている。
それにつけても、ハンセン病というのは怖ろしい病気であるが、そのことを多くの人が知り、差別がなくなる社会になるように願う。
2024年10月07日
海は警告する 北海道でサケの水揚げ半減
読売の優れた連載「あすへの考」。その10月6日は【「海洋熱波」東北沖で顕著】というタイトルで見延庄士郎北海道大学理学部教授(61)が「地球温暖化 海は警告する」「北海道では、サケの水揚げ半減。ヒグマの食料乏しくなる恐れも」「排出削減へ社会経済を変える必要。一人一人ができること、考えて」という見出しで海の異変を訴える内容に驚かされた。(吉田清久編集委員)
北海道函館といえば、青森と並んでイカがたくさん取れ、「イカのまち」として知られているが、イカが不漁でその代わり暖かい海水温を好むブリの水揚げが増えている。
取れなくなったのはサケである。サケの減少で注意すべきは、陸の生態系への影響で、サケの遡上が果たしてきた陸に栄養分を届けることができなくなれば、陸の食料が乏しくなり、ヒグマの餌にも影響を及ぼす、
魚種のレジームシフト(魚種交代)と呼んでいるが、背景にあるのは「海洋熱波」と呼ばれる現象だ。
海洋熱波は黒潮が強くなり、弱くなった親潮の南下を妨げた結果である。海水温の上昇はかつてないほどの状況である。
地球表面の7割が海洋で、海洋の水温が上がるのは陸の気温が上昇するのと較べ大変なこと。
異常気象の要因の一つは地球温暖化の影響だ。ために、産業構造を含めた社会全体のあり方を変えていく必要がある。
CO2削減に向け、何ができるのか。1人1人が考えてほしい。と結ぶ。
有機無農薬で野菜を栽培しているのと炎症性腸疾患クローン病になってからの食事制限で肉をほとんど口にせず、魚も食べる回数が少ないということで野菜中心の食生活だから、魚の水揚げには関心が低かった。
ただし、北海道には語り継ぐ戦争だけでなく、観光旅行としても行っているので、その昔、ニシンがたくさんとれ、ニシン御殿が建つほどだったが、今はとれなくなったこと。函館のイカ、サケの遡上、ヒグマがサケを食料にしていることなどは知っていた。
しかし、サケが不漁となった代わりにブリが取れるようになったことは知らなかった。
その要因の一つとなっているのが地球温暖化だというのだから、自分が考えているよりも、ことはさらに深刻だということが分かった。
イカといえば、ホタテと共に自分の連れ合いの大好物で、マグロより好きみたいだから、嗜好というのはわからないものである。
近年、サンマが不漁になっていることは知っていた。
連れ合いはさんまも好きなようで、時々食している。
このことも地球温暖化の影響かどうかわからないが、畑の野菜のように種をまかずに海にいる魚を取ってしまえば、いつかいなくなってしまうとは日頃から考えてきたことである。
しかし、見延さんが警鐘を鳴らしているのは地球温暖化の影響が海にまで及んでいることだから、ただ単に魚の問題ではない。
雨が降らない限り、ほぼ毎日、所謂生ごみを畑に埋めに行く。
可燃ごみに出せば、焼却場まで運び燃やしてくれるが、地球温暖化を防ぐため、CO2をできるだけ出さないためだが、畑がなければこんなことはできない。
しかし、ごみ収集のパッカー車の排気ガス、焼却場の煙突から出る煙に含まれるCO2を減らすとなれば、こういう些細なことだって役立ちそうだ。
1人1人が意識を変えろと言うのだから、自分のできることをやっていくしかない。
北海道函館といえば、青森と並んでイカがたくさん取れ、「イカのまち」として知られているが、イカが不漁でその代わり暖かい海水温を好むブリの水揚げが増えている。
取れなくなったのはサケである。サケの減少で注意すべきは、陸の生態系への影響で、サケの遡上が果たしてきた陸に栄養分を届けることができなくなれば、陸の食料が乏しくなり、ヒグマの餌にも影響を及ぼす、
魚種のレジームシフト(魚種交代)と呼んでいるが、背景にあるのは「海洋熱波」と呼ばれる現象だ。
海洋熱波は黒潮が強くなり、弱くなった親潮の南下を妨げた結果である。海水温の上昇はかつてないほどの状況である。
地球表面の7割が海洋で、海洋の水温が上がるのは陸の気温が上昇するのと較べ大変なこと。
異常気象の要因の一つは地球温暖化の影響だ。ために、産業構造を含めた社会全体のあり方を変えていく必要がある。
CO2削減に向け、何ができるのか。1人1人が考えてほしい。と結ぶ。
有機無農薬で野菜を栽培しているのと炎症性腸疾患クローン病になってからの食事制限で肉をほとんど口にせず、魚も食べる回数が少ないということで野菜中心の食生活だから、魚の水揚げには関心が低かった。
ただし、北海道には語り継ぐ戦争だけでなく、観光旅行としても行っているので、その昔、ニシンがたくさんとれ、ニシン御殿が建つほどだったが、今はとれなくなったこと。函館のイカ、サケの遡上、ヒグマがサケを食料にしていることなどは知っていた。
しかし、サケが不漁となった代わりにブリが取れるようになったことは知らなかった。
その要因の一つとなっているのが地球温暖化だというのだから、自分が考えているよりも、ことはさらに深刻だということが分かった。
イカといえば、ホタテと共に自分の連れ合いの大好物で、マグロより好きみたいだから、嗜好というのはわからないものである。
近年、サンマが不漁になっていることは知っていた。
連れ合いはさんまも好きなようで、時々食している。
このことも地球温暖化の影響かどうかわからないが、畑の野菜のように種をまかずに海にいる魚を取ってしまえば、いつかいなくなってしまうとは日頃から考えてきたことである。
しかし、見延さんが警鐘を鳴らしているのは地球温暖化の影響が海にまで及んでいることだから、ただ単に魚の問題ではない。
雨が降らない限り、ほぼ毎日、所謂生ごみを畑に埋めに行く。
可燃ごみに出せば、焼却場まで運び燃やしてくれるが、地球温暖化を防ぐため、CO2をできるだけ出さないためだが、畑がなければこんなことはできない。
