「キャンパス探訪」というタイトルで 明治大学生田キャンパスにある「平和教育登戸研究所資料館を(木田滋夫記者)が訪れたことが9月10日の読売の教育・投書の紙面で紹介されている。
旧陸軍は1937年に川崎市に実験施設を設置。39年からは登戸研究所として生物化学兵器や風船爆弾、偽札製造などの研究開発を行った。45年には空襲回避のため長野県や福井県、兵庫県に分散移転した。
戦後の50年に明治大学が購入した。
構造は鉄筋コンクリート平屋建て、床面積は358平方b。ばれ^ボールのコートでおよそ2面分の広さだ。
農学部の研究施設として使われたことが幸いし、現代までこの棟が残る要因となった。
建物が資料館になったのは2010年。
資料館の設立趣旨の一部には、〈私たち大学と同じ科学研究にあたる場が、戦争という目的のためには、場合によっては尋常な理性と人間性を喪失してしまいかねない機能を持ってしまうことを自戒するためでもある〉
館内の5つの展示室では登戸研究所の歴史や研究内容を当時の公文書や実物資料で紹介している。その数約6000点に上る。
大学では全学部生が履修できる講座「登戸研究所から考える戦争と平和」を設け、資料館を活用している。
2013年8月、楠山忠之監督『陸軍登戸研究所』を観ているので、その時までよく知らなかった陸軍登戸研究所のことを勉強できる佳い機会にはなった。
2013年10月、語り継ぐ戦争の立場から、ここ明治大学平和教育登戸研究所資料館を訪れた。
中国人捕虜をマルタと呼び、人体実験をした731石井部隊展を開催していることを赤旗で知ったので、観るためだった。
日本共産党の支持者ではないので、偶々手に入れた赤旗でのニュースだった。
この日のことは、当時書いているが、明治大学の渡辺賢二講師が見学に訪れた団体のためにガイドされていたのに同行させていただいたので大いに勉強させていただいた。
陸軍登戸研究所よりさらに悪質な731部隊の出身者があの悪名高き薬害エイズのミドリ十字の経営に関わっていたことを展示で知ることができた。
科学者が原爆を作り、医者が捕虜の躰を使って人体実験をしたのである。
戦争は人間性をなくす競争みたいなもので、女性を戦利品として性奴隷にしたり、性的暴行を兵士たちがやったのは戦争だからでもある。
しかし、そうは言っても、兵士ならみな、同じことをやったのかといえば、残虐なことをやらなかった人たちがいたこともまた事実である。
陸軍登戸研究所や731石井部隊がやったことを戦争だからというだけで片付けてはならない。
やはり、やっていいこと、悪いことというのはあるはずだからだ。
明治大学平和教育登戸研究所資料館を一度は見学することをお薦めする。