2024年08月25日

「戦争とは大渦潮 抜け出せず 誰でも鬼に」

 「引き揚げを語る」で読売が1年間にわたって引き揚げ者の証言を掲載した。8月15日の最終回は引き揚げ経験者で漫画家のちばてつやさんに当時の体験や戦争に対する思いを聞いている。(赤池泰斗記者)

 6歳の時奉天(現瀋陽市」で終戦を迎えた。印刷会社に勤めていた父、母、弟3人の6人家族で社宅で暮らしていた。8月15日、大勢の中国人が暴徒となって社宅になだれこんできたため、社宅から逃げ、昼間は人目につかぬよう身を潜め、夜になると移動した。
 9月半ばのこと、仲間からはぐれてしまい、途方に暮れているとき助けてくれたのが中国人徐集川さんで、父と印刷会社で親しくしていた人だった。
 徐さんの仕事を手伝いながら仲間を探していたが、やがて、合流することができた。
 日中国交回復後、恩人の徐さんを探すため、何度か中国を訪れたが、再会は叶わなかった。
 作品で「ジョー」と主人公の名前につけているのは無意識に「徐さん」のことが忘れられないからではないか。
 46年6月引き揚げ船が出る葫蘆島に向け移動を開始。屋根のない貨車に乗り込むも、ここでもなくなる人がたくさんいた。
 引き揚げ船の中でも多くの人が命を落とした
 
 浅草の浅草寺に引き揚げ経験者らが有志で建てた小さな「母子地蔵」があり、ちばさんがデザインを担当した由。父親を兵隊にとられ、母子で逃げる途中、多くの命が失われ、亡きがらを埋めてあげることすらできなかった。

 戦争とは大きな渦潮みたいなものだ。いったん巻き込まれたら簡単には抜け出せない。どんなに優しい人も鬼にしてしまう。
 今の日本は渦潮の「縁」にいるのではないか。歴史を糧に互いを尊重し、二度と悲劇を繰り返してはならない。
 以上が要旨である。


 満州からの引き揚げで、多くの命が失われ、亡きがらを埋めてあげることすらできなかった。
 特に、母子での逃避行は苦難の連続で、だから、浅草寺には、母子地蔵があるのだという。
 浅草寺なら、なるべく遠くないうちに、お参りにいきたい

 同じ母子地蔵が九州は太宰府天満宮の近く、二日市の保養所跡にある。
 こちらは、満州や朝鮮半島でソ連兵などから性的暴行され、生憎妊娠したり、梅毒を感染させられた女性たちが中絶手術を受けたり、治療を受けたところである。

 最終回だから著名な漫画家ちばてつやさん登場ということで、今の日本は戦争前夜のようになっていることを厳しく指摘され、歴史を糧に戦争に巻き込まれてはならないと訴えていた。

 同じく引き揚げ者で、こちらは朝鮮半島から命からがら引き揚げてきた作家五木寛之さんは引き揚げのことを作品で書かないこととして、悪人でなければ、引き揚げて来られなかったと自分の歩いてきた道を振り返って語っている。
 どの人も、人には言えないことの一つや二つを抱えたまま、墓場までもっていくということのようだ。

 確かに、引き揚げ者の語る体験は、女性であるなら、自らがソ連兵や匪賊に性的暴行されたことなど語る人などほとんどなく、見聞きした話として語っている。

 ところが、ソ連兵将校に開拓団を守ってもらう代償に性奴隷として15人の娘たちが差し出された黒川村の開拓団でぽつりぽつりと真実を語った女性がいるのだ。

 体験者の証言だから、説得力がちがう。

 きれいごとだけで満州から引き揚げられるわけがない。
 いかに騙されたからとはいいながら、中国人の土地を奪い、彼らを上から目線で見ていたつけを払わされたという見方だってできることをしてきたのだから。

 ちばてつやさん一家が徐さんに助けられたような話もある。
 同じ人間だから、佳い関係を築いていれば、困ったときにい助けてもらえることもあるのだ。