しかし、ごみ収集のパッカー車の排気ガス、焼却場の煙突から出る煙に含まれるCO2を減らすとなれば、こういう些細なことだって役立ちそうだ。
1人1人が意識を変えろと言うのだから、自分のできることをやっていくしかない。
2024年10月06日
保護フィルムで飛躍を遂げた西山ケミックス
京都府宇治市の西山ケミックスが液晶保護フィルムの生産で業績を飛躍的に伸ばしている。と10月3日の読売(岩崎祐也記者)が「転換力」というタイトルで伝えている。教育現場を中心にタブレッド端末の受注増が追い風となった。
スマートフォンやタブレッド端末、カーナビなど現代社会は様々なモニターにあふれている。
ゴム加工会社だったが、デジタル関連事業を新たに展開し、経営を軌道に乗せたのは元証券マンの3代目森豊社長(53)。
同社の強みは、端末の大きさに応じた液晶保護フィルムをオーダーメイドで生産する技術だ。25㍃・b(1㍃・bは1000分の1_)まで薄くできるという。フィルムを自動裁断できる最新機器を導入しており、短期間で大量の注文にも対応する。
近年、業績を大きく伸ばしたきっかけは小中学生に1人1台のタブレッドを配備する国の「GIGAスクール構想」だった。
「変化はチャンスにつながる。今後も作り手を育て、時代が望む製品を効率よく作れるよう工夫していきたい」という森社長。
石破首相が誕生し、地方創生の交付金を倍増すると所信表明された。
偶々、首都圏の田舎町に生まれ育ち、後期高齢者までどこにも転居したことすらないが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国を周ってきたくらいだから、古くは田中角栄さんの日本列島改造とか竹下登さんのふるさと創生に関心を持ち、そして地方創生にカネをかけることに大いに賛成である。
読売が「転換力」というタイトルで地方自治体や地方に本拠を置く会社などが地方を活性化させ、発展させようとしているリーダーなどの取り組みを紹介しているので、過去、何回か取り上げたことがある。
所謂ふるさと、田舎に生家があって、自分は都会に住みついたまま帰らないという意味では、ふるさとはないが、連れ合いの両親が上越の妙高出身で、車で2度訪れているから、ふるさとの雰囲気は見てきた。
そこは今では限界集落で、訪ねた当時で9軒だけしか住んでいないとのことだった。
ご先祖の墓参りを案内してくれた叔母さんは「クマが出るのよ。この辺は」と言っていた。
地方には働く場がないとはよく耳にすることで、熊本に半導体の工場を作るというから、これで就職できる人がいればと歓迎すべきかなと思っていたら、水俣病の熊本だから、公害の心配があるということを耳にした。
詳しいことは調べていないが、せっかく田舎の水俣にチッソが工場を作っても、有機水銀垂れ流しで、水俣病を発生させたことと同じことが繰り返されれば罪は重い。
京都府の宇治市といえば、宇治茶とすぐに出てくるが、西山ケミカルは従業員約35人だというから、雇用としてはまだ少ない。
もっと大きくなって、もっとたくさんの雇用が生まれるように願っている。
新しい需要、時代が求めている品物を見出し、生産することで、さらなる業績のアップで雇用を増やせる可能性がある。
スマートフォンやタブレッド端末、カーナビなど現代社会は様々なモニターにあふれている。
ゴム加工会社だったが、デジタル関連事業を新たに展開し、経営を軌道に乗せたのは元証券マンの3代目森豊社長(53)。
同社の強みは、端末の大きさに応じた液晶保護フィルムをオーダーメイドで生産する技術だ。25㍃・b(1㍃・bは1000分の1_)まで薄くできるという。フィルムを自動裁断できる最新機器を導入しており、短期間で大量の注文にも対応する。
近年、業績を大きく伸ばしたきっかけは小中学生に1人1台のタブレッドを配備する国の「GIGAスクール構想」だった。
「変化はチャンスにつながる。今後も作り手を育て、時代が望む製品を効率よく作れるよう工夫していきたい」という森社長。
石破首相が誕生し、地方創生の交付金を倍増すると所信表明された。
偶々、首都圏の田舎町に生まれ育ち、後期高齢者までどこにも転居したことすらないが、語り継ぐ戦争、戦没者慰霊のための行脚で全国を周ってきたくらいだから、古くは田中角栄さんの日本列島改造とか竹下登さんのふるさと創生に関心を持ち、そして地方創生にカネをかけることに大いに賛成である。
読売が「転換力」というタイトルで地方自治体や地方に本拠を置く会社などが地方を活性化させ、発展させようとしているリーダーなどの取り組みを紹介しているので、過去、何回か取り上げたことがある。
所謂ふるさと、田舎に生家があって、自分は都会に住みついたまま帰らないという意味では、ふるさとはないが、連れ合いの両親が上越の妙高出身で、車で2度訪れているから、ふるさとの雰囲気は見てきた。
そこは今では限界集落で、訪ねた当時で9軒だけしか住んでいないとのことだった。
ご先祖の墓参りを案内してくれた叔母さんは「クマが出るのよ。この辺は」と言っていた。
地方には働く場がないとはよく耳にすることで、熊本に半導体の工場を作るというから、これで就職できる人がいればと歓迎すべきかなと思っていたら、水俣病の熊本だから、公害の心配があるということを耳にした。
詳しいことは調べていないが、せっかく田舎の水俣にチッソが工場を作っても、有機水銀垂れ流しで、水俣病を発生させたことと同じことが繰り返されれば罪は重い。
京都府の宇治市といえば、宇治茶とすぐに出てくるが、西山ケミカルは従業員約35人だというから、雇用としてはまだ少ない。
もっと大きくなって、もっとたくさんの雇用が生まれるように願っている。
新しい需要、時代が求めている品物を見出し、生産することで、さらなる業績のアップで雇用を増やせる可能性がある。
2024年10月05日
埼玉県立川口工業高校「掃除部」にエール!
