月に一度の映画館行き、8月は関野吉晴監督の『うんこと死体の復権』を観てきた。
タイトルからして観たくなるような作品ではなかったが、8月に上映しているはずだった『人間の境界』を見逃してしまい、観たい作品がなかったので、ポレポレ東中野なら、関心のある作品を上映しているかもしれないと調べたら本作品になったというわけ。
排せつを自分の所有する里山で行い、自らの排泄物が処理されていく過程をチェックする糞土師伊沢正名の活動を紹介した第一章うんこの行方、糞虫の生態を研究している保全生態学者の高槻成紀の活動を紹介している第二章生き物の視点に立つ、死体喰らいの虫の営みを観察する絵本作家舘野 鴻の活動を取り上げる第三章死体を巡る攻防と協力、そして、エピローグでは監督の関野が東京は青梅の山に囲まれた林で石器時代に倣い、狩猟、採取の時代へと時を遡る旅をするという構成のドキュメンタリー作品である。
毎日、家庭から出る所謂生ごみを畑に埋めて、土の中に棲む微生物の力を借りて堆肥化していることと同じことを人間の排せつ物でやっている人がいることを知り驚いた。
D・モントゴメリー+A・ビクレー、片岡夏実訳『土と内臓 微生物がつくる世界』(築地書館)を読んで、毎日、実践していることの学術的なことが少しわかっていたが、人間の排泄物を畑の肥やしにしていた時代ならともかく、水洗トイレにシャワートイレが普及した今、こんなことを大真面目にやって、連れ合いに愛想をつかされたという伊沢さん。価値観の違いで離婚したということで、その変人ぶりは生態系を守る観点から表彰してやりたいほどである。
ところが、後期高齢者になったという関野監督がドキュメントした人たちは生態系とか地球環境ということを考えた時、忘れてはいけない自然界の営みの一端に関わるという点で、実は素晴らしい実践活動をしているということだった。
品性というか、タイトルのネーミングで毛嫌いされそうな点を除けば、一人でも多くの人に観てもらい、地球環境の一部とはいいながら、我々の生活で改めていかなければならないことを少しでも変えていく必要があると考えさせられた。
畑で生ごみを埋めると、今の時節なら1〜2週間もあれば堆肥化される。堆肥化されにくいものを除けば思っているより早く土になっている。しかも、肥沃な土にである。
飛騨高山の牧場で乳酸菌入り飼料を食べた牛糞などで生産した「みな土」を農協が取り寄せてくれなかったので、自前でぼかし肥料をつくるようになった。
米ぬかに菜種の油かす、魚粉末に水を加えて、緑のコンポストというバケツ上容器で発酵させるのだが、白カビが出ているうちはいいのだが、少し経つとウジ虫が多量にわいてくるのだ。
そんな光景に慣れっこになっている自分はスクリーンを眺めていても、どうってことはなかったが、慣れていない人にはグロテスクというか、気持ちがいいものではないかもしれない。
しかし、人間だけが地球で生きているわけでなし、縁の下の力持ち的な糞虫やミミズなどの活動にスポットを当てた点を高く評価している。
人間社会だって、裏方や人の嫌がる仕事をしてくれている人たちのお陰で、生活できていることを肝に命じるべきだ。