2024年09月23日

自然再生 未来照らす 岡山西粟倉村

 2050年、人口減少が進む日本はどのような姿を目指すべきか。「変わる暮らし」を展望した第1部に続き、第2部では「持続可能な社会」を考える。
 環境破壊や資源の枯渇、食料危機などの課題を克服するための変革の動きを追った。と9月17日の読売が「ニッポン2050 第2部 持続可能な社会」 上というタイトルで岡山県西粟倉村にスポットを当て「自然再生 未来照らす」「豊かな森 人戻った」という見出しで、「百年の森林構想」の下に村が主体となって、森を守る取り組みをしているとのことで、実に興味深かった。

 中国山地の谷あいにある同村は、面積の9割超を森林が占める。盛んだった林業が高齢化や過疎化で衰退。森林の手入れが行き届かなくなる中、2008年、「百年の森林構想」を掲げた。村が所有者から無償で森林を預かり、村内の森林管理会社百森に業務を委託。一部を自然林にして生態系の回復や災害対策を進めるなど、森林の再構築を図る。
 伐採した木は村内で製材加工し、家具などとして販売。廃棄する樹皮やおが粉でおイチゴを育て、製材で発電したり温泉施設の湯を沸かしたりする。契約を結んだ森林所有者は延べ700人。面積は計約1500f。08年に1億円だった売り上げが21年にT2億円へ増加。若者を中心に移住者が相次ぎ、今では人口約1300人の2割を占める。
 2024年消滅可能性自治体から脱却した。


 2024年正月元旦に能登地震が起きて、電気、水道、道路などライフラインの修復に時間がかかって住民たちは大変厳しい日々をおくっている。
 自民党の県知事はこの時、東京にいたというし、自民党の総理大臣は現地を訪れようともしなかった。
 自民党政権は能登を見捨てたとしかいいようがない。
 9月もお彼岸になって、能登に大雨が降り、被災した人々を苦しめているとき、外国に行くのが大好き総理大臣はまたしても米国に行っていた。

 語り継ぐ戦争では、政府の号令に応じた満蒙開拓団員が1945年8月9日未明、ソ連軍が侵攻してくるや、政府や日本軍から見捨てられ、棄民となって、広い曠野を彷徨し、集団自決に追い込まれた開拓団もあった。

 自民党政権は財界からカネを融資してもらっているから、財界のために政治をしてきた。
 選挙区は地方、例えば、総理は広島だったり、という人が多くても、実際に住んでいるのは東京の自宅か高級ホテルである議員宿舎だ。
 口では地方をよくすると言っても、現実に日本列島を改造しようとしたのは田中角栄さんと竹下登さんくらいだ。
 どちらかといえば、田舎に住めないようにしているとしか、能登の場合をみれば思えない。
 日本国が総力を挙げて対応すれば、能登のライフラインを整備することくらいできないわけがない。

 さて、国土の面積が7割は森林だという日本列島だから、林業を活性化させる必要があるが、岡山の西粟倉村での試みは大いに評価できるし、エールをおくりたくなる。
 森林は枝打ち、下草刈りなど手入れをしなければならないし、戦後のスギ、ヒノキなどの植林は木材のためとはいいながら、土砂災害を起こりやすくしたし、花粉症患者を苦しめることになった。
 外国から価格が廉価というだけで、木材を輸入することを禁止しなければ、外国の森林を破壊することになる。
 森林は水と共にわが国の有力な資源である。
 西粟倉村の取り組みを参考に他の町や村でも林業の活性化に取り組むことが求められている。
posted by 遥か at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 環境問題・公害問題