「SDGs@スクール」というタイトルで、学校でSDGsに関わる活動をしている生徒たちのことを取り上げている連載が読売にある。その10月2日は、(染木彩記者)「『掃除部』学校と街きれいに」という見出しで、埼玉県立川口工業高校の「掃除部」の活動を紹介している。
全国的にも珍しい「掃除部」。掃除部が活動を始めたのは2007年。赴任してきたばかりだった理科の牧之瀬貴子教諭(62)は化学実験室などでネズミやゴキブリが走り回る姿に驚いていると、約10人の有志の生徒たちが自主的に掃除を始めてくれた。
2年かけて部屋はきれいになり、牧之瀬教諭が「部活として活動してくれない?」と呼びかけたことが「掃除部」の始まりだった。
愛好会として活動し、11年からは学校周辺のごみ拾いも行っている。
19年に部に昇格し、現在24人の部員が在籍する。
廊下のワックスを剥離剤で剝がしてから新しいワックスを塗り、床掃除用の機械も使いこなし、卒業生が清掃会社から即戦力として採用されるほど技術力は高い。
モットーは「掃除してやってると思うようなら辞める」で、もう少しきれいにしたいとトイレ掃除に没頭し、「定時制の生徒が来るまでには切り上げて」と牧之瀬教諭がストップをかけるほどだ。
全国の高校生がスポーツのように拾ったゴミの種類と量を競い合う「スポGOMI甲子園」の全国大会で2度優勝している。
部員たちの願いは街の人たちに「ゴミを捨てない」という意識を高めてもらうことだ。
2023年からは地元の小中学生やその親に参加してもらうゴミ拾い大会「かわりすCUP」を開催している。
川口市に行ったことがないし、埼玉のどの辺にあるかもしらないが、『キューポラのある街』の舞台になったことで鋳物の街だったことは知っている。生憎、若い頃の映画だから観てはいないが、近年は外国人が集まり、クルド人が大騒ぎした街として印象はすこぶる悪い。
その悪いイメージを払拭するのが県立川口工業高校の「掃除部」の生徒たちでエールをおくりたい。
トイレ掃除に力を入れていると知り、イエローハットの創業者鍵山秀三郎さんのことを思い出した。
近年では、役所広司がトイレの清掃を仕事にしている平山さんを演じた『パーフェクトデイズ』で公衆トイレの清潔さ、使いやすさなどが映画化されるほど社会問題として取り上げられるようになった。
例えば、登山客などで汚れが目立っていた奥多摩駅のトイレを地元の有志が清掃の回数を増やしたことで、きれいになり、今ではその清潔さを誇っているほどだ。
昨、10月4日の読売朝刊の長期連載「人生案内」に60代後半の男性が「人生楽しくない」どうしたら私の人生は充実するのか。と相談があった。
回答者は独特の文体で回答することで知られている作家いしいしんじさん。
荒っぽく要約してしまうと、誰かのために生きることが、生の時間を燃やす。ほんとうの楽しみにつながると軍手をはめ、舗道の植え込みを整える。通学路の交差点で、毎朝、ランドセルの児童に声をかける、などを参考に挙げている。
『荒野に希望の灯をともす』でアフガニスタンとパキスタンで35年も現地の人々に医療と灌漑用水の敷設で貢献した医師中村哲先生の活動を観て、異国の地で、自分の持っている医師としての資格を活かし、現地の人々の医療で貢献したばかりか、栄養失調が病気の原因とみるや、灌漑用水を敷設して、食料自給のために活動した人生は厳しく大変なことだったと思う反面、充実した人生だっただろうと推察する。
人間立ち位置というか、身の丈というか、できることは限られているとしても、自分のためでなく他者のために頑張っているというのは川口工業高校の掃除部の生徒も同じで立派である。
現代の偉人ともいうべき中村哲先生が成し遂げたことは誰にでもできるわけではない。
しかし、作家のいしいしんじさんが挙げられた舗道の植え込みを整える、草を毟る、ごみを拾うことはやろうと思えばできないことではない。
充実した人生を求めるなら、早速にも、実践してみることだ。
川口高校の「掃除部」の24人には感心するばかりであるが、退場するばかりの世代の一員としては、持ち時間が少ないが、手が回らず、道路に伸びている畑の生垣代わりのサツキなどを早く刈り込んできれいにしなければと思った。
全国的にも珍しい「掃除部」。掃除部が活動を始めたのは2007年。赴任してきたばかりだった理科の牧之瀬貴子教諭(62)は化学実験室などでネズミやゴキブリが走り回る姿に驚いていると、約10人の有志の生徒たちが自主的に掃除を始めてくれた。
2年かけて部屋はきれいになり、牧之瀬教諭が「部活として活動してくれない?」と呼びかけたことが「掃除部」の始まりだった。
愛好会として活動し、11年からは学校周辺のごみ拾いも行っている。
19年に部に昇格し、現在24人の部員が在籍する。
廊下のワックスを剥離剤で剝がしてから新しいワックスを塗り、床掃除用の機械も使いこなし、卒業生が清掃会社から即戦力として採用されるほど技術力は高い。
モットーは「掃除してやってると思うようなら辞める」で、もう少しきれいにしたいとトイレ掃除に没頭し、「定時制の生徒が来るまでには切り上げて」と牧之瀬教諭がストップをかけるほどだ。
全国の高校生がスポーツのように拾ったゴミの種類と量を競い合う「スポGOMI甲子園」の全国大会で2度優勝している。
