9月3日の朝、時計代わりに電源が入っているTVがNHKのニュースを流していると思っていたら、高齢者が出ていて、様子が変だなと思って、朝食の準備の手を休めて視聴したら「もう置き去りにしない」という文字が読めたので、中国残留邦人のことかもしれないなと思ったら、ピンポーンだった。
「戦後、中国に取り残された「残留邦人」。今、高齢化が進み、介護を必要とする人が増えている。しかし、中国語に対応していない施設では適切な介護が受けられず苦しんできた。そうした中、2世や3世がみずから介護事業所を立ち上げ、自宅での暮らしを希望する利用者のために訪問介護やデイサービスで懸命にサポートしている。
一方、戦争による心の傷に今なお苦しむ人たちも。見過ごされてきた中国残留邦人のいまを見つめる。」と㏋にあった。
1980年代に所謂中国残留孤児と呼ばれた人たちの帰国のことがニュースでしきりに流れるようになった。
アジア太平洋戦争に関心を持つきっかけとなった自分のバイブル五味川純平『人間の條件』(三一書房)をTVドラマ化し、加藤剛が演じた主人公の梶に影響を受けたことから、ドラマの舞台満州に大きな関心を持つようになった。
日本の敗色が濃厚となった1945年8月9日未明、ソ連がその満洲や朝鮮半島、樺太などに侵攻してきたことから
入植していた満蒙開拓団などの人達は逃げ惑い、女性たちはソ連兵や中国人、朝鮮人などから性的暴行を受け、逃げられないと覚悟を決めた人たちは集団自決へと追い込まれた。
子どもを助けるために、中国人に渡したり、中国人の嫁となることで生きることを選択した人たちがいたのである。
この人たちが、やがては、中国残留孤児、中国残留婦人として、後年、帰国を果たせる人もいたが、親族が見つからないなど、様々な事情から、帰国を果たせない人もいた。
NHKのドラマ人間模様早坂曉脚本『夢千代日記』でも中国残留孤児のことが描かれていたくらい、当時の世の中では、中国残留孤児の帰国の問題は大きな社会問題だった。
せんだみつおが演じた中国残留孤児王永春が日本の親を探すために日本にやってくるのだが、息子を捨てた母親というのが置き屋はる家で夢千代の面倒を見てきた夏川静江演じる女中おスミさんだったのだ。
その中国残留孤児と呼ばれた中国残留邦人が戦後79年ともなれば、高齢化し、介護のお世話になる年齢となっているが、言葉の壁が定住しても乗り越えられず、溶け込めないのだ。
満州で生まれたとして79歳。当時、乳児、幼児だとすれば、80歳以上ということだから、介護が必要になるだろう。
国は満蒙開拓団を騙して送り込み、敗色濃厚となるや棄民として見捨てた。
国に対して怒り心頭であろうが、国がを騙すのは満蒙開拓団に限ったことではない。
だから、彼らの子どもたちなり、関係者が中国の文化などを知った上で、介護施設を運営し、彼らの安心できる居場所ができれば喜ばしい。
残留邦人って、実は何も悪くない。悪かったのは戦争を始めた国であり、帰国したら、日本語が習得できるように国がもっと支援すべきだった。
運で片付けてはいけないことだが、不運だった分、これからは少しでも満足できる環境でいてほしいと願う。