部員たちの願いは街の人たちに「ゴミを捨てない」という意識を高めてもらうことだ。
2023年からは地元の小中学生やその親に参加してもらうゴミ拾い大会「かわりすCUP」を開催している。
川口市に行ったことがないし、埼玉のどの辺にあるかもしらないが、『キューポラのある街』の舞台になったことで鋳物の街だったことは知っている。生憎、若い頃の映画だから観てはいないが、近年は外国人が集まり、クルド人が大騒ぎした街として印象はすこぶる悪い。
その悪いイメージを払拭するのが県立川口工業高校の「掃除部」の生徒たちでエールをおくりたい。
トイレ掃除に力を入れていると知り、イエローハットの創業者鍵山秀三郎さんのことを思い出した。
近年では、役所広司がトイレの清掃を仕事にしている平山さんを演じた『パーフェクトデイズ』で公衆トイレの清潔さ、使いやすさなどが映画化されるほど社会問題として取り上げられるようになった。
例えば、登山客などで汚れが目立っていた奥多摩駅のトイレを地元の有志が清掃の回数を増やしたことで、きれいになり、今ではその清潔さを誇っているほどだ。
昨、10月4日の読売朝刊の長期連載「人生案内」に60代後半の男性が「人生楽しくない」どうしたら私の人生は充実するのか。と相談があった。
回答者は独特の文体で回答することで知られている作家いしいしんじさん。
荒っぽく要約してしまうと、誰かのために生きることが、生の時間を燃やす。ほんとうの楽しみにつながると軍手をはめ、舗道の植え込みを整える。通学路の交差点で、毎朝、ランドセルの児童に声をかける、などを参考に挙げている。
『荒野に希望の灯をともす』でアフガニスタンとパキスタンで35年も現地の人々に医療と灌漑用水の敷設で貢献した医師中村哲先生の活動を観て、異国の地で、自分の持っている医師としての資格を活かし、現地の人々の医療で貢献したばかりか、栄養失調が病気の原因とみるや、灌漑用水を敷設して、食料自給のために活動した人生は厳しく大変なことだったと思う反面、充実した人生だっただろうと推察する。
人間立ち位置というか、身の丈というか、できることは限られているとしても、自分のためでなく他者のために頑張っているというのは川口工業高校の掃除部の生徒も同じで立派である。
現代の偉人ともいうべき中村哲先生が成し遂げたことは誰にでもできるわけではない。
しかし、作家のいしいしんじさんが挙げられた舗道の植え込みを整える、草を毟る、ごみを拾うことはやろうと思えばできないことではない。
充実した人生を求めるなら、早速にも、実践してみることだ。
川口高校の「掃除部」の24人には感心するばかりであるが、退場するばかりの世代の一員としては、持ち時間が少ないが、手が回らず、道路に伸びている畑の生垣代わりのサツキなどを早く刈り込んできれいにしなければと思った。
2024年10月04日
農作業通じ就労支援 社会になじめない人へ
障がいや心の病などで社会にうまくなじめない人に農業体験を通じて社会生活への復帰や就労を目指してもらう取り組みが、東京八王子の多機能型事業所「エシカルベジタブルス八王子(エシベジ)」で進められていると10月3日の読売(久保拓記者)が伝えている。
農作業で心の平静さや体力を取り戻し、商品となる作物を作ることで自信を持ってもらうことなどが狙いだ。
代表の渡辺章子さん(57)は「東京多摩から農業と福祉の「農福連携」の新しい風を起こしていきたい」と意気込む。
エシベジは八王子市と瑞穂町の計4か所3500平方bの畑と事務所内でカリフラワーやビーツなどの野菜の栽培や加工、販売などを手がける。
畑の野菜は農薬も化学肥料も使わずに栽培し紫や白のニンジンなど希少価値があって市場価格が高いものを重点的に作っている。
病や障がいを機に自宅に引きこもるなどして社会生活を営めなくなった15人の通所者らが栽培などに取り組む。
大手銀行に約30年勤めた経歴を持つ代表の渡辺さんは「一人の親として、障がいを持つ娘が安心して暮らせる社会を作りたい。そのために全力を注ぐ」と語る。
40代早々に4回目の入院となり、このときは3か月入院し、やっと炎症性腸疾患クローン病だと診断され、その後、腸閉塞で2回、腎盂腎炎で1回、計7回入院し、今日に至る。
病気との交換条件というわけではなかろうが、家庭環境は恵まれていて、連れ合いが働いてくれていたおかげで50代半ばを前に、病気加療と届け出て、退職し、ご先祖が残してくれたわずかばかりの畑で有機無農薬での野菜作りにチャレンジすることができた。
子どもの頃、戦地から無事に帰国してくれた厳父から鍛えられていた。小学生の時から鍬で畑を耕していたことが役立つことになろうとは未だに信じられない。
古希が過ぎた頃から、コロナ禍を経て、後期高齢者になるや、急激に心身ともに衰えが目立つ。
歯の具合、歯茎の具合がよくなくて、入れ歯になり、目から光線が発するということで驚いて眼科に行くと、白内障だと言われ、畑では目を保護するためにサングラスをかけた方がいいといわれた。
耳の聴こえが悪くなり、TVの音が聴こえにくくなった。同じころ、耳鳴りが始まり、耳鼻咽喉科に行くと、加齢だと言われた。
夜になると、トイレが近くなり、1時間おきに目が覚めてしまうし、加齢によるものか、病気によるものか、出るものが出にくくなっているから、寝る前も頑張って水分を摂っているから、余計トイレが近いことくらいはわかっているが、出るものが出なければ、腸閉塞になる可能性が高いので、もっと困ったことになる。
ところがである。
畑に行くと、こんな自分でも信じられないくらい元気になるのだ。
上述のとおりの日常で、雨が続いたりすれば、鬱状態に近い日々を送っていても、気分転換ができるというか、気分が優れるのだ。
サングラスは日差しが強い時は先生の指示のとおりにしているが、耳鳴りなんか全く気にならなくなってしまう。
夜間、あれほどトイレが近くて困っていても、畑で汗を書けばその心配をする必要がない。
ということで、「社会になじめない人へ、農作業通じ就労支援」という見出しが大袈裟でもなんでもなく、事実であることを実践からフォローできる。
農作業の効用は、多分、大地、太陽、風などからエネルギーが人体に伝わってくるからではないかと思う。
学問的な裏付けはないが、まちがってはいないだろう。
「工藤阿須加が行く 農業始めちゃいました」を視聴しているが、農業を始めた人たちは皆元気だ。
農福連携は過去何度も書いている気がするが、刑務所や少年院の出所者や出院者にも農業を薦めてきたくらいで、やる気があって、農業大学校みたいな技術を教えてくれる施設で学べば福祉関係の人にだって農業法人における就労は可能である。
渡辺章子さんのようなリーダーの果たす役割が大きい。
渡辺さんにエールをおくりたい。
農作業で心の平静さや体力を取り戻し、商品となる作物を作ることで自信を持ってもらうことなどが狙いだ。
代表の渡辺章子さん(57)は「東京多摩から農業と福祉の「農福連携」の新しい風を起こしていきたい」と意気込む。
エシベジは八王子市と瑞穂町の計4か所3500平方bの畑と事務所内でカリフラワーやビーツなどの野菜の栽培や加工、販売などを手がける。
畑の野菜は農薬も化学肥料も使わずに栽培し紫や白のニンジンなど希少価値があって市場価格が高いものを重点的に作っている。
病や障がいを機に自宅に引きこもるなどして社会生活を営めなくなった15人の通所者らが栽培などに取り組む。
大手銀行に約30年勤めた経歴を持つ代表の渡辺さんは「一人の親として、障がいを持つ娘が安心して暮らせる社会を作りたい。そのために全力を注ぐ」と語る。
40代早々に4回目の入院となり、このときは3か月入院し、やっと炎症性腸疾患クローン病だと診断され、その後、腸閉塞で2回、腎盂腎炎で1回、計7回入院し、今日に至る。
病気との交換条件というわけではなかろうが、家庭環境は恵まれていて、連れ合いが働いてくれていたおかげで50代半ばを前に、病気加療と届け出て、退職し、ご先祖が残してくれたわずかばかりの畑で有機無農薬での野菜作りにチャレンジすることができた。
子どもの頃、戦地から無事に帰国してくれた厳父から鍛えられていた。小学生の時から鍬で畑を耕していたことが役立つことになろうとは未だに信じられない。
古希が過ぎた頃から、コロナ禍を経て、後期高齢者になるや、急激に心身ともに衰えが目立つ。
歯の具合、歯茎の具合がよくなくて、入れ歯になり、目から光線が発するということで驚いて眼科に行くと、白内障だと言われ、畑では目を保護するためにサングラスをかけた方がいいといわれた。
耳の聴こえが悪くなり、TVの音が聴こえにくくなった。同じころ、耳鳴りが始まり、耳鼻咽喉科に行くと、加齢だと言われた。
夜になると、トイレが近くなり、1時間おきに目が覚めてしまうし、加齢によるものか、病気によるものか、出るものが出にくくなっているから、寝る前も頑張って水分を摂っているから、余計トイレが近いことくらいはわかっているが、出るものが出なければ、腸閉塞になる可能性が高いので、もっと困ったことになる。
ところがである。
畑に行くと、こんな自分でも信じられないくらい元気になるのだ。
上述のとおりの日常で、雨が続いたりすれば、鬱状態に近い日々を送っていても、気分転換ができるというか、気分が優れるのだ。
サングラスは日差しが強い時は先生の指示のとおりにしているが、耳鳴りなんか全く気にならなくなってしまう。
夜間、あれほどトイレが近くて困っていても、畑で汗を書けばその心配をする必要がない。
ということで、「社会になじめない人へ、農作業通じ就労支援」という見出しが大袈裟でもなんでもなく、事実であることを実践からフォローできる。
農作業の効用は、多分、大地、太陽、風などからエネルギーが人体に伝わってくるからではないかと思う。
学問的な裏付けはないが、まちがってはいないだろう。
「工藤阿須加が行く 農業始めちゃいました」を視聴しているが、農業を始めた人たちは皆元気だ。
農福連携は過去何度も書いている気がするが、刑務所や少年院の出所者や出院者にも農業を薦めてきたくらいで、やる気があって、農業大学校みたいな技術を教えてくれる施設で学べば福祉関係の人にだって農業法人における就労は可能である。
渡辺章子さんのようなリーダーの果たす役割が大きい。
渡辺さんにエールをおくりたい。
2024年10月03日
再審無罪 証拠開示 ルール化必要
「袴田さん再審無罪 評価は」というテーマで9月30日の読売が解説の紙面に「論点スペシャル」で3氏に聞いている。
元東京高裁部総括判事門野博さん、米ハワイ大学教授デイビッド・ジョンソンさん、元最高検次長検事伊藤鉄男さんが「証拠開示 ルール化必要」、「過ち認め 検証する姿勢」、「判決の当否 冷静に分析」とそれぞれの立場から論じられている。
大いに参考になったのが布川事件などの再審に関わった門野さんだった。
冤罪を防ぐうえで証拠開示は極めて重要だが、裁判官の意識が高いとはいえない。証拠は捜査機関だけでなく、容疑者や被告、ひいては国民のためにあることを再認識する必要がある。
冤罪事件が起きるたびに浮かんでは消える再審制度改正の議論を、今度こそ実現に向けて本格化させるべきだ。
再審での証拠開示のルール化が不可欠であることに加え、長期化の要因である検察官の不服申し立て禁止や、審理期間など手続きの明確化も必要だ。
裁判所においても職責を全うするために、最新心理のあり方について、現場の裁判官の意見をくみ上げ、運用の改善に生かしていくべきだろう。
「冤罪被害者の救済」を目的とした再審制度を絵に描いた餅にしてはならない。
「名張の毒ぶどう酒事件」で無実を訴え再審請求を繰り返していた奥西勝さんが、八王子の医療刑務所で亡くなった後、妹の岡美代子さんが遺志を引き継ぎ、再審請求をを続けている。
再審請求を支援する会のサポーターの一員だから、再審が認められるように願ってきた。
再審請求を認めない裁判所の裁判官は普段の仕事で忙しいから、再審請求は余計な仕事だと思っているのではないか。
まして、奥西勝さんは八王子の医療刑務所で亡くなっていることだし、自分の成績に役立つというわけでもないからだ。
再審請求を応援してきた立場だから、再審請求裁判にも関わった著名な裁判官だった門野博さんの名前は知っていたし、発言の内容は、袴田さんの再審無罪の判決を出した裁判官のことを評価している内容だったから、裁判官関係者にも良心的な人物はいたのだと嬉しくなってしまった。
冤罪が続くと、わが国の警察、検察そして裁判官を信用、信頼できなくなってしまう。
しかも、メンツというか自分たちの非を認めようとはしてこなかった。
人間がやることだから、当然、間違いはある。裁判では間違いがあっては困るが、仮に間違いがあったら、素直に認め、改めることが間違えることよりも重要である。
冤罪事件は、真犯人を跋扈させるばかりか、容疑者、被疑者の人生を棒に振らせることになる。
何としても、再審のルールを確立し、冤罪事件をなくすようにしなければならない。
元東京高裁部総括判事門野博さん、米ハワイ大学教授デイビッド・ジョンソンさん、元最高検次長検事伊藤鉄男さんが「証拠開示 ルール化必要」、「過ち認め 検証する姿勢」、「判決の当否 冷静に分析」とそれぞれの立場から論じられている。
大いに参考になったのが布川事件などの再審に関わった門野さんだった。
冤罪を防ぐうえで証拠開示は極めて重要だが、裁判官の意識が高いとはいえない。証拠は捜査機関だけでなく、容疑者や被告、ひいては国民のためにあることを再認識する必要がある。
冤罪事件が起きるたびに浮かんでは消える再審制度改正の議論を、今度こそ実現に向けて本格化させるべきだ。
再審での証拠開示のルール化が不可欠であることに加え、長期化の要因である検察官の不服申し立て禁止や、審理期間など手続きの明確化も必要だ。
裁判所においても職責を全うするために、最新心理のあり方について、現場の裁判官の意見をくみ上げ、運用の改善に生かしていくべきだろう。
「冤罪被害者の救済」を目的とした再審制度を絵に描いた餅にしてはならない。
「名張の毒ぶどう酒事件」で無実を訴え再審請求を繰り返していた奥西勝さんが、八王子の医療刑務所で亡くなった後、妹の岡美代子さんが遺志を引き継ぎ、再審請求をを続けている。
再審請求を支援する会のサポーターの一員だから、再審が認められるように願ってきた。
再審請求を認めない裁判所の裁判官は普段の仕事で忙しいから、再審請求は余計な仕事だと思っているのではないか。
まして、奥西勝さんは八王子の医療刑務所で亡くなっていることだし、自分の成績に役立つというわけでもないからだ。
再審請求を応援してきた立場だから、再審請求裁判にも関わった著名な裁判官だった門野博さんの名前は知っていたし、発言の内容は、袴田さんの再審無罪の判決を出した裁判官のことを評価している内容だったから、裁判官関係者にも良心的な人物はいたのだと嬉しくなってしまった。
冤罪が続くと、わが国の警察、検察そして裁判官を信用、信頼できなくなってしまう。
しかも、メンツというか自分たちの非を認めようとはしてこなかった。
人間がやることだから、当然、間違いはある。裁判では間違いがあっては困るが、仮に間違いがあったら、素直に認め、改めることが間違えることよりも重要である。
冤罪事件は、真犯人を跋扈させるばかりか、容疑者、被疑者の人生を棒に振らせることになる。
何としても、再審のルールを確立し、冤罪事件をなくすようにしなければならない。
2024年10月02日
少年院の葡萄 寄り添う誰かと共に
「少年院でブドウを育てた少年たち…外の世界で「寄り添う人」との出会いを願いたい」という趣旨の記事が9月29日の読売の「広角 多角」というタイトルで(石浜友里記者)掲載されていた。
犯罪被害者支援を訴えてきたが、究極の犯罪被害者支援は出所者や出院者の更生だと気づかされて、彼ら、彼女らの支援を呼びかけてきた。
2年前というから2022年の春、茨城県牛久市の少年院、「茨城農芸学院」で少年たちがブドウの苗を植える様子を取材した。
そのうちの18歳の少年に話を聞くと、詐欺に加担し、保護観察処分を受けるも、その間に万引きをして少年院に入っていた。
ブドウを育てる意味が分からなかった記者はこの取り組みに懐疑的であったという。
「水や栄養をあげた分、ブドウは成長する。自分も努力した分、成長できるのかなと思って…」と照れ臭そうに話した。
記者は子どもの頃、愛読していた有島武郎『一房の葡萄』(岩波文庫)の主人公が友達の絵の具を盗み、女教師に諭されたとき、窓からブドウをもぎ取って主人公の膝の上に置いて女教師が去って行ったシーンを思い出した。
元少年院院長に取材すると「少年院は優しい人たち、少年の味方しかいない」が、社会に出るとそうはいかない。
「そばで寄り添う人の存在が絶対に必要だ」と出院後の支援者が不可欠であることを訴えた。
本の主人公に寄り添ってくれた女性教師のその後の不在を描いて物語は閉じられたが、現実には、ブドウを育てていた少年が出院後、寄り添ってくれる誰かに出会えたであろうか。と結ぶ。
子どもの頃読んだ本に描かれていた光景と今、職業柄、取材した少年院での出来事を対比させ、少年の更生を願う気持ちがよく描かれていて、心が温まった。
欲を言えば、更生を祈るだけでなく、一歩前に進め、少年のその後も取材することと、寄り添う誰かなんて簡単には見つからないから、手助けするくらいの気持ちがあればなお嬉しい。
ただ、記者の仕事は伝えることで、支援するのは仕事ではないことは承知の上のことだ。
犯罪被害者支援を訴え、出所者の更生を願っている自分は、受刑者が所内での作業で携わった製品を買い求めて支援してきたので、ふだん、持ち歩いている布製の手提げなどは受刑者の作品であることも付言しておきたい。
人にはそれぞれ立ち位置があり、己の立ち位置でできることをやるというのが自分のスタイルというか流儀である。
闇バイトの仕業かなどと報道されているが、東京国分寺などで住宅に押し入り、家人に暴力を加え、金品を強奪する所謂急ぎ働き犯が横行し、一部は捕まっている。捕まえたら、みせしめのために死刑、それも、鬼平の時代のように貼り付け、獄門にすべきだという意見もあるだろう。
実行犯は悪いが、彼らを操っている人間こそワルだから、このワルを捕まえて厳しく処罰しなければ犯罪は減らせない。
少年は、犯した罪によって、更生は十分にできるはずだから、何としても更生させたい。
ブドウを育てることは、出院者にとっての仕事として十分に考えられることだ。
農業に従事することは更生に役立つはずである。
是非とも、ブドウを育てた何人かは農業の道に進んでほしいと願う。
犯罪被害者支援を訴えてきたが、究極の犯罪被害者支援は出所者や出院者の更生だと気づかされて、彼ら、彼女らの支援を呼びかけてきた。
2年前というから2022年の春、茨城県牛久市の少年院、「茨城農芸学院」で少年たちがブドウの苗を植える様子を取材した。
そのうちの18歳の少年に話を聞くと、詐欺に加担し、保護観察処分を受けるも、その間に万引きをして少年院に入っていた。
ブドウを育てる意味が分からなかった記者はこの取り組みに懐疑的であったという。
「水や栄養をあげた分、ブドウは成長する。自分も努力した分、成長できるのかなと思って…」と照れ臭そうに話した。
記者は子どもの頃、愛読していた有島武郎『一房の葡萄』(岩波文庫)の主人公が友達の絵の具を盗み、女教師に諭されたとき、窓からブドウをもぎ取って主人公の膝の上に置いて女教師が去って行ったシーンを思い出した。
元少年院院長に取材すると「少年院は優しい人たち、少年の味方しかいない」が、社会に出るとそうはいかない。
「そばで寄り添う人の存在が絶対に必要だ」と出院後の支援者が不可欠であることを訴えた。
本の主人公に寄り添ってくれた女性教師のその後の不在を描いて物語は閉じられたが、現実には、ブドウを育てていた少年が出院後、寄り添ってくれる誰かに出会えたであろうか。と結ぶ。
子どもの頃読んだ本に描かれていた光景と今、職業柄、取材した少年院での出来事を対比させ、少年の更生を願う気持ちがよく描かれていて、心が温まった。
欲を言えば、更生を祈るだけでなく、一歩前に進め、少年のその後も取材することと、寄り添う誰かなんて簡単には見つからないから、手助けするくらいの気持ちがあればなお嬉しい。
ただ、記者の仕事は伝えることで、支援するのは仕事ではないことは承知の上のことだ。
犯罪被害者支援を訴え、出所者の更生を願っている自分は、受刑者が所内での作業で携わった製品を買い求めて支援してきたので、ふだん、持ち歩いている布製の手提げなどは受刑者の作品であることも付言しておきたい。
人にはそれぞれ立ち位置があり、己の立ち位置でできることをやるというのが自分のスタイルというか流儀である。
闇バイトの仕業かなどと報道されているが、東京国分寺などで住宅に押し入り、家人に暴力を加え、金品を強奪する所謂急ぎ働き犯が横行し、一部は捕まっている。捕まえたら、みせしめのために死刑、それも、鬼平の時代のように貼り付け、獄門にすべきだという意見もあるだろう。
実行犯は悪いが、彼らを操っている人間こそワルだから、このワルを捕まえて厳しく処罰しなければ犯罪は減らせない。
少年は、犯した罪によって、更生は十分にできるはずだから、何としても更生させたい。
ブドウを育てることは、出院者にとっての仕事として十分に考えられることだ。
農業に従事することは更生に役立つはずである。
是非とも、ブドウを育てた何人かは農業の道に進んでほしいと願う。
2024年10月01日
輪島思い涙 次世代に先人の志渡したい。
能登半島地震で大きな被害を受けた輪島塗の漆芸家で、「沈金」の人間国宝、山岸一男さん(70)が8月29日、客船「飛鳥U」内で講演会「能登はやさしや土までも」を行った。と9月25日の読売(清川仁記者)が伝えている。
同船は常時、日本工芸会所属作家の作品を展示しており、今回は「夏の金沢・函館クルーズ」に合わせて山岸さんを招いた。
山岸さんは地震で左肩などを骨折し、石川県輪島市の自宅兼工房が全壊した。現在は金沢市内のマンションで制作を再開しているという。山岸さんは、輪島が北前船の寄港地として栄えた歴史を誇らしく語り、「能登の国はつくづく美しい。人は寡黙だが働きもの。粘り強く復興する。私は漆の仕事で、先人の志を次の世代に渡したい」と再興への決意を新たにしていた。
漆の塗面に文様を掘り、金箔や金粉などを埋める「沈金」。山岸さんは2018年に人間国宝に認定された。
「焼け。潰れ。ひび割れた…」輪島思い涙。美しい風景も仕事場、家、友達もなくなったが、次世代に先人の志渡したいと願う。
そこに9月21日からの記録的な大雨ということで記者も「能登の一刻も早い平穏を願わずにはいられない」と結ぶ。
畑の近所の女性、自分より一回り上だから80代後半であるが、お元気、かつ経済的にも恵まれているのだろうか、先般、「飛鳥」(Uかどうかわからない)に乗ってきたと言いながら、土産を頂戴した。
クルーズ船など乗ったこともないし、興味も全くないが、世界一周だったか、そんなことを以前耳にしたことがある。
船旅するような人は経済的に恵まれているだろうから、需要を喚起したいわが国の伝統工芸品を展示しておくのは素晴らしい企画である。
さらに、人間国宝の作家が講演するという企画もまた目の付け所が佳い。
さて、災害列島である日本列島でも、正月元旦の大地震に見舞われた能登地方に秋の彼岸になって、大雨が降り、TVで行方不明の女子中学生が海上で見つかったというニュースが流れていた。
気の毒なことで、かける言葉がみつからない。
いかに災害列島はとはいうもののなぜ、能登の人たちばかり苦しめるのか、大自然というものは。
ライフラインの復旧に時間がかかっていることも政府の取り組み方が甘い気がするし、仮設住宅が雨でやられたという報道にはびっくりである。
自分は今、心身共に体調が優れず、鬱に近いようなところもあるが、大自然に助けられ、畑で草むしりをしていることで、どうにか、心身のバランスをとっている。
作家は作品をつくるのが仕事だけれど、その環境が整わない中での制作だけに安易に頑張れなんていえない。
それでも、人生いい時もあるはずだから、その日のためにも制作を継続してほしい。
同船は常時、日本工芸会所属作家の作品を展示しており、今回は「夏の金沢・函館クルーズ」に合わせて山岸さんを招いた。
山岸さんは地震で左肩などを骨折し、石川県輪島市の自宅兼工房が全壊した。現在は金沢市内のマンションで制作を再開しているという。山岸さんは、輪島が北前船の寄港地として栄えた歴史を誇らしく語り、「能登の国はつくづく美しい。人は寡黙だが働きもの。粘り強く復興する。私は漆の仕事で、先人の志を次の世代に渡したい」と再興への決意を新たにしていた。
漆の塗面に文様を掘り、金箔や金粉などを埋める「沈金」。山岸さんは2018年に人間国宝に認定された。
「焼け。潰れ。ひび割れた…」輪島思い涙。美しい風景も仕事場、家、友達もなくなったが、次世代に先人の志渡したいと願う。
そこに9月21日からの記録的な大雨ということで記者も「能登の一刻も早い平穏を願わずにはいられない」と結ぶ。
畑の近所の女性、自分より一回り上だから80代後半であるが、お元気、かつ経済的にも恵まれているのだろうか、先般、「飛鳥」(Uかどうかわからない)に乗ってきたと言いながら、土産を頂戴した。
クルーズ船など乗ったこともないし、興味も全くないが、世界一周だったか、そんなことを以前耳にしたことがある。
船旅するような人は経済的に恵まれているだろうから、需要を喚起したいわが国の伝統工芸品を展示しておくのは素晴らしい企画である。
さらに、人間国宝の作家が講演するという企画もまた目の付け所が佳い。
さて、災害列島である日本列島でも、正月元旦の大地震に見舞われた能登地方に秋の彼岸になって、大雨が降り、TVで行方不明の女子中学生が海上で見つかったというニュースが流れていた。
気の毒なことで、かける言葉がみつからない。
いかに災害列島はとはいうもののなぜ、能登の人たちばかり苦しめるのか、大自然というものは。
ライフラインの復旧に時間がかかっていることも政府の取り組み方が甘い気がするし、仮設住宅が雨でやられたという報道にはびっくりである。
自分は今、心身共に体調が優れず、鬱に近いようなところもあるが、大自然に助けられ、畑で草むしりをしていることで、どうにか、心身のバランスをとっている。
作家は作品をつくるのが仕事だけれど、その環境が整わない中での制作だけに安易に頑張れなんていえない。
それでも、人生いい時もあるはずだから、その日のためにも制作を継続してほしい。